ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

2012ネパールの旅 10 (ポカラ 3)

2012-12-17 06:00:00 | 旅日記

ペワ湖はポカラで二番目に大きい湖で朝、訪れたデヴィッド・フォールはこの湖から流れ出すバーディー川がゴルジュになった処に懸かっています。河口付近がダムサイド、少し先の湖岸はレイクサイドと呼ばれて、どちらもホテルやレストラン、商店(最近は登山用品店が増えた)が多く観光の拠点になっています。

今日の昼食はボートで湖を遊覧しながら対岸のレストランに渡って摂ります。船着き場には黄や紫の美しい花が咲いていました。

紫色の花はアサガオそっくりですが、よく見ると葉はトケイソウに似ています。

ボートは足こぎ式でガイド、添乗員さんがそれぞれ分乗して6人づつ二隻で湖に漕ぎ出します。



こんな感じで手で舵を取り、足でペダルを漕ぐのは、けっこう重労働のように見受けました。

日の出をみたサランコットを見上げながら進みます。

対岸が近づいてきました。石段を登った下の階、ガラス張りのところがレストランです。赤い服を着た女性が出迎えてくれて、一人ひとりのオデコに赤いティカを付けてくれます。

ティカは本来は女性だけのもので、男子はお祭りや儀式などのときに司祭に付けて貰うものだそうですが、観光客には歓迎の印として男女とも頓着なし&否応なしに付けられます。で…スープが来たところで取りあえず、こんな顔でエヴェレストビールの乾杯。

ライムジュースとスープの後で

メインディッシュの魚のグリル。スパゲティ。付け合せのジャガイモやトマトなどの野菜が本来の味でとても美味しかったです。
魚はあっさりした味でした。海のない国ですからおそらく淡水魚、それもこの湖のものだろうと言い合いながら食べました。

デザートの蜂蜜を掛けたドーナツ。

食事を終えてボートに帰ります。

元の船着き場から少し湖岸を散歩して、レークサイドの昨日のレストランの近くまで歩きます。魚をぶら下げた若いペアに出会いました。
名前を聞くと「マチャ」。ちゃんと「名前は」と聞いたのに、マチャは魚やろ…それは分かってんねん。一般にこんな大まかなことが多く、先ほど食べたのもどうやら、ここで撮れた魚のようです。

鮮やかな民族衣装の女性が洗濯をしています。(Photo by Inocchi-san)

三頭の水牛が歩いてきました。丘の上に見える白いストーパ(仏塔)は日本山妙法寺。標高1113mの丘の上にあり、麓から1時間ほどのハイキングで行けるそうです。湖に浮かぶ島には、バラヒ寺院という二層のパゴダ形式のヒンドゥー寺院があります。

ここの船着き場には、バラヒ寺院に参詣する人のためのボートがぎっしり並んでいます。


順番を待ってボートに乗り、次々に島を目指します。漕ぎ手が付いているのは観光用の舟。土曜日になると更に人が増えるそうです。この寺院に祭られているのはシャクティ(女性の力)の守護神・アジマ神の化身であるイノシシです。(Photo by Inocchi-san)

そのため女性の参詣者が多く、雄の動物を捧げるのが習わしだそうです。(Photo by Maru-san)


2012ネパールの旅 9 (ポカラ 2)

2012-12-15 09:20:22 | 旅日記

オールド・バザールは現在のバザールの西側にある古い町並みです。かってはチベットなどとの交易の中心となったところですが、今はひっそりした「たたずまい」です。

広い通りの両側、約100mほどの間に煉瓦作り3階建ての家が続きます。特徴的な形の窓が並びます。横の窪みには灯りを置きました。

上は住居で1階が商店ですが、店を開いていないところが多いようです。ウシを飼っているお家もありました。

このお店は珍しく営業していました。
オールドバザールを見たあと、
次に現在のバザールへ向かいます。

ニュー・バザールと呼ばれるこの辺りは様々な商店が並び、銀行やコンビニもあり、露店も出て活気に満ちています。
交差点の電柱にご注目ください。恐ろしい数の電線が集中しています。

その下にはこんなものも。八岐大蛇ならぬ四岐のコブラ。頭にティカを付けているので神様の一族?

しばらく自由行動になり、商店街をぶらついてみました。衣料品店、雑貨屋や食料品店を始め登山用具店など雑多な店が並んでいます。

色鮮やかな香辛料を売る露店。

こちらは果物の露店。今はフルーツが美味しいシーズンです。

バス停の前を買い物を済ませたお母さんと子供が通ります。

今回のツァーでよくみた運搬用具です。向かい側のバイク屋さんも大賑わい。

そんな混雑の中を悠々とウシが歩いているのが、いかにもポカラらしい風景でした。


2012ネパールの旅 8 (ポカラ 1)

2012-12-14 08:37:07 | 旅日記

ポカラはトレッキングの基地、日本アルプスでいえば松本のような町です。かってはインドとチベットを結ぶ交易路の要地でした。800mほどの標高なのでカトマンドゥに比べると温暖な感じです。

まずパタレ・チャンゴに行きました。ネパール語で「地獄の滝」の意味です。入口に「DEVI'S FALL」とあるのは、デヴィッドというスイス人がトレッキング中に溺れたことから付けられた名前です。

ペワ湖から流れ出したバーディ川が滝になって水飛沫を上げています。

この辺り深いゴルジュ状になっています。

「幸せの泉」。コインを投げて、うまく中央の丸い部分に乗ると幸せが来るとか。

バス停の近くを悠々と歩く野良牛。ネパールでは牛は神聖な動物ですから、むやみに追い払ったりはしません。

樹林に包まれた丘の上にあるヒンドゥー・バシニ寺院です。境内中央にあるドゥルガー(殺戮の神)祠堂に入る長い行列ができています。
犠牲(いけにえ)に捧げるニワトリをぶら下げた人もいました。中に入ると首を落とされ、流れる血が聖なる皿に注がれます。ヤギを抱えてくる人もいますが、最近は残酷な風習ということで下で売っている供物に変わりつつあるということです。

クリシュナ神を祀る本殿。クリシュナを祀る神殿の前には必ず乗り物のウシが待っています。

繁栄の神・ヴィシュヌを祀る神殿。ヒンドゥー・バシニ寺院はこのように三つの神を祀る複合寺院です。

境内を出て、次はオールドバザールへ。


2012ネパールの旅 7 (サランコット)

2012-12-13 08:20:51 | 旅日記

11月28日(水)午前5時半、まだ真っ暗なうちにホテルを出てサランコットへ向かいます。
サランコットはポカラ郊外にある標高1,500mほどの丘陵でヒマラヤの展望地として有名です。丘の上の方へ行くほど車が混み合うので、少し下の広場に車を停めて広い道を歩いて登ります。今日はここのレストランの屋上から夜明けのヒマラヤを見てから朝食になります。

寒さをこらえて見守るうちに、高い山の頂から陽が当たって次第に下りてきます。マチャプチャレの鋭鋒がバラ色に輝きだしました。溜息がでるほど美しい光景です。
 マチャプチャレの標高は6,993m。並み居るヒマラヤ・ジャイアンツに比べると高さでは劣りますが、ここから僅か30km足らずしか離れていないのでその迫力は圧倒的です。山名は「魚の尻尾」の意味で、ここからでは重なって一つに見えますが
山頂部が二つに分かれた双耳峰です。

マチャプチャレの右に少し離れたアンナプルナ4峰(7,525m)とアンナプルナ2峰(7937m)

少しずつ空が明るみを増してきます。マチャプチャレの左の大きな山容の左端はアンナプルナ・サウス(南峰7,219m)。
人類が初めて登った8000m峰・アンナプルナ1峰(8,091m)は、サウスとマチャプチャレの中間辺りの奥に見えたのですが、私のカメラには捉えられませんでした。

マチャプチャレの右に見える台形の山はアンナプルナ3峰(7,556m)、右端に見える4峰は白く輝いてきました。

上の写真の右側に続きます。アンナプルナ4峰と2峰から少し離れて、中央にどっしりとした姿を見せるのはラムジュン・ヒマール(6,986m)です。眼下に見えるポカラの街もペワ湖も目覚めてきたようです。

まるでアドバルーンのような真っ赤な太陽が昇ってきました。見守る人々の間から期せずして一斉に歓声が揚がります。

次第に山々の姿がくっきりと現れてきます。これはアンナプルナサウス。しかし、山裾には朝霧が湧き始めました。

マチャプチャレの岩峰の襞もはっきりと見えます。

存分に荘厳なヒマラヤの夜明けの景色を見たあと、二階のレストランで朝食を取りました。階下の道路に面した一画はミシンが置いてあって、工芸品の即売店になっています。この辺りは織物でも有名なところです。

道路を下っていくと珍しい花に出会います。これはツボミのままで終わるハイビスカスの仲間。

こちらはアゲラダムという名だそうです。(花の写真二枚はイノッチさん撮影)

可愛い女学生に出会いました。ネパールの教育制度は小5・中3・高3制ですが、最近は中学校の上に2年間の上級中学校を設ける学校もあるようです。中学校までは義務教育の建前ですが、実際に通学できるのは経済的に恵まれた家庭の子女に限られます。一方、学校に行かず、幼い時から家庭の貴重な労働力となる子供たちも大勢います。

待っていたバスに乗って、これからポカラの観光です。


2012ネパールの旅 6 (パタン 3)

2012-12-12 08:46:58 | 旅日記

ヴィシュワナート寺院の前にある古い水場はマンガ・ヒティといい、今も人々が大事に使っています。



その南側はパタンの王宮の区域です。王宮は中庭(チョーク)を建物が囲む形になっています。
一番北側にあるのがマニ・ケシャブ・ナラヤン・チョーク。1997年からパタン博物館として公開されています。玄関は黄金で飾られていてGolden Gate と呼ばれています。1999年には内部に入って多くの美しい仏像や神像を観ましたが、今日は時間がないので割愛します。

せめてチョークに入ります。入口の柱にも美しい装飾が見られます。

中庭にずらりと足首の形をした白いものが並べられています。前には見られなかった光景です。傍にいた係員に「ヨ・ケ・ホ(これ何や)」と聞くと「○X△?」という答え。首を傾げていると傍にいた女性が英語で「Art」と教えてくれました。どうやら臨時の催しがあったようです。

チョーク西側のタレジュ寺院。王家の守り神が祀られています。

扉の両側にある黄金の観音像のひとつ(Photo by Maru-san

自由時間が終わり、集合して広場を南に歩きます。南端のシヴァ寺院の前からダルバール広場を振り返りました。

トラヴァファン国際空港はパタンからも遠くありません。入口のゲートを潜ります。

しばらく待ってポカラへの国内線に乗りました。

カトマンドゥから西に200km離れたポカラまで車では数時間かかりますが、美しいヒマラヤの山々を眺めながら

わずか40分ほどのフライトで着きました。

いったん今日から3連泊するホテル(Phokhara Grande)に荷物を置いて、レイクサイドのレストランで夕食。

献立はトマトのスープと

ダルバート。ダル=豆、バート=ご飯。ご飯と豆のスープ、色んなカレー味の豆やチキンや野菜、漬物などの定食です。

夕食を終えて外に出ると、町はすっかり暮れていました。隣りにある本屋さんを冷やかしていると、突然の停電。
このあと、ホテルでも何度か停電がありましたが、幸い自家発電ですぐに回復しました。


2012ネパールの旅 5 (パタン 2)

2012-12-11 08:47:07 | 旅日記

 

パタン(PATAN)観光の中心地、ダルバール広場に来ました。17~18世紀のネワール文化の華ともいえる様々な建築物が、広場全体をびっしりと埋め尽くしています。これは広場の南から西側に並ぶ寺院群を見たところです。

小さなお堂はヴシュヌ寺院。ここでガイドのラジャン氏の説明を聞いたあと、しばらく自由見学の時間になりました。

この入域許可書を首にかけて歩きます。

ヴシュヌ寺院の前に立っている石柱の上にはヨーグマレンドラ・マッラ王が座っています。

背中にコブラを背負っているのがお分かりでしょうか?

 

広場を北へ歩きます。これはハリシャンカール寺院。

(Photo by Inocchi-san)
この石柱の上にあるのは王様ではなくガルーダ。前に見える石造のクリシュナ寺院に祀られているクリシュナの化身・ヴィシュヌの乗り物である鳥人です。

(Photo by Maru-san )
クリシュナ寺院。パタンのダルバール広場で一番目を引く石造の寺院です。2階にクリシュナ、3階にシヴァ、4階にブッダとヒンドゥー教と仏教の両方の神仏が祀られています。特にここパタンなどカトマンドゥ盆地では両教の混淆が見られるようです。なお、共和国になってヒンドゥー教は国教ではなくなりましたが、(信仰の自由化という感じではなく、ヒンドゥー教徒だった国王が無力になったため??)依然として信徒の割合では多数を占めています。

更に北へ歩を進めます。二頭のゾウに守られた寺院はヴィシュワナート寺院です。

その隣にある三層の寺院は広場最北端にあるビムセン寺院です。ここから南に引き返しましょう。(続く)


2012 ネパールの旅 4 (パタン 1)

2012-12-10 09:01:32 | 旅日記

パタン(PATAN)はカトマンドゥの南5km、パグマティ川を渡ったところにある町です。1999年に訪れたときには、大阪から大和川を渡って堺へきたようだと思いました。この時はカトマンドゥから南下してダルバール広場の近くまでタクシーで乗り入れましたが、今回は渋滞がひどいということで南側から街に入ってバスを降りました。

別名「ラリトプル(美の都)」と呼ばれるだけに、この町には街角のちょっとした祠の飾りにも芸術の香りが漂っています。町の住民の多数を占めるネワール族は、工芸や彫刻、美術などの技に優れているのです。

それを証明する「タンカ学校」を見学します。看板にはSchoolとありましたが、工房兼ショップといった感じです。

タンカは仏様や曼荼羅などを描いたチベット仏教の仏画です。一枚一枚が手書きで金泥をたくさん使ったものが上等で、この店でも高いものは日本円で何十万円もします。

ショッピングタイムになったが、前にパトンの別の店で買っているので、窓から前の寺院を写したりして過ごしました。

両側に小さい店の並ぶ道を歩きますが、絶え間なく響く、けたたましいクラクションの音に脅かされます。以前はせいぜい自転車だったのに、今はバイクが我が物顔に狭い道を走り回っています。現地ガイドのラジャンさんによると、殆どが一ヶ月2~3000ルピー(日本円とほぼ同じレート)のレンタル・バイクということです。まさに10年ひと昔。危なくて、静かだった往時の灌漑にふけってもおれません。

ようやく広い道に出ました。マスクをして歩きましたが、排気ガスと土埃で喉がいがらっぽくなりました。

高い塔のある寺院が見えてきました。塀の前にはお供え物を売るお店が並んでいます。

パタンで唯一の五層の屋根を持つクンベシュワル寺院。 シヴァ神を祀るパタン最古のヒンドゥー寺院です。



クンベは水瓶、イシュワルは神の意味で、境内に湧き出る聖水の源は遠くヒマラヤ山麓の湖・ゴサインクンドに発すると信じられています。

ゴールデンテンプル Golden Temple の二頭の獅子が守る狭い門を潜ります。

門の天井を見上げると精巧な石のマンダラが目を引きます。
門の周囲は回廊で、石階を降りて中庭に入るにはベルト、靴などの革製品を受付で預けるようになっています。

本堂も中庭に立つ小さいお堂もすべて金箔に覆われています。最近、金箔が新しく張り替えられて一層きらびやかに輝いています。
「黄金寺院」が通り名ですが、正しくは クワ・バハールとヒラニャ ヴァルナ マハヴィハールという二つからなる寺院です19世紀に成功したパタンの貿易商人によって、現在のバゴダ形式の建物にりましたが、建立は9世紀(12世紀とも)にも遡るといわれる、ネワール族にとって大切なチベット仏教の寺院です。

御本尊(Photo by Inocchi-san)を拝まして頂き、

回廊二階からチョーク(中庭)のお堂(Hiranya Varna Mahavihar ・ヒラニャ ヴァルナ マハヴィハール)と

本堂(クワ・バハール)を見たあと、

暗い階段を上がり、入口に大きなマニ車が置いてある二階僧院を見学。正面には観世音菩薩が安置されていました。

黄金寺院の見学を終わり、次はダルバール広場に向かいます。


2012ネパールの旅 3 (ナガルコット)

2012-12-08 14:19:52 | 旅日記

 

クラブヒマラヤ・ナガルコット・リゾートはバス停のすぐ上にある高級ホテルです。(写真は翌27日出発時)

ガラス張りのレストランからもヒマラヤの山々を展望できます。

各部屋にはヒマラヤの山名がついています。私たちの部屋は「マカルー 8481m」。テラスからヒマラヤが見える最上階にありました。

さっそくレストラン屋上から展望を楽しみました。ここから見えるのは主にランタンの山々で、正面に夕陽を浴びているのはガネッシュ・ヒマール山群、左はマナスルへ続く山群です。エベレストなどのクーンブの山はずっと右になります。

太陽が西に沈みます。風が出てきて祈祷旗をはためかせています。

次第に雲が湧いてきて右のガネシュ・ヒマール1峰(7406m)が顔を隠しました。やや低い3,4峰(右)だけが残照を浴びています。
さすがに冷えてきて寒さを感じます。

11月27日。美しいヒマラヤの夜明けです。残念ながら朝靄に霞み、肉眼で見えた山々は写真ではぼんやりとしか写りませんでした。

朝からしっかりと栄養を補給して…

 
前の庭園に出ると…

 
こんな鳥も散歩していました。

ホテルに別れを告げてバスに乗り込みます。すぐ町の中心の交差点です。

肝を冷やすような絶壁の上の道を下っていきます。

下の街が見えてきました。ン、今頃、桜の花が…

(Photo by MARU-san)

このあと、あちこちで見たヒマラヤサクラです。標高1200mから2400mほどのところで生育する野生のサクラで、冬に花を咲かせます。高さは大きなものでは30mにもなります。思いがけず時期外れの花見を楽しみながら、バスは一路パタンを目指して下っていきます。


2012ネパールの旅 2 (バクタプル- 2)

2012-12-06 17:06:14 | 旅日記



ニャタポラ寺院の基壇の最上層からは、広場を取り巻く建物の向こうにバクタプルの町と緑の野、そして町を取り巻く山並みが見えました。空気が澄んだ朝ならヒマラヤの白い峰も見えることでしょう。



煉瓦を敷き詰めた広場の左に見えるのは、ヒンドゥーのシヴァ神の化身を祀るバイラブナート寺院です。



正面から見たところです。17世紀に建てられたときは一層でしたが、18世紀に二層に増築され、さらに大地震のあとで現在の三層の姿になりました。



広場を囲む建物は赤い煉瓦造りで、窓の形が特徴的です。



しばらく商店の並ぶ石畳の道を歩きます。



ここはバクタプルで最も古い広場・タチュパル広場です。ダッタトラヤ広場ともいいます。かっては町の中心部であり伝統的なネワール建築も残っています。



広場中央に立つダッタトラヤ寺院。1427年、ヤクシャ・マッラ王の時代に建てられ、なんと一本の木から彫りだされたといわれています。御本尊のダッタトラヤはヴィシュヌ神の化身なので、前にはその乗り物であるガルーダの像が立っています。また先ほどニャタポラ寺院で見た「伝説の戦士」も控えています。またダットラヤは仏陀とも縁があるので(ブッダの従兄弟)、仏教徒にとっても大事なお寺です。



これから私たちが入る通りの前方から賑やかな鉦や太鼓の音が響いてきました。



今日は何かのお祭りがあるようです。ネパールには人間よりも神々の方が多く住んでいるといわれ、毎日どこかでお祭りがあるといっても過言ではないでしょう。これまでの訪問でも何度か、いろんなお祭りに出会いました。



鮮やかな色の衣装を着た人々の行列が通り過ぎるのを待って、細い通りに入ります。



ブジャリ・マートは元はヒンドゥー教の僧院でしたが、今は木彫り博物館になっています。一見したところはお土産屋さん風ですが、看板に「PEACOCK WINDOW HANDCRAFT CENTER」とあるように、上の「孔雀の窓」が有名です。



羽を拡げたクジャクの周りによく見ると35羽の小さな鳥が並び、他にも悪魔と言われる人物像など、ネパール工芸の最高傑作と世界的に評価されています。



同じ通りにある「紙漉き工場」を見学しました。原料は高地で採取されるミツマタの類・ロクタ。作り方もこれまで日本各地(奈良県では国栖)で見た和紙の作り方によく似ていました。即売もしていたので、てっきりショッピング・タイムと思いましたが、あっさり外へ。



すぐにバスの待つ広い通りに出ました。野菜の露天市が開かれています。


今宵の宿はナガルコット。カトマンドゥからは北東に32km、離れています。バスは曲がりくねった道を登っていきます。



道路脇に点在する民家の庭先には真っ赤なポインセチアやブーゲンビリア、また黄色いジャガランタ(他所では紫色が普通)やマリーゴールドなど、美しい花が咲き乱れています。前の地元のバスには屋根まで人が乗っています。ナガルコットの村に入るとY字形の分岐にバス停があり、商店もありました。標高2100mほどのこの丘陵地はヒマラヤの展望台として知られ、たくさんのホテルやロッジが点在しています。私たちはそのうちの一つ、Club Himalaya Nagarkot Resort  に入りました。

2012ネパールの旅 1 (バクタプル-1)

2012-12-05 10:30:02 | 旅日記

この前にネパールを訪ねたのは2006年、ギャネンドラ国王の独裁時代でした。その後、民主化運動の高まりで王政は倒れ、現在の政体はネパール連邦共和国となりましたが、まだまだ政情は不安定なようです。一観光客の目で見たネパールの現状も、ありのままお伝えできればと思います。

11月26日、0時30分関空発で旅が始まりました。今回はJ社の「ネパールベストハイライト8日間」ツァーですが、集合が前日なので、すでに2日目です。12人の小じんまりしたグループで、うち5人が私たち「イタ友」山仲間です。おかげでバンコクで長い乗り継ぎ時間も退屈せずにすみました。


飛行機の窓越しに見るエヴェレスト (Photo By INOCCHI
san)

バンコクからは3時間半、ヒマラヤを見ながらのフライトで13時45分にカトマンドゥへ着きました。専用バスで今夜の泊地・ナガルコットへ向かう途中、まずカトマンドゥから東へ15kmほど離れた古都・バクタプルを観光します。



バクタプル(BHAKTAPUR)は田園地帯の小高い所にあり、バドガオン(帰依者、信仰の町)と呼ばれる、中世の面影を残す古い町です。バスを降りて赤レンガを敷き詰めた静かな道を少し歩くと、大きな木の下の祠を二匹の獅子が守っています。



左に折れて坂を上るとダルバール広場です。(ラジュ)ダルバールは王宮の意味で、ダルバール広場はカトマンドゥにもパタンにもありますが、このバクタプルが一番美しいと言われています、この白い門は「獅子門」(LionGate)と呼ばれ、両側に獅子像があるということですが見逃しました。



広場に入って正面を見たところ。右はパシュパティナート寺院。左奥の寺院はバグバティ寺院、その前にマッラ王の石柱が見えます。広場の左側が旧王宮です。



ブパティンドラ・マッラ王は17世紀終わりから18世紀にかけてネパールを治めたマッラ王朝の一人。彼が神に祈りを捧げる姿を刻んだこの石像は、ネパールの石像で一番美しいといわれています。



旧王宮の右翼部分は「55窓の宮殿」と呼ばれています。それぞれの窓には美しく精緻な装飾が施されています。



旧王宮への入り口「Golden Gate」。門の周囲はヒンドゥーの神々の姿の彫刻で飾られています。



この石造寺院はバトサラ・ドゥルガ寺院といいます。インドのシカラ様式と言われる建築様式です。右の二層になっているパシュパティナート寺院は、バクタプル最古の寺院(1492年建立)とされています。シヴァ神の化身の一つパシュパティを祀っています。屋根の支柱の彫刻がなかなかエロチックなんですが…。



この寺院の前から細い道でつながるトゥマディー広場へ急ぎます。ゴールデンゲート左の白い建物も王宮の一部です。



広場に入りまず目を引かれるのが、このニャタポラ寺院です。30mの高さがあり、1702年にプパティンドラ・マッラ王が建立したカトマンドゥ盆地で一番高い「五重塔」の寺院です。



石段の両側には守護神として、下から順に伝説の戦士(ジャヤ・マッラとバッタ・マッラ)、象、獅子、グリフィン、女神の像が並んでいます。

(Photo By MARU-san)

この戦士は人間の10倍の力があるとされていて、象は戦士の10倍、獅子は象の10倍と上に行くほど、その力は10倍づつパワーアップしていきます。このように厳重に守られている御本尊も女神さまですが、扉は釘付されていて一度も開かれたことがないとか…。しかし、この地方を襲った1934年(変愚院の生まれた年)の大地震にも、この寺院は殆ど被害はなかったそうです。女神の力によるかどうかは別として、往時の技術力の高さを示しています。     それでは5層の基壇を登ってみましょう。(続く)