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萩の教育の真髄

2010年10月04日 | Weblog
萩といえば松下村塾、吉田松陰先生でしょう。

自分が小6だった時に、担任の先生が出張か何かで抜けて、変わりに教務主任が教室に入ることがありました。そういうことが確か何度かあり、決まって授業そっちのけでお話が始まるので、結構楽しみにしていました(笑)恐い話なども聞いたような気もしますが、一番記憶に残っているのが吉田松陰の話です。その先生は卒論で吉田松陰を研究していたようで、その生涯と松下村塾について、非常に分かりやすく話してくれました。

萩の地形は三角州になっており、周囲は山に囲まれ、川が町を避けるように2つに分かれて流れている、天然の要塞のような都市です。敵が攻めてきても、山の上に見張りを立てればすぐに分かりますし、もし攻め込まれても川が堀の役目をして簡単に侵入できませんからね。しかし幕末、湾岸に外国船がひしめくようになると、海側から大砲を撃たれては逃げ場もなく一巻の終わりと言う、今までとは真逆の非常に危険な町に変わってしまったのです。これではいけないと動いたのが吉田松陰先生。外国に対して弱腰の幕府に立てついたり、海にいる外国船にこっそり乗ろうとしたり、捕まって捕らえられた所で松下村塾を作って門下生を育てたり、果ては老中の暗殺計画を立てたりと、非常にアグレッシブな人物です。
そんな先生に教えられた門下生や、その教えを受け継いだ萩の町の青年達の中には、後に明治維新の中心となったり、総理大臣になったりしたものが1人や2人でなく、それこそゴロゴロと出てきたわけです。これらは、塾とは言っても各地から集められた優秀な人物というわけではなく、単にたまたまその土地に住んでいた青年達というだけ。例えば、同じ小学校の卒業生に、将来総理大臣になる人物が1人でもいれば十分すごいことですが、萩にはそれが何と4人もいて、そのうち2人が同じ先生と言う仰天の町なのです。それこそ、歩いて家庭訪問ができる範囲内に、聞いたことのある有名人の家がゴロゴロとあるわけですね。

教務主任ではありませんが、自分も一教員として尊敬の念を抱かずにはいられません。そんなすばらしい教育が施された場所なのだから、松下村塾と言うのはさぞ立派な建物に違いないと、萩入りして即、その塾が復元されている松蔭神社へ行きました。

ほったて小屋じゃないか・・・orz

8畳間と、右側の後で付け足されたらしい10畳間と、2部屋あるだけの簡素な建物でした。古めかしいのは抜きにしても、お寺のお堂ぐらいの広さを想像していたので、非常に驚きました。教えていたことも、読み書きそろばんといった超基本的な内容で、今の学校教育のほうがその何倍も優れているはずです。おそらく義務教育が終われば、当時の高杉晋作や伊藤博文より賢い頭になっているのではないでしょうか。しかし、それなら何故、今の世の中に総理大臣がバンバン生まれないのか・・・いや、そんなバンバン総理大臣が変わっては困りますけどね(笑)まあ、それはやはり松陰先生が学問だけでなく、「生き方」を説いたからなのでしょう。
実際に松下村塾で松陰先生が教えたのは2年足らずだといいます。その間、門下生と一緒に畑を耕したり、水泳をしたりしながら、志をもって生きることの大切さを説いていったのでしょう。松蔭先生自らもそういう方でしたから、まさに彼は生きた教育を体現していたわけですな。

現在の山口も、こうした松陰先生の残した言葉を暗唱したり、授業で取り上げたりしているわけですが、残念なことに2008年の学力調査では45位と底辺をかすめてしまいました。ただ教えるだけではダメなのです。松陰先生のような、自らの生き様でもって魂を揺さぶる教育。これが今の日本に求められているのでしょう。
今の世の中も、松陰先生の生きた幕末と同じように、政治にはあまり期待できません。だからこそ、次の世を担う子ども達には高き志操をもってほしいものですね。

間違ってもニートになるなよ・・・