ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

続・山から見た富士

2013-07-24 17:43:47 | 四方山話

私たちの「山から見た富士」をもう少しご紹介します。



美ヶ原・王ヶ鼻(2,008m)から
美ヶ原の最高点は王ヶ頭(2,034m)ですが、少し離れた美ヶ原の西端が王ヶ鼻です。ここに立つと松本平野を隔てて北アルプスが一望のもとに収められます。目を南東に転じれば富士が…。その左、前景に横たわる大きな山容は八ヶ岳です。昔から松本周辺の人たちは美ヶ原全体を王ヶ鼻または東山と呼んで親しんできました。わが息子宅もこの山麓にあり、車で手軽に美ヶ原駐車場まで入ることができます。写真は92年8月初旬のものです。


伊豆天城山系・万三郎岳(1,405.6m)より
頂上三角点付近は樹木が成長して見晴らしが悪く、実際には少し手前の露岩からの眺めです。『富士は思ったよりも高く、大きく青空に突っ立っている』その左には南アルプス、右には箱根・丹沢の山々を従えています。白雪の中で黒い鳥が翼を広げたように見えるのは、宝永山の旧噴火口。ちょっと分かり難いですが、下の小さな白い雲が点々と三つほど見えるのが愛鷹山の稜線です。その手前は大平山。(1992年12月12日)


奥秩父・瑞牆山(2,230.2m)より
前日は金峰山に登り、瑞牆山荘に泊りました。快晴の朝、富士見平を過ぎた小川山分岐から天鳥川に下り、桃太郎岩から荒れた沢状のジグザグの道を登って樹林帯に入りました。突然、右に視界の開けた場所に出て、額縁に入ったような富士が見えた時がこの写真です。更に摩天楼のような岩峰・やすり岩の横を捲き、壊れかけた梯子を二つ登ると、大きな平らな岩の連なる瑞牆山の頂上でした。ここからは真南の方向に富士、その左に昨日登った金峰山が大きく、西には八ヶ岳
、南アルプスの峰々が居並んでいましたが、次第に雲がその姿を隠して行きました。(1994.07.23)


安倍山地・青笹山(1,550m)
安倍川上流の安倍奥と言われる山地は、北の山伏から南へ真富士山、竜爪山まで2000~1000m級の山々が連なって静岡・山梨の県境になっています。中でも間近に眺める富士が美しいことは島田市在住の松本さんに教えられました。彼とは万三郎岳で知り合い、その後も鈴鹿の山などに一緒に登り、今もお付き合いをさせて頂いています。この頃、毎年のように展望の良い冬に「富士を見る山歩き」をしていたのですが、1995年12月10日、松本さんと彼の叔父さん、弟さんが青笹山に私達夫婦を案内してくださいました。 青笹という名の通り全山がササで覆われていて、以前はたいへんな藪漕ぎを強いられたそうです。今はずっと切り開きが続いています。正木峠、地蔵峠、仏谷山、細島峠と縦走して青笹山の山頂に立ちました。頂上はかなり広い草地で、まさに360度の大展望でした。山日記には『東に大きく富士が裾野を伸ばし、…その右に特徴ある愛鷹山、更に右に伊豆の山々が霞む。富士の左に金峰山、瑞牆など奥秩父の山々、その左にハヶ岳、鳳凰三山、今越えてきた仏谷山の肩に真っ白な北岳と続く。北から西にかけては大井川上流の井川高原が近く、その向こうに大無間など。さらに遠く荒川、赤石、聖、上河内、茶臼、光と、雪を冠った南アルプス南部の山々が連なっている。富士の手前には毛無山、身延山など、さらに富士川の流れ、右手に駿河湾と、いつまでも見飽きぬ景色が展開する。』と興奮したように書き連ねています。テントシートに車座になり叔父さんの運び上げて下さった「鬼殺し」で乾杯。この日は私たちの結婚記念日、本当に素晴らしいお祝いをして頂けました。


山梨・竜ヶ岳(1,485m)
かってはスズタケに覆われて登り難い山でしたが、2000年の干支の山で、しかも元旦にダイヤモンド富士が見られるということで県が整備を進め登りやすくなりました。私たちもこの年、毎月干支の「竜の山」に登りましたが、10月初旬に富士に行った翌日に訪れました。低い笹原の登りで経塚跡というピークで稜線に出ると『新しい祠と展望台があり、富士の全景が大きく見渡せた。』曲がり角ごとに富士を見返りながら頂上に立ちました。『南東に秀麗な富士、南西に雨ヶ岳が大きく、西には遠く北岳から聖岳へ居並ぶ南アルプスの連山が望めた。富士は次第に薄衣を脱ぎ、今や山肌もくっきり見えてきた。』ゆっくりと景色を見ながら食事を終えて、富士を正面に見ながら同じ道を下りました。


奥秩父・茅ヶ岳(1,704m )
奥秩父山地の西南部、山梨県北杜市と甲斐市にまたがるコニーデ型火山。1971年3月、日本百名山で知られる深田久弥が登山中に脳卒中で亡くなった山ですが、展望の良いことで有名です
2012年5月下旬、ヒマラヤ・ゴーキョピーク登頂トレッキングでご一緒した齋藤さんの清里高原のペンションでお世話になった翌日、韮崎の饅頭峠近くの深田記念公園駐車場から登りました。尾根に出て「深田久弥先生終焉の地」の碑に手を合わせ、大きな岩の間を直登して9時30分、頂上に立ちました。『南には秀麗な富士の姿、北東中央には金峰山、左に瑞牆山、右に国師岳と奥秩父の山々が並んでいる。西には左から北岳(雲がかかっている)、仙丈岳、甲斐駒ケ岳と続く南アルプス連峰…。』富士はやや遠く霞んでいましたが、素晴らしい展望でした。


どうも富士の話から山岳展望の方にずれた感じですが、最後に飛行機からの富士のうち綺麗に撮れたものを一枚。これは2007年2月、北海道の旅の帰り、夕陽を浴びた富士の姿です。


山から見た富士

2013-07-24 11:22:47 | 四方山話

苦しい思いをして辿り着いた山頂で…ようやく辺りの景色を見回したときに、思いがけす富士の姿を見つけて思わず声を挙げる…山を愛する人は誰しもこんな経験をお持ちのことでしょう。例えば白馬や剣からの富士のように、あまりにも微かで写真に残っていないことも多いのですが、山から見た富士のいくつかをそれぞれの山の想い出とともにご披露します。

南アルプス・甲斐駒ケ岳(2,967m)より
1960年夏、9歳違いの弟と戸台から入山して北沢峠で一泊。翌日は仙丈岳を往復。この日は霧が深く北岳の頭が見え隠れするだけでした。3日目、仙水峠を経て『アサヨ峰の高度と比べながら、ゆっくり登る。富士が次第に大きく雄姿を表してくる。駒津峰の頂上はすばらしい。富士、鳳凰、北岳、問ノ岳、仙丈が絵のように連なっている。』写真は甲斐駒ヶ岳頂上からの鳳凰三山を前景にした富士。この日は七丈小屋に泊まり翌日、黒戸尾根を下山しました。(1960年8月15日)


八ヶ岳・赤岳(2,899m)より
1961年の5月の連休。職場の先輩、大学時代の同級生に山の会の女性2人の混成パーティで渋ノ湯から入山。中山峠から稜線に出ると濃霧で視界は閉ざされ、吹き飛ばされそうな強風でした。夏沢峠の山小屋は夜中、風の音がしていましたが、翌朝は雲一つない五月晴れになりました。硫黄岳のジグザグの登りを終えると素晴らしい展望が待っていました。『横岳主峰の登りで一方所、雪の悪い所があったが、鎖があり、一寸緊張しただけでなんなく通過。富士が美しい。』これは八ヶ岳の主峰・赤岳からの富士。右手前に見えるのは、八ヶ岳南部の権現岳から編笠山に続く山並みです。この日は中山乗越から急な岩場を赤岳鉱泉に下りました。(1961年5月6日)


八ヶ岳・ツルネの頭(2,550m)より
1963年、大阪山友クラブの秋合宿で八ヶ岳縦走。変愚院は15名のリーダー、女子4名の中で♀ペンは食料係でした。初日は夏沢峠手前で幕営。二日目は横岳(小雪降り出す)~赤岳(ガス)を経てキレットで幕営。強風でテントが飛びそうでした。三日目は快晴で明けました。『モルゲンロートの富士、赤岳!全くついている。雑炊を喰ってデッパツ。ツルムの頭で一本。素晴らしい展望。赤岳、阿弥陀、権現はいうに及ばず、南ア、富士、中ア、そして新雪に輝く北アの連峰。…』その時(9月24日)の写真です。この後、権現岳を越したところで一人が足を痛め(アキレス腱損傷)、編笠山を越えて八ヶ岳の長い裾野を、タクシーの呼べる道まで交代で背負って歩きました。今、一枚前の写真で見ると、あの楽しくも苦しかった山行がまざまざと蘇ります。


南アルプス・北岳(3,192m)
日本第二の高峰・北岳への合宿山行は1964年7月。この年の暮、結婚した私達には独身時代最後の山行です。この頃は湊町から「やまと」という夜行列車が出ていました。富士から身延線で甲府へ。翌日早朝、バスで芦安、ここからマイクロバスで広河原へ。樹林帯を登って北岳バットレスが間近に聳える白根御池で幕営。入山二日目、草すべりの急坂を登りきって『稜線に出ると、富士、中ア、北アと素晴らしい展望と冷風が待っていた。しきりに写真を撮り、北岳へ向かう。』これは北岳頂上からの富士です。北岳小屋前の幕営地はキジ場からも富士が見えました。


南アルプス・農鳥岳(3,026m)
翌7月20日は~間ノ岳~農鳥岳と白根三山の縦走。この日も快晴で『農鳥の小屋へかかる頃から日差しが強くなり、頭が痛くなりそう。今日の行程は水が不自由なのが恨めしい』。飲み水が心細くなり、日射病、今でいう熱中症になるメンバーが出て『東農鳥の手前でついにダウン。先にパーティを行かせて空身で歩かせ、ザックを二つ担いで頑張る。』ビバーグまで決意しました。何んとか大門沢を下り遅くから河原にテントを張りましたが、天気が良すぎるのもまた困ったものです。


南アルプス・鳳凰三山(北御室小屋付近より)
1987年7月下旬、職場の仲間6人と鳳凰三山を縦走した時の想い出です。前夜、青木鉱泉で泊まり大小の滝を見ながらドンドコ沢を登ります。五色滝からは『小さな梯子を登るところがニケ所あり、さらに喘登が続く。ようやく尾根に出て、富士がくっきりと見える地点で小憩。』このあと又、河原に下りて水量の少なくなった沢を詰め、鳳凰小屋に泊まりました。


南アルプス鳳凰三山・観音岳(2,840m)より
鳳凰三山は北からオベリスク(地蔵仏と呼ばれる巨岩)で有名な地蔵岳(2,764m)、観音岳(2,840m)、薬師岳(2,780m)が 白い花崗岩の尾根上に並んでいます。
これは上の写真の翌日、『稜線歩きは実に快適、ルンルン気分。白砂青松(ただしハイマツ)の庭園の中の散歩。奇岩怪石、枯れ木のオブジェ、岩陰のビランジ、シャクナゲの花。「ゆっくり楽しもうぜ」と言い合ったのに惜しいくらいに早く観音岳に着いた。ガスが切れて最後のピーク・薬師岳、後に大きく富士が見える。』