「三」の字のつく山は結構あっていきおい私たちの登った山もたくさんあります。
順不同で思いつくままに…。
三尾山(586m) <1997/06/22>
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西多紀アルプス西端、緑の中に露岩が点在する美しい里山。山頂部は三尾城跡の標識のある586m標高点の他、東峰、西峰の三つの峰に分かれています。
11年前のちょうど今日、6月22日に町内の山の会「千日山歩渉会」の人達と登りました。梅雨のさなかなのに雨に遭わず、東峰、西峰と縦走して、城跡の碑の建つ草原の本峰に立ちました。佐仲峠へは小さな岩稜もある下りで、見返ると緑の山肌に散らばる白い露岩と朱色のツツジが印象的でした。
三俣蓮華岳(2,841m) <61/08/22,63/07,63/08, 69/07>
この山だけを目的にしたことはなく、すべて通過点でした。
はじめては弟と烏帽子から槍、そして大滝へと4泊で縦走したとき。
当時は食料も装備も重く、小屋泊まりでも4貫(16キロ)のザックを背にしての山行でした。夜行で大阪を発ち、七倉から「日本三大登り」のブナ立尾根を登り烏帽子小屋泊。
二日目、「三ツ岳」、野口五郎、鷲羽岳を越えて三俣蓮華へ。小屋からは頂上を捲く道もありましたが、ガスの中、律儀に稜線をトレースして13時半、頂上を通過しました。
他に人影はなく、その頃、三俣の幕営地でクマが出没する噂が盛んだったので、ひやひやしながら歩きました。
63年はいずれも幕営で、ひと夏に二度この山を通過しました。
7月は会の合宿で、薬師岳から雲ノ平へ。リーダーは変愚院、結婚前の♀ペンも一緒でした。
黒部源流を徒渉して厳しい登りで平に着くなり、猛烈な雷雨に追われ溶岩の点在するある窪地に避難。雷の嫌いな♀ペンは、たちまち小さい流れとなった中にうつむけに寝ていました。しかし「何してんねん」と冷やかされると、「イワナ採ってんのよ」と負けん気の強い事でした。翌日、三俣経由で伊藤新道を下りました。
8月は勤め先高校の山岳部夏山合宿付添。先月と同じコースで4日目、三俣を通過して双六の幕営地へ。
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(写真は三俣蓮華岳の肩で槍をバックに。中央が変愚院)
ここで雨になり二日間沈澱。テントの中で握り飯を握り寿司に見立てて騒いでいると、隣のテントで聞き耳を立てて本気にしている奴がいて、面白かったです。
万三郎岳(1,405.6m) <92/12> 天城連山の最高峰、「二の山」ご参照ください。
三ツ峠山(1,785m) <98/12/06>
14時半、御坂峠トンネル手前の裏登山口に車を置き歩き出しました。広い道は曲がりくねりながら結構急勾配で登ります。登山道を拾いながら行くと「左手後方、鉄塔の立つ山が目指す三ツ峠山です」という表示がありました。
夕暮れのような濃いガスの中で何も見えません。次第に雪が多くなり小屋近くでは10センチ近くになりました。ウッディで瀟洒な山荘・四季楽園まで登山口から1時間20分でした。
翌日、一晩中、窓を鳴らしていた風は止みましたが、朝から激しいみぞれ。殆ど視界もなく、あきらめて下山しました。
「ぜひもう一度」という願いは、まだ果たしていません。
三星山(549.2m)<02/03>
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紀伊田辺の北、龍神信仰の龍神山と東に隣り合う山。
JACのN先輩と他の山の下見ついでに登りました。巨岩が多く、紀伊水道を見下ろす展望は絶景です。写真のような面白い登りもありました。
三上山(432m) <89/01,01/12>
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近江富士。
湖東平野に浮かぶ独立峰で往事から街道を行く人の目印で、俵藤太(たわらのとうた)のムカデ退治伝説でも有名です。
御上神社前の国道を渡ると表登山口。参道石段を妙見堂跡広場に登ると山道らしくなり、10分ほどで割石に来ます。ここから急坂の岩場ですが、手摺りも設けられていて楽に登れます。次第に湖東平野が眼下に拡がってきます。
頂上すぐ下の大岩は素晴らしい展望台で、湖東平野と琵琶湖の向こうに湖南アルプス、比叡山、比良の山並みから、電波塔の林立する生駒山も見えます。登山口から45分ほどでした。
なお、この山だけでは時間を持て余すので、他の湖東の山とあわせて登っています。またマツタケの時期に行って、入山料が要るので敬遠して帰ったこともあります。(もし500円で採れるのなら安いものですが…)
「三の山」は続きます。
順不同で思いつくままに…。
三尾山(586m) <1997/06/22>
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西多紀アルプス西端、緑の中に露岩が点在する美しい里山。山頂部は三尾城跡の標識のある586m標高点の他、東峰、西峰の三つの峰に分かれています。
11年前のちょうど今日、6月22日に町内の山の会「千日山歩渉会」の人達と登りました。梅雨のさなかなのに雨に遭わず、東峰、西峰と縦走して、城跡の碑の建つ草原の本峰に立ちました。佐仲峠へは小さな岩稜もある下りで、見返ると緑の山肌に散らばる白い露岩と朱色のツツジが印象的でした。
三俣蓮華岳(2,841m) <61/08/22,63/07,63/08, 69/07>
この山だけを目的にしたことはなく、すべて通過点でした。
はじめては弟と烏帽子から槍、そして大滝へと4泊で縦走したとき。
当時は食料も装備も重く、小屋泊まりでも4貫(16キロ)のザックを背にしての山行でした。夜行で大阪を発ち、七倉から「日本三大登り」のブナ立尾根を登り烏帽子小屋泊。
二日目、「三ツ岳」、野口五郎、鷲羽岳を越えて三俣蓮華へ。小屋からは頂上を捲く道もありましたが、ガスの中、律儀に稜線をトレースして13時半、頂上を通過しました。
他に人影はなく、その頃、三俣の幕営地でクマが出没する噂が盛んだったので、ひやひやしながら歩きました。
63年はいずれも幕営で、ひと夏に二度この山を通過しました。
7月は会の合宿で、薬師岳から雲ノ平へ。リーダーは変愚院、結婚前の♀ペンも一緒でした。
黒部源流を徒渉して厳しい登りで平に着くなり、猛烈な雷雨に追われ溶岩の点在するある窪地に避難。雷の嫌いな♀ペンは、たちまち小さい流れとなった中にうつむけに寝ていました。しかし「何してんねん」と冷やかされると、「イワナ採ってんのよ」と負けん気の強い事でした。翌日、三俣経由で伊藤新道を下りました。
8月は勤め先高校の山岳部夏山合宿付添。先月と同じコースで4日目、三俣を通過して双六の幕営地へ。
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(写真は三俣蓮華岳の肩で槍をバックに。中央が変愚院)
ここで雨になり二日間沈澱。テントの中で握り飯を握り寿司に見立てて騒いでいると、隣のテントで聞き耳を立てて本気にしている奴がいて、面白かったです。
万三郎岳(1,405.6m) <92/12> 天城連山の最高峰、「二の山」ご参照ください。
三ツ峠山(1,785m) <98/12/06>
14時半、御坂峠トンネル手前の裏登山口に車を置き歩き出しました。広い道は曲がりくねりながら結構急勾配で登ります。登山道を拾いながら行くと「左手後方、鉄塔の立つ山が目指す三ツ峠山です」という表示がありました。
夕暮れのような濃いガスの中で何も見えません。次第に雪が多くなり小屋近くでは10センチ近くになりました。ウッディで瀟洒な山荘・四季楽園まで登山口から1時間20分でした。
翌日、一晩中、窓を鳴らしていた風は止みましたが、朝から激しいみぞれ。殆ど視界もなく、あきらめて下山しました。
「ぜひもう一度」という願いは、まだ果たしていません。
三星山(549.2m)<02/03>
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紀伊田辺の北、龍神信仰の龍神山と東に隣り合う山。
JACのN先輩と他の山の下見ついでに登りました。巨岩が多く、紀伊水道を見下ろす展望は絶景です。写真のような面白い登りもありました。
三上山(432m) <89/01,01/12>
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近江富士。
湖東平野に浮かぶ独立峰で往事から街道を行く人の目印で、俵藤太(たわらのとうた)のムカデ退治伝説でも有名です。
御上神社前の国道を渡ると表登山口。参道石段を妙見堂跡広場に登ると山道らしくなり、10分ほどで割石に来ます。ここから急坂の岩場ですが、手摺りも設けられていて楽に登れます。次第に湖東平野が眼下に拡がってきます。
頂上すぐ下の大岩は素晴らしい展望台で、湖東平野と琵琶湖の向こうに湖南アルプス、比叡山、比良の山並みから、電波塔の林立する生駒山も見えます。登山口から45分ほどでした。
なお、この山だけでは時間を持て余すので、他の湖東の山とあわせて登っています。またマツタケの時期に行って、入山料が要るので敬遠して帰ったこともあります。(もし500円で採れるのなら安いものですが…)
「三の山」は続きます。