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南三陸

2012年04月07日 | 震災
2日目は石巻を通過し、南三陸町へ出ました。

松島を後にして海岸線を北上しながら、本当は火の海となった気仙沼市を目指していたのですが、ふと「天使の声」が気になり、検索すると南三陸町の防災庁舎であることが判明。しかも、休憩していた地から気仙沼市までのほぼ通り道にあることが分かったため、早速ナビ様を頼りに向かうことにしました。

山を抜けてまず目にしたのが、きれいに仕分けされた瓦礫の山。金属・車・タイヤ・布類などがきちんと分けられて積み上がっていました。瓦礫と言うと何もかも混ぜこぜのイメージだったのですが、1年でここまで分けるまでに至ったのか・・・と思いました。
次に目にしたのが、プレハブでできた商店街のような地区。実は空港付近でも見ていたのですが、立ち寄ったのは初めてです。食べ物屋だけでなく、電気屋・花屋・石屋に至るまで、一通りがそろっている感じでした。傍の高台には仮設の建物や新しい一戸建てが立ち並んでいたので、そこに住んでいる方達のライフラインが全てそろっているのでしょう。隣には「南三陸合同庁舎」と書かれた3階建ての建物があり、窓は全て破損。その3階の窓と天井との間に、「津波到達地点」と書かれたプレートが貼ってありました。まだずいぶん山の上のはずなのに・・・当然、役場の機能は果たしておらず、完全な廃墟です。裏には今度こそ混ぜこぜの瓦礫の山。しかし、全然嫌な匂いはしませんでした。

「ここが防災庁舎なのかな?」と思いつつもう1度検索してみると、どうやらそことは違う感じでした。ナビでも他に出なかったので、とりあえず海まで出ようと車を進めると・・・

見つけるのは至極簡単でした。山を降りて三角州になっている部分に出た途端、眼前にすぐ海、そして見渡す限り何もない土地に、ポツポツと建物の跡と、プレハブのコンビニ等の店があるだけだったからです。橋も流されてありませんでした。いくら漁村といっても、町役場のある地区がこんなに何もないはずがありません。しかし、鉄骨でできた3階建ての庁舎がこの有様なのですから、木造の民家などはおそらくひとたまりもなかったのでしょう。

寸前まで「早く高台に避難してください。」と叫び続けた遠藤さん。この付近の建物はほぼ全て津波にのまれ壊滅状態だったにもかかわらず、1万7千人の住民のうち、最終的な犠牲者はわずか数百人だったとか。一体、何千人がこの声に救われたのでしょうか・・・命を懸けて職務を全うしたのに、恨まれたり訴訟を起こされたりする事例もある中、日本にとって本当に大切なのは、このような他者に対する感謝や思いやりの心なのではないでしょうか。現地で目の当たりにし、この題材は「天使の声」と呼ぶには生々しく、道徳の教材にするには重々しすぎますが、是非とも彼女の命の叫びはいろいろな形で後世に語り継いでいきたいと思いました。

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