ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

カムチャッカ・アバチャ山(8)

2008-08-08 09:31:56 | 山日記


ホテルの玄関で話しかけてきた高校生たち。
英語を習っているので話がしてみたいようすでした。時間がなくて、短い会話だけで残念でしたけど、明るくて笑顔が可愛い少年少女でした。



28日朝、短いカムチャッカ滞在を終えて帰国の日です。バスでペトロパブロフスク・カムチャッカ空港に着きました。



入国に比べるとずっと簡単な出国審査を済ませて、10時前に空港発。



帰りはウラジオストック経由です。乗継のため国内線から国際線のターミナルビルへ移動。
2階にレストランがありますが、1階は小さい免税店が1軒と、なぜかAdidasのTシャツなどを売るスポーツ用品店?があるだけで、通路には数少ないベンチがあるだけ。ここで4時間の待ち時間を過ごすのに、皆さん苦労したようです。

ようやく搭乗して14時50分ウラジオ発。15時関空着。ン…わずか10分のフライト、ではありません。時差が2時間あるので、時計を後戻りさせます。それでも極寒のカムチャッカから炎暑の大阪まで3時間弱、地球は狭くなったものです。
予定通り関空に着いて解散しました。

気心の知れた仲間たちと残雪の山に登り、たくさんの花たちにも出会えて楽しい5日間のカムチャッカの旅でした。いろいろと心配りを頂いたTL鹿田さん、ありがとうございました。



カムチャッカ・アバチャ山(7)

2008-08-07 17:53:27 | 山日記
7月27日。山を下りる日です。朝から霧雨が降っています。
午前中、コリヤーク山麓の方へ花を見るトレッキングをしました。



今年は花の時期がいつもより早いそうですが、ここは谷間になっているので、まだまだいろんな種類の花が咲き残っています。



上の写真に点々と見えるのはウルップソウです。
花の写真は、後ほどゆっくりご覧に入れることとして…
心残りはまだコリャーク山が全容を見せてくれないことです。
ところが昼食をすませ、さんざん地リスと遊んで、迎えのバスを待っているとき…



次第に霧が薄れて青空が見えはじめ、そして遂にコリャーク山(3456m)が全容を現しました。



アバチャ山は真っ青な空をバックに白い噴煙を盛んに上げて、私たちと名残を惜しんでくれました。



車体にヒグマが描かれた帰りのバスが来ました。再び、ガタゴト道をひた走って町へ。
残念ながら午後遅くの市場は半分閉まっていて、品数もまばらでした。



近くの土産物屋で。
このヒグマの剥製が欲しかったのですが、持って帰れないので、カムチャッカ原住民の音楽CDを買いました。



同じパラトゥンカ温泉郷ですが往きとは別のホテル「ブルー・ラグーン」に泊まりました。
ここは新しい施設でシャワー室にはシャンプーもボディーソープも備えてあり、泊り客は部屋のバスタオルを持って別棟の温泉に入れます。
夕食後、温泉に行きました。温泉というより深い大きな温水プールで生暖かい程度です。ロシア人は水着を着てただ浸かっているだけ。変愚院は平泳ぎと抜き手で、その合間を縫って少し泳いでみました。しかし、目に悪そうで一往復でやめて、全長60mのウォータースライダーで遊びました。
曲がりくねって、途中から身体をひねられて暗闇の中に突入するので思わず悲鳴があがり、なかなかスリルがありました。

最後に、ぬるめの露天風呂の趣きがある小さいプールで身体を温めて部屋に帰り、帰国の準備をすませてぐっすり眠りました。

カムチャッカ・アバチャ山(6)

2008-08-04 18:01:46 | 山日記


砂走りのような道(写真右手の溝状のところ)は一歩踏み出すと三歩ほどザザーッと進むので、かなりはかどります。
驚いたことに、この時間から登ってくる人があって、小さい子供連れはともかく若い女性の赤いビキニ姿には唖然としました。
そういえば昼食時に太鼓腹を突き出した裸の大将を見ましたし、ロシア人は寒さに強いのか、それとも束の間の夏を謳歌しているのか…ともかく元気なものです。



あっというまに、悪魔の指コルに来ました。振り返ると、山頂がもうあんなに高く
なりました。



2000m地点を過ぎた分岐から右に折れて、再び長い砂礫帯の下りになります。
点々と岩間に咲くのはクモマグサの仲間…



チシマクモマグサ(ユキノシタ科)です。



行く手の雲海の上に、一昨日登ったラクダ山の先鋒が顔を出しています。
中国の山水画のような世界です。
ラクダ山の下を捲いて雪渓を渡り(二人の女性は尻セードも楽しみました)、見覚えのある道に出ました。



下りは3時間少し、ちょうど午後9時にベースに帰り、キャンブ場長に笑顔と拍手で迎えられました。
夕食のお祝いパーティにはTLが用意してくれたご馳走が並び、ビールとウォッカで乾杯。
最後は、イクラとタラバガニとサーモンに刻み海苔とワサビ、醤油を添えた豪華な海鮮丼で満腹し、登頂できた喜びがジワジワと沸いてきました。

カムチャッカ・アバチャ山(5)

2008-08-03 10:24:43 | 山日記


「悪魔の指」の少し先はコルになっていて、大きなゴミ箱のような金属の箱が置いてあります。地震観測機材が入っているようです。コルの左側はすっぱりと切れ落ちて、小槍のような形の岩峰と氷河が見下ろせます。
推定標高2250m。14時15分。頂上まであと標高差500m、ここからが正念場です。崩れやすい砂礫のジグザグの登りになり、カメラはザックにしまい写真を撮る余裕もなくなりました。
登頂を終えたひとが次々と下ってきます。大股で砂煙を巻き上げ駆け下りるので、頻繁に落石が起こり、その度に「バニ!」と大声で知らせます。どうやらロシア語で石のことのようです。先行した同じツァー会社の別パーティも下ってきました。

ジグザグの粗い砂礫の道が急斜面の直登になり、まさに「三歩歩いて二歩下がる」状態になりました。後ろに続くメンバーに迷惑を掛けまいと気は逸るのですが、如何せん足が思うように前に出せません。最後の100m程は細い布ロープがついています。外側が剥けて中の芯だけが残る頼りない状態で、左側の斜面に切れた残骸が捨ててあるのが見えます。しかし、この細い「蜘蛛の糸」がまさに「頼みの綱」で身体を山側にして少しずつ前進。途中で金髪の少年がうずくまっていました。若い人でもシンドイんだな、とか老骨を励まして、立ち止まって息を整えては足を動かします。

ロープが終わると、TLが笑顔と握手で迎えてくれました。まだ先があると思っていましたが、ロープの終わったところのすぐ横が山頂でした。時間はなんと17時。



山頂は火口壁の一角で、富士山の登山道でいえば富士宮頂上にあたるところです。
(写真の左側から登ってきました。右側は火口で盛んに噴煙が上がっています。)



仲間の入れてくれた暖かい紅茶を頂いて、後の岩に登りました。
右はロシアのYMCAのような団体に同行したTV取材班。



しばらく休憩後、全員で少し先の最高峰とおぼしきところまで行ってみることになりました。
富士でいえば剣ヶ峰へのお鉢巡りです。



最高峰頂上から火口を覗きこんだ写真です。岩肌に黄色い硫黄の華がつき、風で噴煙が流れてくると硫黄の匂いが鼻につきます。



2741M峰を背に。ここから見ると、あっちが高いようにも…
17時40分、すぐに引き返して下山にかかります。(続く)

カムチャッカ・アバチャ山(4)

2008-08-02 12:09:25 | 山日記
7月26日、アバチャ山登頂の日です。残念ながらどんよりした曇り空で、コリャークもアバチャも、ラクダ山さえも雲の中に隠れています。
ザックには雨具、防寒具などの他、配給されたビニール袋の食料(チーズとサラミのサンドイッチ各1、ナッツ小袋、アンズ小袋、チョコレート小2、リンゴ、キャンディー数個、サクランボのジュースパック2)と水1.5Lを入れました。



午前8時、BC発。時間が遅いのは前に出発したパーティとの時間調整のようですが、夜は10時を過ぎても明るいので余裕たっぷりです。同行は山岳ガイドのワレンチンとニコライ、そしてスラーワ。TLのSさんもこの山に何度も登っているので心強いです。
ラクダ山への広い道と分かれて右へ、チシマフウロの群落を見ながら流れに沿って少し行き、対岸のジグザグ道を少し登るとケルンが三つ並ぶ台地に出ました。
スラーワの説明では「雪の季節にガイドレスのトレッカーが霧で道に迷い死んだところ」でケルンはその慰霊碑でした。
ここ(上のルート図で線の始まる地点)から、いよいよ登りになります。図の右へカーブする辺りで初めての休憩。最初はBCで残留予定の女性と、写真目的の参加で2000m迄同行予定の男性も含めて、2000M(図のP3)までは全員で行動するのでかなりゆっくりしたペースです。

(P1~P3は一応の目安としてあくまでも私が勝手につけたものです。)




9時40分、P1(1330m?)で2回目の休憩を終えて出発したところ。少し下って前に見えるP2(1550m?)に登り返します。
この辺りに来ると、砂礫のなかに所々クモマグサがしがみつくように咲いているだけで、他は岩に地衣類がついているだけの荒涼とした風景です。



雲の上に出てラクダ山が下になりました。コリャークは山裾だけが見えています。
しばらく急登が続いてP3に続くなだらかな赤茶けた砂礫の尾根に出ます。
推定1900m地点の岩陰で昼食(12:40)。



昼食を終えて出発(13:25)。この先の分岐から左に下る二人と付き添いのニコライとはここで分かれました。この先はもう引き返すことはできません。
正面の「悪魔の指」と呼ばれる奇怪な岩峰が近づきます。



P3(標高2000m地点)には岩室があり、前でロシア人が食事をしていました。
二、三人なら何とか風雨をしのげる程度の小さなものです。
正面に大きくアバチャ山が立ちはだかっています。あと標高差740m。(13:50)



空が青みを増してきました。この雪渓は見えている道を辿らず、縁を斜めに登って岩峰の下の短い部分だけ雪の上を行きました。(つづく)

カムチャッカ・アバチャ山(3)

2008-08-01 08:06:01 | 山日記
この辺で少し、基地(ベースキャンプ)のことをお話ししましょう。



左にコリャーク山(3456m---なんと覚えやすい数字)、右にアバチャ山(2741m)、その間にラクダ山(1200m)を望む標高800mの台地は、日本のGW頃の快適な気温です。
ただ蚊と栗鼠が多く、カトリス…でなくても結構ですが虫除けは必携です。



ヤナギランはここへ来るまでにもたくさん見ましたが、残雪の山をバックにスックと立つ花は健気に美しく見えます。
この花はカナディアン・ロッキーに行った時には「Fire Weed(火事の花)」と呼ばれていましたが、ここロシアでは「Ivan Chai(イワンのお茶)」というそうです。



周辺にはミヤマアズマギクも群生しています。



地リス。基地の中や近くを走りまわっています。
とても人に慣れていて、クルミやビスケットなどを手に呼ぶと、キョトンとこちらを見て、駆け寄ってきて「頂戴」をします。
私たちのキャビン床下にも巣穴があって、盛んに出入りしていました。



日本のリスと違って尻尾が短く、ボルネオ・キナバルの地リスとも少し違って、どちらかというとカナダの山岳地帯で見たマーモットに似ています。
目がとても可愛いベースキャンプの人気者です。



食堂の内部。奥に見えるのは調理室の一部です。
ロシア人のスタッフは左が山岳ガイドのワレンチン、右がスルーガイド兼通訳のスラーワ。
スラーワは非常な勉強家で、露和大辞典とキャノン製の電子辞書をザックに入れています。
帰りのバスの中では向かい合わせに座った私に、何かと話しかけてきました。
電子辞書はアキバハラで買ったとかで、「先月そこで無差別殺傷事件(もちろん言い換えて)があった」というと、根掘り葉掘りの質問攻めにあって閉口しました。