庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

孔子伝 白川静

2007-07-11 00:07:34 | 拾い読み
・・・孔子自身は、神秘主義者たることを欲しなかった人である。・・・・ただ孔子は、たしかに理想主義者であった。理想主義者であるがゆえに、孔子はしばしば挫折して成功することはなかった。世に出てからの孔子は、ほとんど挫折と漂白のうちに過ごしている。p8

・孔子は偉大な人格であった。中国では人の理想態を聖人という。聖とは、字の原義において、神の声を聞きうる人の意である。孔子を思想家というのは、必ずしも正しくない。孔子はソクラテスと同じように、何の著作も残さなかった。しかし、ともに神の声を聞きうる人であった。・・・人の思想がその行動によってのみ示される時、その人は哲人と呼ぶにふさわしいであろう。p9

天の思想 - むかし、天と地とは一つであり、神と人とは同じ世界に住んでいた。それで、心の精爽なものは、自由に神と交通することができた。神の声を聞きうるものは、聖者であった。p84

・人はみな所与の世界に生きる。何人も、その与えられた条件を超えることはできない。その与えられた条件を、もし体制と呼ぶとすれば、人はその体制の中に生きるのである。体制に従順することによって、充足が与えられるならば、人は幸福であるかもしれない。しかし体制が、人間の可能性を抑圧する力としてはたらくとき、人はその体制を超えようとする。そこに変革を求める。思想は、何らかの意味で変革を意図するところに生まれるものであるから、変革者は必ず思想家でなくてはならない。しかし、そのような思想や行動が、体制の中にある人に、受け入れられるはずはない。それで思想家は、しばしば反体制者となる。少なくとも、反体制者として扱われる。孔子は、そのような意味で反体制者であった。孔子が、その生涯の最も重要な時期を、亡命と漂白のうちに過ごしたのは、そのためである。孔子はその意味では、漂白の人であった。p110

・人は所与の世界に生きるものであるが、所与はその圏外に去ることによって変わりうるものである。また同時に、主体としての所与への関与の仕方によっても、変わりうる。むしろ厳密に言えば、所与を規定するものは、主体そのものに他ならないともいえよう。・・・所与の限界性を破りうるものは、天であった。孔子が天命を自覚したというのも、おそらくその時であろう。p159

・・・孔子は、この亡命中を、『夢と影』の中でくらした。理想と現実との相克の中に身を置いたが、しかし全てのものは、そのような厳しい矛盾の相克を通じてのみ、成就しうるのである。p152

巻懐(けんかい)とは、所与を超えることである。そこでは、主体が所与を規定する。それは単なる退隠ではなく、敗北ではない。その思想は、やがて荘周によって、深遠な哲理として組織される。p161

孔子が巻懐の心をもつようになったのは、衛で蘧伯玉(きょはくぎょく)の遺風に接してからのことである。・・・晩年の孔子は道を楽しんで疑うことのない生活であった。・・・ここには、隠居楽志の至境が謳歌されている。政治は浮雲のごとく、或るものはただ主体的な生活者としての自我のみである。それは陋巷(ろうこう)に居り、赤貧の中にあって、はじめてえられる。富と権力とを拒否するところにのみ、その喜びがある。その至境をおかすものがあれば、また大踏歩してこれを去るのみである。・・・いまや、所与と主体とは転換する、体制は完全に拒否される。君子の居るところこそ仁である。中原の混乱と腐敗を思えば、辺裔(へんえい)の地こそかえって至純の生活があろう。闘争の場は君子の住む世界ではない。そこでは純粋な自己を保つことができない。「道行われずんば、筏に乗じて海に浮かばん」(公冶長・コウヤチョウ)とさえいう。p157