「かぐや姫の物語」を観て来ました。(ネタバレあり)
今年は「風立ちぬ」とともにジブリ作品が2本も公開されるとあって、金曜ロードショーも1年に10本も再放送(コクリコ坂は地上波初?)したそうです。お陰であとは年末にナウシカを録画すれば、家のHDDレコーダーに過去のジブリ作品をコンプリートできそうです。それまでジブリ祭りと言えば宮崎駿作品が多く、高畑勲作品はあまり再放送されていないようで、今年は一気に補完できてよかったです。・・・あ、まだ「となりの山田くん」だけないや(笑)高畑作品としてはその次が「かぐや姫」なので、何と14年ぶりの新作。制作期間8年という、まさに満を持して登場した作品であるわけですね。
今回のテーマはずばり「竹取物語」ということで、日本最古の昔話として有名ですし、誰もが知っているお話でしょう。自分も朝の話のネタに原文のさわり「今は昔、竹取の翁という者ありけり。~」を暗唱したり、内容をかいつまんで話したりしていましたから、ストーリーの流れは大体頭に入っています。原文の中のかぐや姫は大層ツンデレ?いや、ほとんどデレないからツンツン(笑)ですが、彼女の心情を掘り下げ、「本当はこう感じていた」という高畑監督なりの解釈が溢れた作品になっていました。映像も、筆で描いた様な輪郭線をわざと残す技法が用いられており、世界観を広げるのに大きな効果を果たしていました。ただ、この技法ではいわゆる「塗りつぶし」ができないので、CG作成には相当苦労されたそうです。色使いも、「風立ちぬ」のようなアニメアニメした原色系でなく、手書き感というか、水墨画チックな仕上がりになっていました。翁が怒った時に顔が赤くなる表現や、際立つ桜の鮮やかさ、そしてメインキャラですら時にデフォルメされて簡単に描かれる高畑技法のセンスは、本当に秀逸だと思います。
そんなわけで内容に触れていきます。全体的に「大長編マンガ日本昔ばなし」と言う感じで、かなり原文に忠実に作られている中に、新たな解釈を取り入れて物語を補完しているような作りになっていました。特にかぐや姫に言い寄る5人の公達が、それぞれかぐや姫を宝物に例えて褒め、「ではそれを持ってきてください」と震えながら言う切り返しは見事で、原文を超えた!と思いました。もう一つすばらしい解釈は、かぐや姫の前に「羽衣伝説」の前例があったということを挿入したことです。こうすることで、かぐや姫が何故地上に憧れ降り立ったのか、また何故コレほどまで求婚を拒むのかと言う謎に、シンプルでスムーズな答えを出しています。原文では「月世界で罪を犯した」としか説明されていませんし、最初から期限付きだったような書かれようですが、流刑のようなものなのか、はっきりと分かるようには書かれていません。しかし、羽衣伝説(天女が降り、水浴びしているうちに男に羽衣を奪われ、返してもらうために結婚するが、後に男は戦に駆り出されて行方不明、子と一緒に天に帰っていく。)がベースにあると考えれば、後々帰らなければいけない身でこちらの世界の子をなすことは一種のタブーとされていたと取ることもでき、求婚を拒む理由になり得ます。さらに、もしかしたらこの天女の子がかぐや姫である可能性もあり、母が地上で聞かされたわらべ歌を昔から口ずさむうちに覚えていたのかもしれません。余談ですが月のわらべ歌が何故か短調になっていたのは、僕はドップラー効果が原因ではないかと思いましたが、考えすぎですかね?救急車の音って、来る時より遠ざかる時の音のほうが悲しく聞こえますし、テンポも遅れます。おそらく月世界へ帰る際に聞いたのでしょう。また、歌詞の「待つとし聞かば今帰り来む」は、百人一首の下の句にもあります。この歌は時代で言うと800年頃で、竹取物語の成立は900年頃ですから、時代も合います。あと月の民を仏教の極楽浄土に象徴させた解釈も、一見鎌倉仏教で時代がずれている気がしますが、実は浄土教自体は7世紀に日本に伝わり、貴族の間ではまさに平安中期に栄えていたそうです。本当、よく調べてあるなあと思いました。
そういう前提で整理してみると、かぐや姫が本当にしたかったことが分かります。月世界(極楽浄土)は「心のざわめき」がない、輪廻から解脱した世界。不快なことだけでなく、喜怒哀楽すらもないのでしょう。しかし、以前に地上に来たことのある方(羽衣伝説の天女/もしかしたら母?)は、何故かわらべ歌を口ずさんで泣く。かぐや姫は、それが不思議で地上に憧れをもち、「心のざわめき」を体感したくてやってきたのです。ただし「耐えられないと感じたら月に帰る」と言う約束をして・・・結果的に帰ることになってしまいましたが、「心のざわめき」は、間違いなく彼女にも残ったことでしょう。それにしても、月の民が地上にかぐや姫を迎えに来るシーンに流れる曲は、同じメロディが繰り返される完璧なまでに明るくにぎやかな曲で、永久不滅の極楽浄土を暗示させるがゆえに、地上人である我々の無力感と言うか、彼らには決して太刀打ちできないという凄みを感じさせていました。今更ながら、ジブリ作品は久石譲の天才的なセンスに支えられていますよね。
唯一惜しむらくは原文のラストにある富士山のくだりがカットされてしまったことでしょうか。まあ、日本人には常識ですし、アレが入ると完全に「マンガ日本昔ばなし」になってしまいますから、蛇足だと判断されたのでしょう。しかし、今年は富士山が世界遺産に登録された年だっただけに、「富士山の由来はかぐや姫にあるのですよ」と海外に知らしめる絶好の機会になったと思いますが・・・つか、プロットを立てたであろう8年前にそこまで想定しろというのは流石に無茶かな(笑)
色々御託を並べましたが、ジブリ史上一と名高いかぐや姫の可愛らしさをスクリーンで観るだけでも価値があると思いました。まあ、その割に客入りが少なかったのがちょっと気になりましたけどね。
今年は「風立ちぬ」とともにジブリ作品が2本も公開されるとあって、金曜ロードショーも1年に10本も再放送(コクリコ坂は地上波初?)したそうです。お陰であとは年末にナウシカを録画すれば、家のHDDレコーダーに過去のジブリ作品をコンプリートできそうです。それまでジブリ祭りと言えば宮崎駿作品が多く、高畑勲作品はあまり再放送されていないようで、今年は一気に補完できてよかったです。・・・あ、まだ「となりの山田くん」だけないや(笑)高畑作品としてはその次が「かぐや姫」なので、何と14年ぶりの新作。制作期間8年という、まさに満を持して登場した作品であるわけですね。
今回のテーマはずばり「竹取物語」ということで、日本最古の昔話として有名ですし、誰もが知っているお話でしょう。自分も朝の話のネタに原文のさわり「今は昔、竹取の翁という者ありけり。~」を暗唱したり、内容をかいつまんで話したりしていましたから、ストーリーの流れは大体頭に入っています。原文の中のかぐや姫は大層ツンデレ?いや、ほとんどデレないからツンツン(笑)ですが、彼女の心情を掘り下げ、「本当はこう感じていた」という高畑監督なりの解釈が溢れた作品になっていました。映像も、筆で描いた様な輪郭線をわざと残す技法が用いられており、世界観を広げるのに大きな効果を果たしていました。ただ、この技法ではいわゆる「塗りつぶし」ができないので、CG作成には相当苦労されたそうです。色使いも、「風立ちぬ」のようなアニメアニメした原色系でなく、手書き感というか、水墨画チックな仕上がりになっていました。翁が怒った時に顔が赤くなる表現や、際立つ桜の鮮やかさ、そしてメインキャラですら時にデフォルメされて簡単に描かれる高畑技法のセンスは、本当に秀逸だと思います。
そんなわけで内容に触れていきます。全体的に「大長編マンガ日本昔ばなし」と言う感じで、かなり原文に忠実に作られている中に、新たな解釈を取り入れて物語を補完しているような作りになっていました。特にかぐや姫に言い寄る5人の公達が、それぞれかぐや姫を宝物に例えて褒め、「ではそれを持ってきてください」と震えながら言う切り返しは見事で、原文を超えた!と思いました。もう一つすばらしい解釈は、かぐや姫の前に「羽衣伝説」の前例があったということを挿入したことです。こうすることで、かぐや姫が何故地上に憧れ降り立ったのか、また何故コレほどまで求婚を拒むのかと言う謎に、シンプルでスムーズな答えを出しています。原文では「月世界で罪を犯した」としか説明されていませんし、最初から期限付きだったような書かれようですが、流刑のようなものなのか、はっきりと分かるようには書かれていません。しかし、羽衣伝説(天女が降り、水浴びしているうちに男に羽衣を奪われ、返してもらうために結婚するが、後に男は戦に駆り出されて行方不明、子と一緒に天に帰っていく。)がベースにあると考えれば、後々帰らなければいけない身でこちらの世界の子をなすことは一種のタブーとされていたと取ることもでき、求婚を拒む理由になり得ます。さらに、もしかしたらこの天女の子がかぐや姫である可能性もあり、母が地上で聞かされたわらべ歌を昔から口ずさむうちに覚えていたのかもしれません。余談ですが月のわらべ歌が何故か短調になっていたのは、僕はドップラー効果が原因ではないかと思いましたが、考えすぎですかね?救急車の音って、来る時より遠ざかる時の音のほうが悲しく聞こえますし、テンポも遅れます。おそらく月世界へ帰る際に聞いたのでしょう。また、歌詞の「待つとし聞かば今帰り来む」は、百人一首の下の句にもあります。この歌は時代で言うと800年頃で、竹取物語の成立は900年頃ですから、時代も合います。あと月の民を仏教の極楽浄土に象徴させた解釈も、一見鎌倉仏教で時代がずれている気がしますが、実は浄土教自体は7世紀に日本に伝わり、貴族の間ではまさに平安中期に栄えていたそうです。本当、よく調べてあるなあと思いました。
そういう前提で整理してみると、かぐや姫が本当にしたかったことが分かります。月世界(極楽浄土)は「心のざわめき」がない、輪廻から解脱した世界。不快なことだけでなく、喜怒哀楽すらもないのでしょう。しかし、以前に地上に来たことのある方(羽衣伝説の天女/もしかしたら母?)は、何故かわらべ歌を口ずさんで泣く。かぐや姫は、それが不思議で地上に憧れをもち、「心のざわめき」を体感したくてやってきたのです。ただし「耐えられないと感じたら月に帰る」と言う約束をして・・・結果的に帰ることになってしまいましたが、「心のざわめき」は、間違いなく彼女にも残ったことでしょう。それにしても、月の民が地上にかぐや姫を迎えに来るシーンに流れる曲は、同じメロディが繰り返される完璧なまでに明るくにぎやかな曲で、永久不滅の極楽浄土を暗示させるがゆえに、地上人である我々の無力感と言うか、彼らには決して太刀打ちできないという凄みを感じさせていました。今更ながら、ジブリ作品は久石譲の天才的なセンスに支えられていますよね。
唯一惜しむらくは原文のラストにある富士山のくだりがカットされてしまったことでしょうか。まあ、日本人には常識ですし、アレが入ると完全に「マンガ日本昔ばなし」になってしまいますから、蛇足だと判断されたのでしょう。しかし、今年は富士山が世界遺産に登録された年だっただけに、「富士山の由来はかぐや姫にあるのですよ」と海外に知らしめる絶好の機会になったと思いますが・・・つか、プロットを立てたであろう8年前にそこまで想定しろというのは流石に無茶かな(笑)
色々御託を並べましたが、ジブリ史上一と名高いかぐや姫の可愛らしさをスクリーンで観るだけでも価値があると思いました。まあ、その割に客入りが少なかったのがちょっと気になりましたけどね。