(株)カプロラクタム-blog

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ニュースのない日

2010年12月31日 | 心境
飲み会から帰ってきてgooのニュースを見てみたら、12月31日のニュースが白紙になっていました。

別にこれは珍しい現象でなく、gooの「過去1週間のニュース」では、日をまたぐととりあえず新しいページとして更新され、ニュースが入ると随時更新されていくようになっています。まだ今日は始まったばかりですし、朝になれば大なり小なり事件が起きるので、だんだん記事が増えていき1日で3ページか4ページ分ぐらいになるわけです。
自分のブログでは、その中から1記事を選んで更新することが多いのですが、これは!と思った記事がなかった場合、その日の更新に非常に苦労します。まあ、身の回りで事件と言うか、トピックがあればそれを書くわけですけど、それほど波乱万丈な人生でもないですし、書くのに相応しくない内容もあることは心得ています。例えばこの更新の下に表示される14記事のうち、時事を扱ったのは10記事もあります。そして、そのうちの半分以上は、明らかに良くないニュースです。

1日のうちで、ニュースが全くない日というのは存在しません。逆説的ですが、もしそんな1日があったしたら、「今日はニュースがなかった」「報道関係者の一斉ストが起きた」というニュースが流れるからです。それ以前に、結果としてニュースのない日ができてしまったら、報道関係者は食べていけませんから、必死でニュースを探すことでしょうね。
子どもに毎日日記を書かせると、よく「書くことがない」と言う子がいますが、1日だって「前と全く同じ日」は存在しませんし、同じことを勉強する日も、同じように遊ぶ日もまたないでしょう。そうした日々の違いがトピックになる以上、1人1人に「書くことがない日」はありえませんし、また子どもが40人いれば、誰か1人ぐらいは歯が抜けたり、自分や家族の誕生日だったりなどのスペシャルトピックをもっているものです。そう考えれば、1億2千万人の人達に、「全く特別でなかった1日」というのは、絶対に起こらないのです。ただし、「良くないニュース」に限定すれば、それは努力次第で減らすことができるかもしれません。

話を交通事故に限定すると、統計を取り始めた1968年以降、死亡事故の起きなかった日は1日も存在しないそうです。年末になると、今年の交通事故死亡者が何人を切ったとか、何県がワーストだったとか出ますが、人を数字や割合で表すと、その重みが全く失われてしまいます。あそこで時間を取って名前を1人1人読み上げるなり、全ての遺影を映すなりすれば、死者5000と言う数字の1つ1つが全て「命」「人生」のあった人だったのだという認識に至るのではないでしょうか。
今年、自分の身近な所で交通死亡事故があり、よく報道されている「意識不明の重体」という表現が「ほぼ助からない状態」のことを指していることが分かりましたし、「脳死」が絶対に元に戻らない、不可逆な状態であることも分かりました。知識としては知っていましたが、何も分かっていませんでした。心臓を動かすために足を犠牲にすることも、人工呼吸器がないと呼吸できないのに傷は治っていくことも、まるで生きているかのような脊髄反射が起こることも・・・悲報を受けて自分も涙が止まりませんでしたが、ご家族の悲しみを思うと想像を絶しますし、何かできることをと考えても、何もできない現実があり、葬儀ではせめて安らかにと祈ることくらいしかありませんでした。年月は無情に過ぎ、乗り越えるしかないと分かっていても、どうしても悲しみと後悔は残ります。何故「車に気をつけて」と一言声をかけなかったのか・・・
起きてしまってからでは取り返しがつきません。一人一人の注意があれば、防げた事故も多いでしょう。自分も、今そんなことを言いながら、たった数日前に自転車とぶつかりそうになったことに文句を言っている始末ですし。でも防げるはずなのです。回りに注意すれば。スピードが遅ければ。よそ見しなければ。飛び出さなければ。急がなければ。スタッドレスに変えれば。交通ルールを守れば。

せめて今日は交通事故だけでもニュースのない1日になるように願いつつ・・・良いお年を。