katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

告別式とリピーターさん教室

2022-09-30 06:53:45 | モザイクタイル教室

今日は午前中は告別式へ出席・・・勿論この歳になれば、何度かの経験値はあるし、その都度悲しい気持ちになった。当然、人の気持ちはあるのだからね。でも大体は疎遠になって行くものだったりした。でも今回はきっと長くお付き合いが続くんだろうな・・・と思った。

そんなこんなでアトリエに戻って、リピーターさん教室。何人かの人に、この方の作品が何か?を聞かれた事もあって、今回は画像もアップしたのね。闘牛士の背中なのね。そんな中、折角なんで、これから制作して行くと、必ずバックになるのね。勿論、そっくりそのままって言うのなら、贋作って

感じになるから、いかに本物に似せるか?になるのね。ただ、大抵は変えようとするのね。その時に何色が良いかな?なんて質問が来るんだけど、この質問みたいなセリフ・・・説明すると、これは質問じゃ無いのね・・・実は。これはアトリエの中では、みんなに丸投げって言っているのね。

例えば、今日何食べけば良いと思う?とかこれからどうすれば良いと思う?って漠然としていて、答える方側としては、とても難しいのね。これが、寒くなったよね・・・みたいな会話があったのなら、鍋は少し早い感じがするから、豚汁なんてどうかな?なんて答えられるのね。

それを、これからどうすれば良いと思う?なんて言うのは、ちょっと人生なんて大きさを感じるでしょ?こんな事、中々答えられるもんじゃ無いのね。つまり質問って言うのは、まずこんな事を思っているんだけれど・・・と今の心境を話さないと、汲み取る事が出来ないものなのね。

例えば、この方の場合、闘牛士の背中なのね。例えば、背中でモノを言うとか、後ろ姿を見せるとか、背中で哀愁まで語れるって言うのね。つまりそこでどうしたいのか?の方向性だけを決めるのね。例えば、闘牛士と言えば、charさん。直接表現なら、老いた闘牛士、消える日暮れの、赤い太陽を

思い出したよ・・・って言うのなら、赤なんて太陽が出て来るけれど、老いているから、セピアなんて言うのも良いと思うのね。でもその後に、もう闘える情熱も無くし、立てたように佇む、寂しげなララバイだけが・・・って続くと、赤い太陽って言うのも、錆びた色に見せる為に、黒も入れたり

って考え方もあったりする。つまり単なる色だけの問題なら、今まで使って来なかった色にすれば、被らないってだけで、それはその人の好みかどうか?は別として、安全な仕上がりなのね。ただ、さっきのどうすれば良い?みたいな丸投げの場合、大抵は好みありきで聞いて来るのね。

つまり受け入れない事がある前提でね。これは地雷のある前提でこっちに来い・・・ってスタイルだから、無傷でたどり着くのはほぼ無理なのね。つまりこれがこの世にお任せなんて無い・・・って説明なんだけれど、もしある場合は、丸投げする人はこだわりが一切無い場合なのね。

お昼何にする?質問に、何でも良いよ。と答える人は、何が出て来ても文句無しじゃ無いと、蕎麦かぁ・・・蕎麦ならうどんだったな・・・の後出しジャンケンは、不快にならないかな?まぁ勿論、長年連れ沿えば、こんな場合、これを作って置けば、大丈夫・・・なんて必殺技があるんだろうがね。

それにしたって、昨日今日の付き合いでは出来ない訳で。そう言う点では、この方とも少しだけ時間の共有が増えて来て、こっちももしかしたら、こんな感じかな・・・って提案やら質問の内容確認みたいな、折り合い付けみたいな事が出来る関係になって来たのかな?とも思えたりするのね。

いずれにしても、この方のようにタイルを切るって事が、ここまで出来るのなら、先生katsuより作家katsuの方が、必要なんじゃ無いのかな?って感じがするのね。もしそうなら、古典落語じゃ無くて、新作落語だし、楽譜ありでは無くて、ソロになる。つまり大事なのは、考えるって事で、真似を

するって言う事に関しては、特に口出しするような事では無さそうなのね。そうなると、洞察力、観察力では無くて、想像力って事になるのね。まだまだ先になるけれど、どんな闘牛士の背中なのか?って見て行くと、バックを悩むような人には参考になると思うのね。そんな後は、少しだけ金魚。

尾びれがもう少しで終わるのね。


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