katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイ教室とクリスマスオブジェ3

2016-11-04 06:59:55 | モザイク教室
今日は朝からキウイ教室。葉っぱや枝をひたすら切るってだけなら、もう特に教える事も無いが、そろそろ湖畔の奥の方の相談になり、一体どんな感じになるのか?・・・になる。奥まった木々と湖との境目なんかの話になり、湖は横向きに張っているんだけれど、木々は木だから、下から上に生えている。

そんな事も踏まえて、縦向きのが良く無いかな?・・・みたいなやり取りをしつつ、何と無く切ったパーツを置いて様子を見る・・・そんな事を繰り返す。そればかりでは今日の分が進まないから、葉っぱや枝をやりつつ、今後の相談って話を何回もしつつ、しっくり来る事があれば・・・。

そんな感じになる。それまで話は何度も繰り返されるのね・・・流石にこれだけの大作になれば教える側もプレッシャーが掛かるんでね。これが楽しい作品って言うのは、楽・・・らくなんて読み方があるように、気楽・・・気分が楽みたいな感じにも使われるし、楽しいなんて言う感覚からすれば、

表現としては雑になるが、ノリなんて感じの思い付きやアドリブみたいなものもある。勿論、これが音楽みたいなものなら、しっかりとした腕ありきのノリやアドリブが素敵であったりするが、その感覚で言えば、書道や華道、スポーツのように一瞬のパフォーマンスの場合も同様で、それを見せる為の

日々の訓練の元でのノリやアドリブが結果に繋がるものだけれど、この作品にはその日々の訓練みたいな匂いがするのね。だから、こっちも失敗はさせたくないし、もっと良くならないかな?・・・とも思ったりする。それが先日のハロウィンのような数日で終わるものなら、時間内に出来る面白さみたいな

・・・そうね、趣旨に合わせた付け加えみたいな話をしてみたりする事で、より効果的になるようなアドバイスって言うよりもきっかけ探しみたいな提案をするのね。しかも、そんな事が出来るのは、切る事に困る事は無いから、そこから教える事は無いから、こんなのは・・・?と話すだけで、あっ・・・

みたいなやり取りで進めるから。でもこれがそれってどうやってやるんですか?・・・となると、説明を1からしないとならなくなると、団体のような教室では1人きりでは無いので限界がある。しかも時間内に・・・って言う時間制限があると、それを提案する側としても、この人では無理かな?・・

なんて判断をする時に、例えば季節モノの場合、1か月に1回の教室では、今回仕上がらないとならない・・・となり、それなら安全を取る事になるから、終わる事を優先になり、付け加えるアドバイスでは無くて、削るアドバイスが多くなる。

これが逆に同じ生徒さんであっても、大作なら時間に制限は無いのだから、より良くなるアドバイス・・・みたいな付け加えのような事も言えたりする。それでも、果てしなさが続けばその時間の長さや、自分の作品であっても失敗したくない・・・と知らず知らずにプレッシャーが掛かったりするから、

気持ちがめげてしまう事もあって、そんな時は一休み・・・なんて作品を入れたりするのも良いだろうが、それでも1か月に1回のペースで2回も3回もになってしまうと本末転倒で、大作を進める時間が奪われてしまうのね・・・・。ただキウイの場合、全くそんな話を超越したものがあって、

マイペースって言うのに安定感があるから、何も心配なしでこっちも言えるのね。それもこれも切る事に困らない腕と、年期ともう1つは想像力。これをやるとこんな事になるよなぁ?・・・みたいな、見えない事が見えたりする力を持っているからなのね。

しかも更に言えば、先日のハロウィンのように仮に終わらなかったとしても、そのアイデアを入れる事で終わらなかった分、きちんと帳尻合わせてやって来るから、この程度の追加は平気かぁ・・・とこっちも思えるからであって、終わらなくなるようなアドバイスにはならない。

だから、面白さに繋がるのね・・・例えばキウイがこんなハロウィンにしたい・・・とラフ画があって、そこには大抵本体のみが描かれていたりする。つまりその骨になる部分のカボチャのラフ画を見て、俺なりの小話をしたりする・・・それが俺なりの感じた・・・って事なのね。

先日の子供と大人のハロウィンでは衣装や化粧が変わるように、同じテーマであってもテイストが変わる。だから趣旨確認になる。けれど本当の面白さは、この腕を持ってしておふざけ出来る・・・って事だと思うのね。そもそも腕のある人がしっかり作るって言うのは当たり前。

つまりそんなのは大作でやれば良いのね。ただ大作は息が詰まる。だから息抜きしたい訳で・・・。それなのにその小物にもついつい本気になると、息抜きじゃなくて、小さな大作になってしまう。そこを腕を持ってしておふざけに行く・・・失敗したらあげちゃう・・・位の気持ちでね。

それにはアイデアだけはしっかりして、下絵を描いたら悩まずさっさと・・・って終われる・・そんな作り方になれば、楽しめると思うのね。中々上手くなって来ると、ついつい出来るから欲張ってしまうのね・・・本人の意識無くね。だからついつい手間を掛け過ぎちゃうし、息抜きにならない。

そんな時に、その小話の中にあっ・・・みたいな事があったり、逆にそんなんじゃない・・・ってなったり、感じる事があれば、そうじゃない感じる事だったり、共感出来る感じだったりする訳で・・・。つまり小物の作品で指導の仕方と指導のされ方の練習をしている訳で・・・。

そのやり取りが上手くなると、その練習を持ってして大作にお互い取り組んでいる訳で・・・会話やら指導やらって言うのは団体の時と、個人では大きく変わって来る。個人って言うのは、深く掘り下げるからえぐみもあったりするし、当然楽では無くなる。

ただ、逆に良くなった場合は、自分の思っていたより良くなる場合もある。月並みだけれど引き出すって言うのは、そんな事の繰り返し。だから立ち入る事が多くなるから、信頼関係が無いと、たかがモザイクで何故そんな事を・・・となりがち。

まぁ、難しい話だけれど、キウイくらいになると、いかに想像を掻き立てるか?とか、それいる?いらない?の選択だったり、モザイクとしての部分よりも、自分の考えとやろうとしている事の趣旨は合っている?制作時間は?とか、ほぼモザイクには関係の無い部分の話ばかりだったりする。

そんな中で、それにするには・・・・と方向性が見えてからどんな形?どんな色?だったりする訳で・・・・いずれにせよ、何かそろそろ終わるのかな?って雰囲気はあったような気もする。そんなこんなのお教室が終わった後はクリスマスオブジェ3






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