(株)カプロラクタム-blog

果たしてココは何処なのだろうか・・・
否!ココは(株)カプロラクタム代表取締役兼社員αのweblogである!

赤いアイツ

2010年10月15日 | 時事
真っ赤な用水路…アメリカザリガニ数千匹現る 岡山
テレビでも見ましたけど、ものすごい数でしたね。

「大量発生でなく、雨で流されてきたザリガニが集まったもの」と言っていましたが、つまりコレだけの数が田んぼにいたと言うことで、それでも驚きです。ある意味、一網打尽と言った感じなのでしょうか?

学校では小2で生き物の勉強をするので、ザリガニ捕りの宿題が出たりします。自分自身も子どもの頃探した覚えがありますが、親が市内にはいないだろうと思ったのか、わざわざ田舎の川まで行って捕まえたものでした。自分の中では、自然の多い田舎の川にしかいないものだと思っていました。
ところが、教員になってみると、近所の小さな川にも結構いることが分かり、ビックリしました。ザリガニは比較的汚れた川でも生息できるらしく、むしろ汚れた水が流れるような川や用水路に高確率でいるようです。自分がザリガニを捕まえたのはもう20年以上も前の話ですから、その頃から市内の川にいたかかどうかは分かりませんけど、最近は市内でも珍しい生物ではないようですし、市内の川が汚れてきたことの証明になるのかもしれません。

そんな感じで1学期、近くで捕まえてたザリガニをワサワサと教室にもってきていたわけですが、飼育すると言うより、「いかに死なせずに家に持ち帰らせるか」に神経を注ぐ毎日でした(笑)・・・初任の時、学年でザリガニ捕りにでかけ、合計100匹以上捕まえたのですが、1人1匹持ち帰っても10数匹余り、そのままバケツに放置していたら次の日大変なことになった忌まわしい記憶があるからです。その後、2年ぐらい甘エビが食べられませんでしたね。幸い、今回は無事1匹も死なせずに授業を終え、「家で飼わないなら元いた所に放しましょう」と生態系の話まで添えることができました。

しかし今回の場合、捕まえた小学生が元いた場所に返すと来年さらに一桁増えそう・・・ガクブル

不慮の事故

2010年10月14日 | 時事
工場解体現場で壁倒壊 下敷きの女子高生が死亡 岐阜
たまたま通っただけなのに・・・こういう事故が身近に起こると非常に恐いですね。

もうすぐ交通安全週間なので、交通安全について話をする機会もあるわけですけど、実際にはこちら側がいくら気をつけていても防げない事故というものも存在します。妹の嫁ぎ先も近いので、とても他人事のように思えません。亡くなった子のご冥福を祈りつつ、二度とこういう事故が起きないよう安全対策を徹底してもらいたいものです。

現在、学校も耐震工事で穴だらけなわけですが、校舎が崩れたりしないかな・・・?

出産

2010年10月13日 | 心境
チリの33人救出作戦、間もなく開始
予定より早く全員救出される模様。良かったですね。

テレビで、脱出カプセルによる移送を、「出産」と表現していた人がいました。今か今かと待ちわびる姿、地上で喜ぶ人たち、まさにその通りだなあと思いました。
奇しくも今日、予定より早く妹の第二子が生まれ、仕事も放り出して5時に帰り、病院に会いに行ったわけですが、里帰り中に預けられた1人目の子も十分小さいと思っていたのに、さらに小さくて驚きました。

来週退院予定で、しばらく大きな行事もないので早く帰りたいと思います。あれ?全研?よく見えナイナー・・・

プロレベル

2010年10月12日 | 時事
清水女流王将が敗れる コンピューターと特別対局
ついに将棋でもコンピューターが現役プロを破る時代が訪れた模様です。

以前書いた記事から2年経っていますから、大体予言通りと言ったところでしょうか?相手はサーバー169台をつなぎ、4つのソフトで同時に計算し多数決で手を決めるという、まさに総力戦ですから、いかにプロとはいえ、かなりの強敵だったのでしょう。しかし、その記事の中で一つ気になる一文がありました。

>実力はアマチュアの五段以上のレベル

・・・プロなのにアマチュア視されているの?

餅を出せ

2010年10月11日 | 時事
神社の餅投げで取った餅30個、殴られ強奪
最近は配られることが多い気がしますが、こういうことがあるからなのでしょうかね。

今は分かりませんけど、岐阜は昔、結婚式があると菓子巻きをする風習がありました。当然大人も子どもも参加するわけで、子どもは圧倒的不利でした。ノーバウンドキャッチはほぼ諦め、落ちてきた菓子を拾うことになるのですけど、大人はみんな上を見ているから足元に気を配りませんし、子ども達は流れ弾ならぬ流れ足に注意しながら床のお菓子の争奪戦を繰り広げたものです。かなりの戦場だった覚えがあります(笑)

餅巻きも覚えがありますけど、とにかく拾うときは戦場ですね。しかし、いくらぶつかったとはいえ、相手の戦利品を持ち去ってはいけません。餅巻きの本来の意味はけがれを祓うことにありますから、曲解するとあの餅は「リスク」を分散した一片であり、自らその一助を引き受けることはあっても、奪い取って得るものではないのです。

まあ、既に捕まる「リスク」を得てしまっているわけですけどね。

特異日

2010年10月10日 | Weblog
今日は雨の予報でしたが、何故かかんかん照りでした。

この土日は高山祭りがやっていて、その前日にニュースでやっていたのですが、今までこの祭りで両日とも晴れた確率は40%で、どちらか一方が晴れた確率は50%だそうです。つまり、両方とも雨が降ったのは10%しかないわけですね。今回の予報はその両日雨だったのですが、何とか今日だけでも晴れてよかったですな。

昔から、この10月10日、もしくは体育の日は「晴れの特異日」だと言われてきました。しかし、最近の統計を見てみるとどうもそうばかりではないようです。確かに一番気候が安定する時期ですし、10月14日は正真正銘の晴れの特異日だそうですから、イメージ的には「この時期は良く晴れる」ぐらいの認識が拡大解釈されたものなのでしょう。もしくは、占いなどと同様、当たった記憶は強く残り、外れても気にしない現象から生まれた迷信なのかもしれません。

少なくとも、今年の「雨の予報だったのに晴れた」記憶は鮮明に残りそうです。

デロリアン

2010年10月09日 | 時事
『デロリアン』を電気自動車に改造
バック・トゥ・ザ・フューチャーか・・・懐かしいなあ。

小6の修学旅行の帰りのバスで2を観ていたら結末前に学校に着いてしまい、その後担任が借りてきてくれて最後まで見た覚えがあります。思えば洋画をしっかり観たのはあれが初めてだったかもしれません。当時はそれほどストーリーも分かっておらず、最後のアクションシーンばかりが記憶に残っています(笑)結局1から3までしっかり観たのは高校生になってからだったような・・・

その舞台となった2015年の未来世界まで、残すところ後5年なわけですが、ようやく電気自動車か・・・原子力で動かせとは言いませんが、せめて2015年の世界にあった何か1つぐらい再現できませんかね。3Dテレビか・・・?

平和賞

2010年10月08日 | 時事
ノーベル賞中継、CNNとNHKの放送一時中断 中国
ノーベル賞も中々思い切ったことをするなあ・・・

中国では、少し前に述べた通り、国民に正しい情報が伝わる国ではありません。その象徴とも言うべき事件はやはり「天安門事件」でしょう。20年も経った現在でも、中国ではメディアはおろかインターネット検索でさえこの言葉を封じ、それ以降に生まれた人たちはそんな事件が起きたことさえ知らずに育っていると言います。
今回受賞された人は、その天安門事件に参加・先導し、その罪を問われて投獄され、現在も服役している人物だとか。そんな人物に平和賞を贈っても、確かにまともに報道できるわけがありません。日本の報道も、リポーターを中国向けに流れているテレビの前に立たせ、「今切れました」とやっていましたから、あからさまに「中国が途中で放送を止める」ことを見越していたわけです。自分達もつい数日前に同じようなデモを報道しなかったくせにね。

そんなわけで、今回の実力行使の是非は別にして、この受賞自体をなかったことにしたい中国の気持ちは分からなくはありません。中国にとって初となる、待望のノーベル賞受賞者が、中国の国家体制を批判している人物に贈られたわけですからね。例えば、日本では日本人がノーベル賞を取ると、必ず初の受賞者である湯川秀樹博士の名が挙がるわけですが、中国では今後誰がノーベル賞を取っても、一切この件に触れることができないわけです。さらに頭の痛いことは、いくらネット検索で彼の名前を検索不能にしても、「ノーベル賞 中国人」と打っただけでも出てきそうなものだということ。天安門事件とは違いノーベル賞は世界的なニュースですから、今回ばかりは遮断しても無意味なのでは・・・

しかし、肝心の本人は亡命してるわけでなく、捕まってるわけですからね。このままでは代理人ですらレッドカーペットの上を歩くこともままならないでしょうに・・・仮に総意で受賞が決まったとしても、せめて何年か先にちゃんと出てきてから受賞させるとか、考えられなかったのでしょうか。

白イカ

2010年10月07日 | Weblog
山陰の旅の最終日に、最大の贅沢をしました。

元々、今回の旅というか、自分が旅行を計画する際のコンセプトは「道中や宿には極力お金をかけず、リーズナブルに回る」にあります。だからこそ、行きは山口まで1000円になる小浜西ICまで下道で走ったわけですし、戻りに至っては一度も高速に乗りませんでした。その分、基本的に食べ物や観る方には惜しまないという方向でいつも考えています。

宿については、上記の考えの下、今までビジネスホテル+スーパー銭湯で浮いた分を豪遊する路線でいました。しかし、今回はそれを一泊二食温泉つきの宿路線に切り替えてみたのです。これは、東北や北海道で夕食を外でとろうとして失敗した経験が生かされています。つまり、「宿について歩ける範囲に、好みの飯屋があるとは限らない」と・・・特に北海道では5kmぐらい歩きましたからね(笑)酒を飲む前に一通り店を物色するべきだったと相当後悔しました。ビジネスホテルでも素泊まり4~5千円に朝食千円ぐらいはとりますし、銭湯に行けばさらにプラス、そこでさらに夕食で豪遊すると、とても1万円では収まりません。そう考えると、1泊2食温泉つきで1万円だったら十分すぎるわけですね。今回は1泊を民間宿、2泊を国民宿舎にしたため、ビールやお茶等の飲代を含めても3万円を切ることに成功しました。まあ、その分夕食で出された料理は平均的なもので、ご飯おかわり自由でお腹いっぱい食べられましたが、いつものように贅沢をしたという気分には浸れませんでした。その他の食事も、吉野家、SAのお好み焼き、出雲そば、スシローと、大したものではありませんでしたしね(笑)

そんなわけで最終日、鳥取に来たら是非食べたいと思っていた「白イカ」に狙いを定め、因幡の白兎伝説の残る白兎海岸の道の駅でコイツを注文しました。

白いか?
・・・いや、シャレでなく、出てきた瞬間、コレはいつも食べている白い色をしたイカとは全く違った食べ物であることを直感しました。海のない岐阜で食べるイカの刺身は、いくら新鮮なものでも白い色をしています。いや、東北にしろ北海道にしろ、新鮮な海産物の集まる場所で食べたイカ刺しも、普通にちゃんと白かったわけです。しかし、この「白イカ」は、箸で持つと向こう側の箸まで見えるほど透き通っているのです。また、食感もいつものイカとは全く違う、コリッとした感じが最初にあり、明らかにいつも食べている「イカ刺し」とは別次元の食べ物でした。直感通り、食べてみて自分の中の「イカ」の概念が、見事に崩れましたね。まさにゲソゲシュタルト崩壊!
ちなみに、見た目通り、この料理はイカの活け造りですから、ゲソの部分を箸でつつくとウネウネ動きますし、無理やり噛み切ろうとして足に食らいついたら、吸盤で舌を吸われました。身を食べた後は、もう一度調理場に入り、残りの部分を刺身か天ぷらか素焼きにしてくれます。欲張って「足を半分天ぷらと刺身で」なんて注文しましたが、ちゃんとやってくれました。イカとコーヒーだけで見事にお腹いっぱいになりました。

気になるお値段は、何と5千円!100グラム2千円が相場だそうです。松阪牛か!?・・・でもまあ、今後イカを食べる度にこの話を肴にできることを思えば安いものですな。何せ、日本人が一番食べる魚はイカですからね。魚じゃなイカ?どうでもいイカ。

境港

2010年10月06日 | Weblog
「妖怪の町」・・・この呼ばれ方はあの商店街にとって喜ばしいことではなかったようです。

もともと、廃れ始めた商店街に客を呼び込むために何とかしようと言うプロジェクトが起こり、それなら水木しげるの生まれ故郷だから妖怪の像を建てようということになったそうです。しかし、地元住民は猛反対。今でこそマンガをモチーフにしたオブジェや記念館は普通にありますが、当時は今ほどマンガに市民権はなかったので、全国的に見てもかなり斬新なアイデアだったわけですね。それでなくとも「妖怪」は負のイメージがつきまといますから、「妖怪の町」だと言われてしまうと余計に客が来なくなるのではないかと反対していたようです。それをプロジェクトメンバーで1軒1軒訪ね、地道に説得を繰り返した結果、妖怪は嫌だけどその熱意に折れる形で、何とか「妖怪の町」がスタートしました。

最初はそれほど客が増えたわけではなかったようですが、自分も記憶に残る「銅像盗難事件」が全国ニュースになって以来、来場者がぐんぐん増えたとか。その後も銅像をどんどん増やし、スポンサー化したこともあって現在では139体にまで増え、水木しげる記念館や妖怪神社など、周辺施設もどんどん増えてきました。また鬼太郎のアニメの再放送や実写映画、さらにゲゲゲの女房のドラマ化などが重なり、来場者もうなぎのぼりに増え、ここ4年間は年間100万人を超え、今年は既に8月の時点で200万人を越えている模様です。基本的には休日に人が訪れるわけで、土日だけで見ると数万人単位で来ているようです。これがテーマパークでなく、ただの商店街だというから驚きの数字ですな。
当の水木先生はというと、丁度ドラマの最終回辺りの話にあった、双方の父親の法事に関わって東京から境港へ往復することが多かった時期に持ち上がった話だったようで、当初からかなり乗り気だったようです。普通なら自分のキャラクターの像やグッズを作ると著作権料が発生する所を、町おこしの名目で何とタダにされたとか。それどころか、盛り上がってからはガンガン寄付する始末。その甲斐もあって、最初は反対だった商店街の人達も、今では妖怪サマサマで、お土産屋や飲食店も鬼太郎グッズで大賑わいでした。お土産に買った鬼太郎パンを紹介します。

他にも、目玉のおやじ饅頭なんてのもありましたが、気持ち悪くて買いませんでした(笑)

実際行ってみた感想としては、まず妖怪の像が思ったより小さかったですね。鬼太郎など、メインのキャラクターは1m近くあったのですが、その他は土台に10~30cmぐらいの像が乗っている感じでした。これは何も予算をケチったわけではなく、妖怪の恐ろしさよりも可愛さを演出した結果だとか。確かに等身大でぬりかべとか作られても困りますな(笑)ちなみに水木しげる記念館などでは、水木先生の年表の他に結構大き目の妖怪の像が作られており、1日1人は子どもが泣きだすとか。うん。確かに泣いていたなあ・・・それも含めて計算された演出だと感じました。料亭を改築しただけあり、立派な庭に妖怪の石像が並んでいたり、最後には水木先生のマンガがずらっと並んでいるコーナーもあったりと、老若男女楽しめるスポットでした。

駅前の駐車場に停め、水木しげる記念館を目指しぐるっと一回りしてくるだけで、ほぼ全ての銅像や見所を網羅できるのも良さの一つでしょう。宿の関係もあって2~3時間しかいられなかったのですが、時間があれば十分1日楽しめる所だと思いました。

大根島

2010年10月05日 | Weblog
境港の隣にあった島ですが、面白いのは名前だけではありません。

松江から境港へ行く途中、最初は普通に中海の北側を回って入ろうと思っていました。しかし、ナビが中海の真ん中の島を通る道を指していたため、そのままその島に上陸するルートで行くことにしました。島へ行けるということは、当然島まで橋を渡るわけですが、日本地図からでも見えるので、相当でかい橋だろうとワクワクしていました。

とりあえず、大根島の地図を載せてみます。適当に拡大してみると・・・

道だ!
・・・そう。橋ではなく、島までまっすぐ埋め立てたような道が続いていたのです。南側は少し高い堤防のようなものが続いていましたが、北側は消波ブロックがずっとあるだけで、海抜1mもないような感じでした。流石に一本道でしたので、停まって写真を撮ることはできませんでしたが、台風がきたらすぐに沈みそうな道が延々2kmほど続いていました。2kmの橋を架けるより、まっすぐ埋め立てたほうが楽だったのかな?大根島から江島へと同じような道でつながっており、その先の境港へ通じる場所は船を通すためか異様に高低差のある橋でしたけど、さらに北に向かっても4kmほど道が続いているようでした。これはつまり、大根島から北西の部分は、中海のさらに中の池となっているということでしょうか?

となると、大根島ははもしかするともはや島じゃないの?

萩の教育の真髄

2010年10月04日 | Weblog
萩といえば松下村塾、吉田松陰先生でしょう。

自分が小6だった時に、担任の先生が出張か何かで抜けて、変わりに教務主任が教室に入ることがありました。そういうことが確か何度かあり、決まって授業そっちのけでお話が始まるので、結構楽しみにしていました(笑)恐い話なども聞いたような気もしますが、一番記憶に残っているのが吉田松陰の話です。その先生は卒論で吉田松陰を研究していたようで、その生涯と松下村塾について、非常に分かりやすく話してくれました。

萩の地形は三角州になっており、周囲は山に囲まれ、川が町を避けるように2つに分かれて流れている、天然の要塞のような都市です。敵が攻めてきても、山の上に見張りを立てればすぐに分かりますし、もし攻め込まれても川が堀の役目をして簡単に侵入できませんからね。しかし幕末、湾岸に外国船がひしめくようになると、海側から大砲を撃たれては逃げ場もなく一巻の終わりと言う、今までとは真逆の非常に危険な町に変わってしまったのです。これではいけないと動いたのが吉田松陰先生。外国に対して弱腰の幕府に立てついたり、海にいる外国船にこっそり乗ろうとしたり、捕まって捕らえられた所で松下村塾を作って門下生を育てたり、果ては老中の暗殺計画を立てたりと、非常にアグレッシブな人物です。
そんな先生に教えられた門下生や、その教えを受け継いだ萩の町の青年達の中には、後に明治維新の中心となったり、総理大臣になったりしたものが1人や2人でなく、それこそゴロゴロと出てきたわけです。これらは、塾とは言っても各地から集められた優秀な人物というわけではなく、単にたまたまその土地に住んでいた青年達というだけ。例えば、同じ小学校の卒業生に、将来総理大臣になる人物が1人でもいれば十分すごいことですが、萩にはそれが何と4人もいて、そのうち2人が同じ先生と言う仰天の町なのです。それこそ、歩いて家庭訪問ができる範囲内に、聞いたことのある有名人の家がゴロゴロとあるわけですね。

教務主任ではありませんが、自分も一教員として尊敬の念を抱かずにはいられません。そんなすばらしい教育が施された場所なのだから、松下村塾と言うのはさぞ立派な建物に違いないと、萩入りして即、その塾が復元されている松蔭神社へ行きました。

ほったて小屋じゃないか・・・orz

8畳間と、右側の後で付け足されたらしい10畳間と、2部屋あるだけの簡素な建物でした。古めかしいのは抜きにしても、お寺のお堂ぐらいの広さを想像していたので、非常に驚きました。教えていたことも、読み書きそろばんといった超基本的な内容で、今の学校教育のほうがその何倍も優れているはずです。おそらく義務教育が終われば、当時の高杉晋作や伊藤博文より賢い頭になっているのではないでしょうか。しかし、それなら何故、今の世の中に総理大臣がバンバン生まれないのか・・・いや、そんなバンバン総理大臣が変わっては困りますけどね(笑)まあ、それはやはり松陰先生が学問だけでなく、「生き方」を説いたからなのでしょう。
実際に松下村塾で松陰先生が教えたのは2年足らずだといいます。その間、門下生と一緒に畑を耕したり、水泳をしたりしながら、志をもって生きることの大切さを説いていったのでしょう。松蔭先生自らもそういう方でしたから、まさに彼は生きた教育を体現していたわけですな。

現在の山口も、こうした松陰先生の残した言葉を暗唱したり、授業で取り上げたりしているわけですが、残念なことに2008年の学力調査では45位と底辺をかすめてしまいました。ただ教えるだけではダメなのです。松陰先生のような、自らの生き様でもって魂を揺さぶる教育。これが今の日本に求められているのでしょう。
今の世の中も、松陰先生の生きた幕末と同じように、政治にはあまり期待できません。だからこそ、次の世を担う子ども達には高き志操をもってほしいものですね。

間違ってもニートになるなよ・・・

新宿デモ

2010年10月03日 | Weblog
何やら東京都心で2600人が参加したデモ行進があったようです。

しかし、今日のニュースや新聞を見ても、どこにもそんな記事は載っていませんでした。抗議の内容や、抗議行動およびデモ行進自体の是非はおいておいて、これほど大規模な動きが日本の中心都市である東京の都心で起こり、映像を見る限り警官も多数出動しているにもかかわらず、日本メディアが一切報道しないと言うのは、不思議を通り越して非常に不気味に感じます。
中国のように、自国の政府の悪口を言えない国では、万が一誰かがこういう活動を起こしても、すぐに全力で抹消されてしまうでしょう。その結果、外国に向けた非難ばかりが報道されるようになるわけですが、他国への抗議と言うのは裏を返せば自国政府の姿勢に対する抗議でもあるわけで、あそこは本当に言いたいことを遠まわしにしか表現できない可愛そうな国なのです。その点、日本は思想および良心の自由が保障されている国ですから、内容はともかくこうした活動を行うこと自体は認められており、表現の自由が保障されている報道機関にも、中国と違い当然こうした行動を包み隠さず報道できる権利があるわけです。

しかし、繰り返しますが今回の件は、何故かメディアでは一切報道されず、海外のメディアや現場にいた人達からの情報提供で知ることになりました。日本の中で、自国の政府を非難する抗議行動を報道しないと言うのは、報道機関の自主規制でないとすると、政府から何らかの圧力がかかったことになります。これは、すでに戦時と同様の報道規制がしかれていると同義であり、自分が最初に言った「不気味」とは、こうして徐々に国民に正しい情報を伝えなくして、いずれは戦争に、という臭いがプンプンするという意味です。「戦争のつくりかた」という絵本がありますが、ここの8ページまで進んでしまったような気がしますね。
まあ、政府の圧力でないとすれば、写真を見る限りおびただしい日の丸の旗を掲げての抗議行動だったようで、日の丸をやたらと映さない最近のメディアの変な自主規制に引っかかったためではないかと思います。海外では、自国や他国の国旗に敬意を払うのは当たり前ですが、日本では必ずしもそうではないですからね。第一、どこぞの国で日本の国旗を燃やされても、別に我々は「旗がもったいないなあ」以上に何も思いませんから(笑)

いつも君が代と日の丸に終わるNHK教育ぐらいは報道してほしいですね。

空しい優勝

2010年10月02日 | 時事
中日、4年ぶり優勝=巨人の4連覇阻む―プロ野球セ・リーグ
最後まで接戦だった今年のペナントレースは、中日が掴み取りました。

この辺りは名古屋圏なので、自分もどちらかと言えば中日を応援しています。なので優勝できたことは素直に嬉しいのですが、今回は最後までもつれたことが災いし、試合のないうちに優勝が決まってしまい、何だか拍子抜けな気がしたのも確かです。3位からの大逆転や、連勝し頭一つ抜けたり、阪神に逆マジックが点いたりするなど、ここの所は結構盛り上がっていたのに、最期の最期で盛り上がりに見合わない決まり方だったなあと思います。当然、気の抜けた今日の最終試合は惜敗。それでも笑顔で胴上げって・・・どうなの?
何かパリーグも試合途中でソフトバンクの優勝が決まり、その後ヘラヘラと試合を続け、ボロ負けしたあとで胴上げが始まったとか。これではどこぞの親分でなくとも渇を入れたくなりますね。CSはしっかりと盛り上げてほしいものです。

関係ないけど、今年はサッカーも名古屋グランパスが優勝しそうですね。こちらは気持ちよく勝って決めてくれるかな?