ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

今晩のTVから (7月8日)

2006-07-08 09:56:05 | 四方山話
午後9時からTBS系28局(関西では毎日TV)「世界ふしぎ発見」
で「初夏の絶景・カナディアンロッキー大紀行」が放映されます。

番組名の副題は当初「カナダ 友好のピッケル」の予定でした。

今朝の朝日新聞の「きょうのテレビ」欄の紹介では…
『カナダ・ロッ手-山脈の中で最も登頂が難しいとされるアルバータ峰。
1925年、槙有恒氏率いる日本隊が初登に成功した。日本隊はこの時、
山頂に1本のピッケルを残している。だが33年後にカナダ隊が登った時に
はピッケルが消えており、その謎が関心事となった。やがて、その行方を
追う人々の執念が実って謎が解明される。』とあります。


<上の写真と新聞記事は「写真で見る日本山岳会の100年」より引用しました>

槙有恒氏は戦前のアイガー東山稜初登攀、戦後のマナスル登山隊を率いる
など日本を代表する登山家で、日本山岳会第4代、7代会長でありました。
この番組取材には日本山岳会関西支部も一役買っています。
アルバータ峰登山のきっかけとなった書籍二冊が支部所蔵のもので、
先月撮影依頼がありました。


<岩波新書・槙有恒「わたしの山旅」より>

なお、この「ピッケルの話」は槙有恒氏「わたしの山旅」、山崎安治氏
「日本登山史」などで紹介されています。
登攀前後の様子を二冊の本を参考に記しますと…

 7月27日午前3時に前進キャンプを出た登山隊が、困難な登攀を続けて
アルバータ峰頂上3619mの山頂に立ったのは午後7時半。
槇さんは「思わず涙を落とし、天地の間に悠久なものが輝き渡ったような
気持ちであった」と記されています。万歳も、ブラボーも叫ばず、全員が
無言で握手を交わし…空缶に一行6名とガイドの名前を記して「遠く日本
からこの山を慕ってきた…」と英文で書いた紙片を入れた。
肝心のピッケルですが、この遠征の後援者であった細川護立侯のもので、
記念に岩の上に立てたということです。

あとは、ぜひ番組を見て頂いて…