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今日はウチの犬の杏さんと、闘牛士の背中の健さん教室。まずは杏さんから。何かじわじわっとネモフィラが終わりを迎えようとしているのね。
そんな中、外から何となくらしいんだけど、久松小の卒業記念の作品を通りすがりに見た・・・って話を聞いたのね。そうね、俺に力があれば、生徒さんが
見たい・・・って事前に連絡すれば見せられるんだろうが、今どきはねぇ・・中々簡単には入れないだろうし・・・ただモザイク好きってだけで無く、
生徒さんには刺激にはなるだろうし、ゆっくり見せてあげたいなぁと思うんだけどね・・・まぁしかし、杏さんはフットワーク良いんだか、色々と回って
見てくれているのね。しかもこの犬を作る腕を持っている人が見るのだから、凄い話で、例えば杏さんがライブが好きで、あれこれと定期的に行くらしいのね。
それって興味があるとか、好きってだけで見る・・・って点では一緒でしょ?所が大きく違うのは、ただ好きってだけで無くモザイクはやっているのね。
方やライブは、見るだけの楽しみなのね。見るだけは聞くだけなのね。ここで実は本人には直接話さなかったけれど、こんな話をしたのね。例えば、最近
ライブに参戦する・・・とか、セットリスト・・・つまり曲順の事をセトリとか、単なるコンサートやライブを聴きに行くだけなのに、プロまがいな言い方
をする傾向があるのね。まぁ作り手として良く聞くのは、コラボみたいな話ね。別に単なる言葉だから、どうでも良いっちゃどうでも良いのね。ただ、
それをいつものように掘り起こすと、みんなが普通に使っている言葉に重みがグーンと変わって来るって話なのね。例えばその単なる聴くだけの事を、
参戦って言うのなら、そもそも参戦ってどんな感じ?って事なのね。例えば、戦で参戦つかまつる・・・ってなぎなたでも振り回したら、仲間として期待して
いなかった知り合いが助太刀参上って感じで、しかも相当な腕利きであって、来ていきなり斬られる弱さじゃ無くて、バッタバッタ斬るツワモノ・・・そんな
イメージだったり、キャプテン翼の親友の岬くんのように、ピンチで救ってくれる仲間だったり、助っ人みたいな人がやって来るイメージなのね。
確かにお客さん不在やスカスカのライブなんて、見られたもんじゃないし、盛り上がるはずも無いから、それも参戦と言うのかも知れないが、つまり参戦
って言うと参加よりも重い言葉に感じる分、ものの取り方は変わって来て、こんな解釈なら聴くのでは無く、歌ったり踊ったり、はしゃいだりするだろうね。
勿論、生で見るのだから、そう言う気分には大なり小なりなる。問題はその中にあって、こうやって言葉を並べて一緒に言うと、同じくくりに聞こえるのね。
つまり同等みたいにね。その時に女の人なら熱狂的にキャーって俗に言う黄色い声なんて感じになったりする。これを何処の歌のどの位はOKで、どの範囲を
越えると迷惑になるのか?・・・踊るにしても隣も踊っているのなら、動いている分、お互いに気にならないが、隣が座っていたらメチャ気になるし、
ぶつかるなんて事もあるだろうね。そして一番の問題は単なるストレス解消ばりに一緒に歌う・・・もはや隣の声の方がデカく、アーチストを越える・・・
一体何をしに行ったのか判らない・・・こんな場合の人側なら、やりたい放題やっているのだから、参戦なんて言葉になるだろうね。こんな事例を踏まえて
一体どのくらいがマナーとして普通?って話。それを安全なら何もせずじっと座って聴いていたとしたら・・・誰にも迷惑にならないだろうが、必ず立つ時間
があるだろうから、見えなくなる事はあるはず。ではみんなが立ったら立つって場合、これは仕方無くであって、自分の意思は無く、人任せになる。
これを参戦って言うか?なのね。つまり参戦って言うのは自主的な要素が無いと言わないだろうし、参戦って言葉を使うには、そう言った意味があると思うのね。
ただ演奏もしないし、メンバーに選ばれている訳でも無いのにね・・・ここであえて苦言のように振って置いて、からのぉ、ではこのライブ好きの杏さんが
もしさぁみんなで作ろう・・・って先生の俺が音頭を取ったら、この腕を持ってして参加したら、それは参加、それとも参戦?そもそももし、ライブに参戦
って使うなら、この腕を持ってしてなら、参戦以上の言葉になるだろうね・・・きっとね。だって聴くだけで参戦なら、この腕・・・かなり上手くなったよ。
これはメンバーに選ばれる腕だと思うのね・・・当然、何かあったら必ず誘うけどね・・・その時はこちらから参戦して・・・って言うけどね。
言葉ってもんは、何をどう使っても良いってもんでも無いのね。受ける側にとても影響するもんでね、ライブって言うのはお金を払って見るだけの観客なのね。
そう言う点では、欠席しようが、本人の問題なのね。でも本当の意味での参戦って言うのは、実力者として認められたものがサポートのように一緒に・・・
って意味であり、何かそのアーチストを見たい・・・好きって事を言うのであれば、ファンクラブに入っているとか、推しであるとか、影で支えるって行為も
十分伝わるのね。つまりもっと踏み込めば、それなら久松小も参戦になる。だってわずかながらも生で見たのだから。2階席で見た感じなんでしょ?
感の良い人だとこの辺で気付かれているだろうけど、つまりモザイクで呼ばれる事は確実に参戦であり、もっと言えば助太刀って言うのは他人だからね。
生徒さんは元々仲間なのだから、メンバーです。そして上手くなったと判断して、その機会が来た時は必ずお誘いします・・・とお伝えして置きます。
自分の作品って言うのは、その時の自分の名刺です。いちいち人に名前なぞ名乗らなくても、あれを作った人・・・それだけで破壊力があります。ただそれだけなのね。
同じように、健さんも一緒。
こんな腕前で趣味・・・勿論、好みで判断するのなら、サザン大好きって言う人もいれば、下品な歌があるから・・・って好きじゃ無いっ人もいるし、
評価ってよりも興味が無い・・・なんて人もいるし、こんな程度の話では、お金を出してCDなんか買った事は無いだろうし、昔借りた事はある・・・。
こんな場合、ファンサイドでは無く、アーチストサイドから見たら、何も反映されていないけれど、CDを買ってくれたり、ライブに来てくれたり、グッズを
買ってくれたり・・・ファンクラブに入ってくれたりって言うのは、そのアーチストの株券を持っているって意味なのね。つまり支えてくれている人達なのね。
その資金が明日の新譜に繋がる訳で・・・人に応援されて支えられて生きるって側は常にこんな事の上にある・・・それを仕事って言うと、自分の家族を
守る為に働く事になるから、大きく変わって行くのね。いずれにせよ、どんな形であれ、考え方や表現の仕方一つで、物事は大きく変わるものなのね。
この2人はそう言った点では、この程度の話は着いて来られるので、スルッと流せるし、もうわざわざ言う事でも無いけれど、意識が変わると行動は変わる。
意識が変わらないと、行動が変わらないから、繊細さなんて、几帳面とか神経質とか、細かいとか、掃除の端っこをそぉっと、人差し指で撫でる姑みたいな
そんな仲間側にあるもので、そんなのどうでも良い・・・って言うのなら、普通だから、自己満足のまま趣味で良いと思うのね。ただ上手くなるって言う側
を選ぶと、えー良いじゃんーって言うのと、えっ?・・・それ自分で作ったの?って人の評価どっちが良い・・・って話で、10年後でもそれで大丈夫?って話。
まぁ簡単な話なのね。いずれにしても、この2人はこのままのグレードで終われれば、後者なのは当然の話なのね。そんな話の中、健さんの場合なら、
80年代の洋楽が好きだから、そんな話になって・・・くくりと言うのなら、80年から89年まで80年代なんだけれど、人ってそんなにザックリじゃ無いのね。
つまり健さんの80年代って言うのには、例えば86年までが80年代って具合にここまで・・・って範囲が各々あるのね。それとか、もっと大きくくくったら、
洋楽好きになるけれど、今の洋楽は好きなの?って言うのも、その人の許容範囲探しの質問になる。つまりそこがOKなら洋楽全般が好きで、しかも86年までの
80年代が最も好き・・・って事になる。更にもっとえぐれば、BTSは洋楽?こんな質問も大事で、それはKポップでしょ・・・って言うのか、それは洋楽です。
って言うのであるのとでは全く意味が違って来る繊細な質問って言うのは、こんな事であって、そこにこだわりがあるのかぁ・・・って事になる。つまり個人
レッスンって言うのは、学校では無いので、その人その人のこだわり知らないと、先生の考えの押し付けじゃ無いのね。個性的に・・・って教えるのは、
こっちの知らない情報を集める事で、その人を知る事を辞めたら、随分と楽に出来るのね。しかも人は生き物・・・その日の気分なんてもんがある。
調子が良かったり悪かったり・・・いつもと違うなんて事が判るのなら、立て直しの薬が欲しくなるだろうし、調子が良いならチャレンジも良いし、悪い
なら、悪いなりの進み方がある。心技体って言うのは、揃わないと・・・。でも揃うはずは無いのね。だって無意識では偶然だもの。そんなもん必然にしないと。
それを揃うなんて偶然では無くて、揃えるのね・・・必然にね。だから当たり前になれば良いだけ。それには意識・・・意識が変われば行動が変わる・・・。
ただそれだけ。俺はただモザイクの事だけそれに特化している・・・欠陥な人間なのね。しかも異常に・・・😁