庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

今夏

2007-07-01 21:55:03 | 自然
今日から7月だ。今年も、はや半年が過ぎた。室温が時おり30℃を超え、扇風機が手放せなくなった。私はめったにエアコンを使わない。そもそも私の部屋にはエアコンがない。暑いときは大汗をかき、たまらなくなったら水風呂に飛び込む。これがこの20数年来の蒸し暑い夏の過ごし方だ。

南国育ちで、もともと暑さには強い方だが、しばらく海を離れていたせいか、はたまた歳のせいか、この数年“夏バテ”というものを経験するようになった。しかし、今年は、猛暑よいつでもおいでなさい・・・というくらいの気分だ、今のところ。この春から海に復帰して、再びちょくちょく水に漬かり風に吹かれているということもあるのだろう。

「父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深い」ということわざがあるが、父も母も海山自然の恩を離れて存在することはできない。「大宇宙の運行自体が慈悲の行業(ぎょうごう)」と言った先人がいた。近頃、折に触れて、ほんとにそうだ・・・と感じることが多い。

人間が、この宇宙・自然界の慈悲に対して、いつまでも不知恩(恩知らず)であれば、その結果は必然的に悲惨なものになるだろう。いや既に、その果報は過去幾多の文明が厳しく体験済みのことで、現代の私たちの文明世界も、さまざまな苦悩や不幸という形で受け取りつつあるように見える。

さて、では何をどうすれば、その大恩に少しでも応え、自らの生活を無用な不安や苦悩から開放することができるのか・・・少々想い至るところあり、数年前から可能な限り採用しているのが、“あえて、ゆっくり進む”という姿勢で、「少欲知足」の私なりの実践方法だ。それは子供の頃から慣れ親しんできた競争原理とは正反対の方向性を持つものでもある。

それを調和原理と呼んでも良いかもしれない。その効能・効果のいくつかは、自分の幸せを人と比較しない(そもそもそんなことができる訳がない)、目的までの過程を楽しむ、目に見えるものより見えないものに価値を見出す、強いものより弱いものを大切にするようになる、役に立つものより役に立たないものの方が実は役に立っているということが分かるようになる・・・等など、色々あって面白い。

いつまでも浸っていろよと夏の海 きみの世界が始まりの時
- 寛太郎