今日は朝から母の眼科はあったものの、単なる予約の手続きとなり、1時間程度で済んだので、その足でコーナンへ。いよいよしながわ水族館の展示作品作りの為の下地彫り。
まぁ色々考える事があって、まずは最近作家活動としての作品作りが出来ていない事・・・まぁそれはそれで、宮崎駿さんでも、カリオストロの興行失敗から13年掛かってナウシカにたどり着いた
って事を考えると、その当時の失敗はナウシカによって、名作に化ける事になるのだから、何しろ過去を振り返られる事が大事になる。そう言う点では、大きく問題は無いし、見せる作品は充分に
ある。だから今作っているかどうか?よりも、どう認知して貰うか?に時間を使うべき・・・と思っての活動へ時間を割いている自覚があるんで、そこは問題は無いのね。とは言え、近年のインスタ
なんてもんが、便利ではあるものの、人の情報が手軽に上がって来る。そんなのを目にすると、色んな人がいるもんだな・・・ってあれこれ見る事になる。そうね、色んな人の作品は刺激になるし
意欲にも繋がったりもする。ただ良い事と悪い事は背中合わせで、当然、気分の良い時、悪い時って人には繰り返しあって、極端な例なら人の死と生誕なんてのは、一喜一憂する代表だったする。
まぁ誰にでも起こり得るが、普通は両方やって来るものだろうが、独りってもんは、どんな形であれ、自分の分しか無いのね。良くも悪くも。所が感受性なんてもんが長けると、作家活動には、
その繊細さは非常にプラスに働くものの、単なる1人の人間の生活には、マイナスだらけになる。例えばニュースを見れば、良い事と悪い事の比率はどの程度だろうか?戦争も各地で行われていて
・・・かと思えば、老人の運転で人が死ぬニュース・・・明日は我が身であって、他人事とは思えなかったりする。こうやって今、良い気持ちでは無いニュースを受けた時、逆に良いニュースを
リカバリーとして元に戻れる位に、見たか?となると、普通流れたニュースは記憶も流れて行くのなら、その時だけのものになるから、忘れるって言うのも能力なのね。所が、それを大きい事と
捉えられる気持ちや、何も出来ないもどかしさ、そこに自分の抱えた案件をプラスにしてしまうような生き方をしてしまって、花粉症の事例の各々が持っている容器に、花粉を平等に入れた時、
満タンになってしまった人から発症する・・・って仕組みと同じように、気持ちって言う容器に、気分を害する事や、プレッシャーを知らず知らずに自覚無く入れてしまって、溢れた人が精神的
な病になる・・・って仕組みがストレスだと思うんだけど、当然作家katsuは活動してませんね・・って自覚があるから平気でいられたのに、人の情報を入れるって事はやっていないストレスを、
抱える事になるのね。見なきゃ見ないで陸の孤島、見れば見たでストレスってね。ただ、そこにはストレスを与えてくれるだけのニュースがやって来ないと、まだ大丈夫って気持ちでいられるが、
そこそこあれこれ見たストレスが蓄積されちゃったのね・・・ただやるなら当然、金魚の壁画になるんだけれど、あれはさっきの振り返りに使わないとならない作品だから、慌てちゃいけない。
むしろ時間制限無し・・・って作れる事が大事なのね。とは言え、それではストレス解消にはならない・・・見せられっぱなしって言うのもね・・・って。そんな時に大義名分しながわ水族館。
ただ前回は、その展示作品をみんなで作ったのね。そこをみんなに提供をしたのね。恐らくそこまではまだ余裕があったんだろうね。所が今回はワークショップが長いし、前回の事を踏まえると、
下地の数も変わって来る。時間が無いから、みんなにやって貰う為の作品の絵を描き、それを彫る時間が無い。つまりサザンでは無く桑田さん名義的になる。つまりソロだね。それなら1つの下絵
で済む。しかも前回の時にリュウグウノツカイの下絵を顔だけ描いたのがある。更にリュウ・・干支としても悪くない。ただ1つの作品でインパクトが必要で、しかも時間が無い。
更にストレスを解消するだけの作品にする・・・この時に思い出して欲しいのは、先日のkameyaさん教室のやり取り。自分の考える最高の意見と、最低限の意見みたいな話。
常にやる気があって前向きだと、こう思う・・・こうしたい・・・と最高を目指そうとする。当たり前なのねそれは。ただ常に時間もお金も一緒な訳でも無いのね。蕎麦屋さんでも上や並がある。
その時に看板を背負っているのなら、その看板の並にしないとならないのね。その良い例が、フェルメールの方がやった深海生物のサンプル・・・フェルメールの完成度が良ければ良いほど、
その実力を出したい・・・と思えば思うほど、切りたくなる。だって切る事が上手くなったから。でもその実力を最大限に出されたら、そのサンプルを見てお客さんは出来るの?って話。
つまり最低限、フェルメール看板の自分が傷付かない並作品にする・・・これが大事なのね。それは音楽にも野球にも緩急ってタッチがあって、恐らく料理にだって、ここでパンチ、ここで箸休め
みたいに、いつも全力の味付け・・・って事じゃ無いのね。そこが次の上手さのステップになるのね。当然それなら俺も・・・なのね。先生だから・・・ね。要するに作家katsuの最低限の作品を
作らないとならないのね・・・短期間に。そうね一生住む家では無く、モデルルーム作りとか、セットであって、大工さんじゃ無くて大道具さん的なのね。そう考えると、穴の空いた部分だけが、
モザイク部分になるのだから、量は減ったし、下地としても木を彫りました・・も一緒。何百枚の下地は歩兵だから沢山あって凄いなら、これは1つで凄いって言わせないと・・・。
まっ加藤清正くらいには見えるかな・・・中々の破壊力あるし、タイルを1枚も張っていないのに、そこそこコーナンでも褒められた。それなら一番得意なモザイクをすれば、そこそこな並の
katsu作品には見えるだろう・・・ただやり過ぎ禁止だから。でもねぇ・・・馬鹿だから、やめとけよ・・・って司令だしても、最高を目指そうとしちゃうのね・・・だから、そこだけって、
彫ってあれば、そこだけになるでしょ?・・・いずれにしても、見せる作品としては、完成すれば充分なのね。それとアップすれば、スズメバチの毒くらいの刺激としての反撃は出来るはず。
作家katsuは大人げがないのね・・・。
まぁ色々考える事があって、まずは最近作家活動としての作品作りが出来ていない事・・・まぁそれはそれで、宮崎駿さんでも、カリオストロの興行失敗から13年掛かってナウシカにたどり着いた
って事を考えると、その当時の失敗はナウシカによって、名作に化ける事になるのだから、何しろ過去を振り返られる事が大事になる。そう言う点では、大きく問題は無いし、見せる作品は充分に
ある。だから今作っているかどうか?よりも、どう認知して貰うか?に時間を使うべき・・・と思っての活動へ時間を割いている自覚があるんで、そこは問題は無いのね。とは言え、近年のインスタ
なんてもんが、便利ではあるものの、人の情報が手軽に上がって来る。そんなのを目にすると、色んな人がいるもんだな・・・ってあれこれ見る事になる。そうね、色んな人の作品は刺激になるし
意欲にも繋がったりもする。ただ良い事と悪い事は背中合わせで、当然、気分の良い時、悪い時って人には繰り返しあって、極端な例なら人の死と生誕なんてのは、一喜一憂する代表だったする。
まぁ誰にでも起こり得るが、普通は両方やって来るものだろうが、独りってもんは、どんな形であれ、自分の分しか無いのね。良くも悪くも。所が感受性なんてもんが長けると、作家活動には、
その繊細さは非常にプラスに働くものの、単なる1人の人間の生活には、マイナスだらけになる。例えばニュースを見れば、良い事と悪い事の比率はどの程度だろうか?戦争も各地で行われていて
・・・かと思えば、老人の運転で人が死ぬニュース・・・明日は我が身であって、他人事とは思えなかったりする。こうやって今、良い気持ちでは無いニュースを受けた時、逆に良いニュースを
リカバリーとして元に戻れる位に、見たか?となると、普通流れたニュースは記憶も流れて行くのなら、その時だけのものになるから、忘れるって言うのも能力なのね。所が、それを大きい事と
捉えられる気持ちや、何も出来ないもどかしさ、そこに自分の抱えた案件をプラスにしてしまうような生き方をしてしまって、花粉症の事例の各々が持っている容器に、花粉を平等に入れた時、
満タンになってしまった人から発症する・・・って仕組みと同じように、気持ちって言う容器に、気分を害する事や、プレッシャーを知らず知らずに自覚無く入れてしまって、溢れた人が精神的
な病になる・・・って仕組みがストレスだと思うんだけど、当然作家katsuは活動してませんね・・って自覚があるから平気でいられたのに、人の情報を入れるって事はやっていないストレスを、
抱える事になるのね。見なきゃ見ないで陸の孤島、見れば見たでストレスってね。ただ、そこにはストレスを与えてくれるだけのニュースがやって来ないと、まだ大丈夫って気持ちでいられるが、
そこそこあれこれ見たストレスが蓄積されちゃったのね・・・ただやるなら当然、金魚の壁画になるんだけれど、あれはさっきの振り返りに使わないとならない作品だから、慌てちゃいけない。
むしろ時間制限無し・・・って作れる事が大事なのね。とは言え、それではストレス解消にはならない・・・見せられっぱなしって言うのもね・・・って。そんな時に大義名分しながわ水族館。
ただ前回は、その展示作品をみんなで作ったのね。そこをみんなに提供をしたのね。恐らくそこまではまだ余裕があったんだろうね。所が今回はワークショップが長いし、前回の事を踏まえると、
下地の数も変わって来る。時間が無いから、みんなにやって貰う為の作品の絵を描き、それを彫る時間が無い。つまりサザンでは無く桑田さん名義的になる。つまりソロだね。それなら1つの下絵
で済む。しかも前回の時にリュウグウノツカイの下絵を顔だけ描いたのがある。更にリュウ・・干支としても悪くない。ただ1つの作品でインパクトが必要で、しかも時間が無い。
更にストレスを解消するだけの作品にする・・・この時に思い出して欲しいのは、先日のkameyaさん教室のやり取り。自分の考える最高の意見と、最低限の意見みたいな話。
常にやる気があって前向きだと、こう思う・・・こうしたい・・・と最高を目指そうとする。当たり前なのねそれは。ただ常に時間もお金も一緒な訳でも無いのね。蕎麦屋さんでも上や並がある。
その時に看板を背負っているのなら、その看板の並にしないとならないのね。その良い例が、フェルメールの方がやった深海生物のサンプル・・・フェルメールの完成度が良ければ良いほど、
その実力を出したい・・・と思えば思うほど、切りたくなる。だって切る事が上手くなったから。でもその実力を最大限に出されたら、そのサンプルを見てお客さんは出来るの?って話。
つまり最低限、フェルメール看板の自分が傷付かない並作品にする・・・これが大事なのね。それは音楽にも野球にも緩急ってタッチがあって、恐らく料理にだって、ここでパンチ、ここで箸休め
みたいに、いつも全力の味付け・・・って事じゃ無いのね。そこが次の上手さのステップになるのね。当然それなら俺も・・・なのね。先生だから・・・ね。要するに作家katsuの最低限の作品を
作らないとならないのね・・・短期間に。そうね一生住む家では無く、モデルルーム作りとか、セットであって、大工さんじゃ無くて大道具さん的なのね。そう考えると、穴の空いた部分だけが、
モザイク部分になるのだから、量は減ったし、下地としても木を彫りました・・も一緒。何百枚の下地は歩兵だから沢山あって凄いなら、これは1つで凄いって言わせないと・・・。
まっ加藤清正くらいには見えるかな・・・中々の破壊力あるし、タイルを1枚も張っていないのに、そこそこコーナンでも褒められた。それなら一番得意なモザイクをすれば、そこそこな並の
katsu作品には見えるだろう・・・ただやり過ぎ禁止だから。でもねぇ・・・馬鹿だから、やめとけよ・・・って司令だしても、最高を目指そうとしちゃうのね・・・だから、そこだけって、
彫ってあれば、そこだけになるでしょ?・・・いずれにしても、見せる作品としては、完成すれば充分なのね。それとアップすれば、スズメバチの毒くらいの刺激としての反撃は出来るはず。
作家katsuは大人げがないのね・・・。