katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

コーナンで追加下地彫り

2023-07-24 23:44:14 | 下地彫り

今日は朝イチからコーナンでジンベイザメの不足分・・・これで80超えって感じになるのかな。さいたまコープさんは賑わっているので、ホッとするが、下地の制作となると、気が抜けないのね。でもこれで恐らく大丈夫だと思うんだけれど・・・。それと港区立郷土歴史館分の下地が、もしかすると、増えるかも・・・って分をキープの為の追加。

それと去年来た小学生がまた・・・って事で、アカシヤの集成材で昔作ったレオパの鏡のような流木風味の下地作り。まぁこれでひとまず大体彫り終わったとは思うんだけれど・・・。その後、アトリエに帰って、ジンベイザメを切り抜いて焼いて、ペーパー掛け。

これでペンキ塗りだけ・・・って所まで追い込んだのね。そんな中、港区立郷土歴史館での最初の1時間の講習のヒントがちょっとぼんやり浮かんでね、今まで思っていたのは建築のタイルを切ったり張ったりするなんて事で、何か当たり前過ぎてね・・・そんなじゃ詰まんないなぁ。って。

何かもっと俺らしい、俺しかやんないなっ・・・ってのが無いかな?って思っていたら、下地がメドが付いて気が楽になったのかな・・・おーそれじゃん、きっと・・・ってのが浮かんだのね。ただそれは、かぐやなり、仁科さんなりに一度一緒にシュミレーションと台本作らないと、料理番組じゃ

無いけれど、アドリブで1時間逃げ切れる訳が無いのね。ちなみにラジオ出演の時も、後半に自由にしゃべれる時間を作る為に、前半どうやってスピーディに逃げ切れるか?時間調整の練習はしたのね。そんな事を踏まえて、例えば建築のタイルを切ったり張ったりって言うのは、組合のタイル屋さんも

思い付くような誰でも考える事だと思うのね。だから、これじゃない。それなら俺じゃ無くても良いのね。まず趣旨として子供に建築のイベントって形で館としてはやっているのね。その一環で頼まれた話で、だから前半1時間は建築色、後半2時間がワークショップみたいな振り分け。

つまりこの1時間をキッザニアみたいに、タイル屋さんって職業を教えるってイメージなんだから、じゃ思い切って小僧扱いして、修行して貰おうか?って考えるのも良いのかな・・・って。そもそもこれを職業訓練所だったら?行った事は無いが、学校なんだから、あんな感じだろうな・・・って、

ちょっと想像は付く。そして今度は教授のような人が話せば、専門用語に数字、そして知識を思い切り出すだろうね。となると、やっぱりさかなクンみたいなのが良いけど、以前泉銀さんのイベントに参加した時に、質疑応答なんて時間があって、その時に子供達はさかなクンに聞くような質問を

したのね。でも泉銀さんは魚屋さんなのね。だから、食べ方とさばき方がとても上手いのだから、そこを見せないと・・・になるが、生物は何処でもやって良いってものでは無いのね。でも俺の場合は何でも何処でも出来るのだから、ありとあらゆる方法があるはずなのね。

訓練所でも無く、さかなクンでも無く、・・・って言うと建築で一番俺に有利なのは修行。一応俺世代が最後の修行だったと思うのね。1年とは言うものの社長のすぐそばに住まわせて貰い、誰よりも早く来て支度をしたものなのね。仕事終わりはみんなが帰って来るまでどんなに早く帰っても、

帰れないし、ご飯も食べられない・・・しかも風呂なしなんで、食事とお風呂を社長の家で・・・有難い話だが、全く休まる時間は無いのね。まぁあの時は俺なりに辛かったが、60にもなると、そんなの普通だし当たり前だろっ・・・それで飯が食えるようにして貰ったんだから・・・ね。

って、勿論、これをする訳じゃないけれど、そもそもタイルを張るなんてのは、3年は経った頃から・・・それまでは料理人の追い回しみたいなもん。あれ持って来いだの、モルタル作れ、半マス切れ・・・そうした準備をする事で反復させ、仕事の流れを叩き込む。そんな理由半分、職人の気分で、

怒られるの半分って感じかなぁ・・・人らしい人なんてほぼいなかったもんね・・・仕事は上手いけど、サラリーマンの人達とは全く違うから、酒を呑んだくれ、博打をして・・・上品な人とは言わないが、今の俺の身の回りにはそんな人はいなくなったのね。

って、こんなのが職人。って事は、今日だけ修行して貰えば良いのかな・・・って。職人では無くて・・・小僧や追い回しをやって貰う。そんな地味な事をどうやって楽しく見せるか・・・そしてやって貰うか。張るなんて職人になってやる時間は、後半2時間で良いと思うのね。

最初は修行。こうして職人になる・・・って指導も、これもまた指導。学校でも教授でも知らない事・・・それが元職人であり、修行をした事のある、最後の残党のやれる事・・・段々俺らしい内容になって来たのね。

 

 


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ウチの犬の杏さんと中学生教室

2023-07-24 07:41:03 | モザイク作家

今日は朝からウチの犬の杏さん教室から。それが昔、友達と一緒に・・・って体験教室用に作ったイルカの下地を持っていて、自宅で作ったって言うのを持って来てくれたのね。

まぁここに何も言う事は無いのね。ここからは楽しい・・・って感じが伝わりやすいし、ちゃんと切れる人なんだろうなぁって言うのも判る。見る人が見れば、単なるクラッシュでは無く、目地幅を揃えたクラッシュであるって事が判ると、体験とは綺麗さ加減が違うのね。

技術の評価ってのは、腕が無いと判らないし、そうで無い場合、色の好みやモチーフの好みと言った個人の単なる好みに合うかどうか?になるから、正当な評価を受けにくいし、逆に腕が合ったとしても、今度は流派みたいに何処かの団体に所属すれば、そのやり方じゃ無いと評価を受けにくい。

その位、人の評価って言うのは難しいし、逆に教えている生徒さんであれば、先生って目線で答えられるのと、先生であるって聞く耳があるのなら、答え方も色々合って、同じこうした下地であっても、体験なら出来るかな?って不安の中、作るから出来たら嬉しいって事になったりする。

でもこれが5年、10年となれば、そこは無いんじゃないの・・・とか、こっちが思いも寄らない事をしたりすると、そう来たかぁ・・・って、素直にやられました・・・的に、それは考えなかったって受け答えもあったりする。逆にそれを踏まえて、そうするなら、こんなのもあるよね?って、話を

膨らませるなんて事もあるだろうし・・・。その人の技量やその作品への熱量だったり、指導ってのがただの技術のみなら、割と簡単に教えられるし、でもそれがオリジナルなら、どうしたいか?が判らないと、その人の好みにはならないだろうし、果てしなくなるなら辞めるって言うかも知れないし・・・。

そう言う点では、杏さん位になると、慌てて仕上げる気は無くなっているし、美しさ重視だから、全ての指導は美についてどうか?になるから、非常に単純であって、早く仕上げるって言う事から思いっきり遠ざかる美の追求だけの指導に専念出来るのね。だからそれって美しい?これだけ。

でも難しいのは人には好みって言うものがあって、例えばネモフィラが好き・・・こうして選んだモチーフが、このグレードになると、ネモフィラに見える所まで来た。そして美しい。じゃこのまま続ければおしまいじゃん・・・って言うのもそれはそれで良いのね。ただ学校に進級があるのなら、

当然ここにもある。勿論、具体的に何年生とか、何段とか、って話じゃ無くて、目に見えない事のやり取りみたいな話ね。例えば何でも人のやる事なんて一緒なんだけれど、上手いだ凄いだってのは、大抵繊細なんてのがくっついて来るものなのね。じゃ繊細って何?って言うと、さっきの技術のある

無しでは、好みなんて単純に決められるのと、技術・・・つまり技なんて言うテクニックみたいな事に特化する考え方みたいに、両極端になりがちでね、所がそこに繊細なんて言葉を共有したらね、大抵繊細・・・細かいとか細いとか小さいとかってのが繊細だと思っちゃうのね。

まぁ目に見える事重視。勿論その考え方で進むなら、月並みだけど、指導は良くモチーフを見て・・・になる。だから、絵ならモチーフを良く見て、ボール競技なら、玉を良く見てだし、料理ならレシピ、音楽なら楽譜、大工さんなら図面・・・って事になるのね。

そしてそっち側の人達の繊細となると、上手いだの凄いだのって言う事になると、タッチ・・・って言う間だったりする、メリハリだったり、そこには記載されない、しずらいものを読み取る力で差が出たりするんだろうね。そこが繊細さだったりするんだけれど、見ている側は、表現力も伝達力も

持ち合わせないから、何か違うんだよね・・・って何かって使って表現をするものなのね。惜しいぃぃ、そこまで気が付いているのに。だから仕方なく、見た目の細かさが凄いって言う事になりがちなのね。ではオリジナル側となると、確かに細かったり、細かったり、小さかったりすれば、繊細に

見えるだろうね・・・きっと。ただ年数重ねれば、誰だってその程度までは出来るようになる。ただそれじゃ習う必要は無くなるでしょ?だから、ある程度切れるようになったら、ようやく本題に入れるのね。じゃ考え方、つまり目に見えない事を繊細にして行こうか・・・ってね。

簡単な話で、午後からの労作展の中学生と一緒で、制作だけなら、作曲だけで良いのね。でも製作日誌を書くとなると、作詞も平行に揃えないとならないのね。まぁ簡単な話、作曲米津玄師、作詞俺・・・素敵になる?つまり、作品が凄く見えるのなら、製作日誌もそこそこ揃えないとって事なのね。

じゃ大人の人は?製作日誌なんて要らないじゃん・・・そうなのね。書かなくて良いのね。じゃ書かない分、楽をする?・・・実はここも一緒で、オリジナルって言うのは、その人が考えるその人の作品であって、パクリじゃないのね。つまり何もかも考えるって言う、今まで切った技術は一切関係

無い話なのね。また1から・・・って話。ただその考えた通りに切れるか?って時に、今までの技術が生かされるのね。あぁこんな感じぃぃ?ってな具合にね。簡単な話、世界一の画家に自分の絵の通りにタイル切ってごらん?切れるはず無いじゃん。上手いのは絵だけ。こう言う理屈。

でも、ここの人達は自分の絵の通りに切れるのね。つまり見劣りするのは画力と、そう見せる為にはどうしたら良いか?って考える能力なのね。優しく見せるように切って・・・おどろおどろしく切って・・・大波小波に・・・元気に見えるように・・・切なく切って・・・って具合ね。

それが表現力の差になる。それをどうやって切るとそう見えるか?なんてその人が決めるのだから、その絵を描くか、その雰囲気を繊細に伝えてくれないと、ただ空、ただ波、ただ風、ただネモフィラ・・・繊細って言うのは、ネモフィラをどう見せたいか?なのね。

フワッとさせると天国に行くし、キリッとさせれば現実に・・・生きていた時のように・・・になるし、じゃフワッて何だ?キリッて何だ?って探せば、そんな感じに切るだけ。そしてトッピングにそう見える色は・・・って考え方になる。闘牛士の方も杏さんも、この程度の話が出来るようになったのね。それだけ切る事が上手くなったのね。

そんなこんなで中学生教室。

やっと手に入れた廃番の銀は、1cmでは無く2cm以上ある。つまり倍以上・・・厚みが一緒なら、あれだけの作品が出来るのだから、どっちでも一緒じゃん・・・こんな風に思った人は、気にしない人だから、繊細さからは大きく反れるのね。そうね、女優さんの顔を大画面で見るかぁ。

近くで見るのと、テレビで見るのと、映画の大画面・・・一緒なのかな?俺は大きく違うと思うのね。じゃ悪意を含んで判りやすくすると、繊細って言う細かいものは、とんでもない数を切らないとならないから、大変なのね。でも携帯のワンセグテレビで見る女優さんは?これ誰?って位見えない。

つまり細かいは数の話だったりする。そして荒が見えづらい。逆に達人は組子細工のように細かくて繊細って言うのは、どんなに細かくても荒が無い。って事になる。では大画面となると、今まで見えなかった事が、ハッキリ見えるようになるのね。つまり今まで失敗に見えなかった事が、ハッキリとね・・・。

ただこれを剥がしてまでやる事では無く、技術なんて事よりも、中学生の労作展なんだから、ここが難しかった・・・どんな風に難しかったか?何処が上手く行って無いか?を書くだけで、十分に製作日誌が潤うのね。良い事と悪い事は背中合わせで、全部上手く行って、良い事だけを書く・・・

これじゃ試行錯誤にならないじゃんってな話。プロの作品なら絶対許されないだろうが、折角の製作日誌に葛藤が書けるのだから、これを使わない手は無いのね。しかも言わなきゃ誰も気付かないのに、わざわざ拾うから凄くなる。まぁ他が凄いから、質も落ちていないし、悩んだ所としては、丁度

良いんじゃ無いの・・・って感じに思えるのね。そんな後は、ジンベイザメのペンキ塗りやら・・・

これで大体50枚位、表面は完成したのね。それと平行にカワウソの顔の仕込みのニス吹き。

今週は下地の追い込み・・・


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