今日は午後から外用流しのリピーターさん教室。その間は先日決まった泉銀さんからの依頼のイベントで展示予定の浦安の魚の作品の下絵。既にスズキやアジはあるんで、それ以外となると、まずアサリは外せない。何しろ今でも地元浦安にお店
があるくらいだからね。ただそうなると海苔なんてのもあるんだけれど、モザイクで手間を掛けても良さが出ない・・・残念だが外したのね。更に地元ならやはり釣り魚としてハゼって言うのも外せない。子供の頃から馴染みがあるのね。
そうするとハゼ釣りをしていると、昔は稀にカレイが釣れたのね。手のひら位のカレイは何人かで行けば、大抵誰かが釣れるもんだったのね。勿論、今でも釣れるらしいが、一度だけ40cm位のカレイをビクに入れた釣り人を見かけた程度。
そうなると、昔行徳港でアナゴ釣りが賑わった事があるのね。その時に結構仕事帰りにマメに行ってたら、雨が強くなった日があって、止んでから車から出て片付けに行ったら、80cm位のアナゴが釣れた事があるのね。
まぁこの辺で釣れるアナゴはマアナゴって側面に白い点々が付いているもので、良く見る感じのものね。それが茨城よりも上の方になると、クロアナゴなんて種類になるとメーター級はざらで、俺も1m30cm位のを釣った事があったりするのね。
最初滅茶苦茶怖くて、仕掛けを外そうにも手が嚙まれたら、食べられちゃうんじゃないか?って思うほどデカくて・・・そしたら、地元の人がそれ食べられるよ・・・ってカッターでさばき方を教えてくれてね。懐かしい話なのね。
他には、江戸前なんて天ぷらダネって感じで調べると、当然キスなんてのも出て来る。となると、それを食べるフィッシュイーターのマゴチって言う、ハゼを大きくして、頭をドカンって叩いたような平べったい形の変な魚がいるのね。
これもどうやら浦安市の広報的なサイトで見つけて・・・まぁキスだのハゼが餌としてタップリといれば、いてもおかしくは無いんだけど・・・俺が知っている情報では大抵マゴチがいるような所にはヒラメなんかもいて・・・。
千葉の平砂浦なんてのは昔、かなりルアーの人達で賑わう場所だったんだけど。今はどうなんだろう・・・。いずれにせよ、こんな理由から魚種が決まって行ったんだけど、全て今出て来ているのは、砂地にいるような底で生きている魚。
そこをカバーとなると、水面って事なら、ワタリガニやサヨリってのもいるらしいのね。まぁこの辺が落としどころなんだろうけど・・・。そこに最後に浦安って文字が入れば、今は無き浦安魚市場の看板のような絵になるのね・・・。
さてそんな中、陸前高田の担当の方から、色々と話が届いていて、お披露目が終わった後も賑わっているような話で、当日の新聞の記事を数社分と、市長のご挨拶のテレビを見せて下さって・・・良い賑わいだった様子が伺えたのね。
それとこれからも引き続き、案内的な事をして下さるようで・・・何かお役に立てられそうな感じではあったのね。何よりなのね。ではお教室となるのだけれど、どうしても様子を見て作りたい気持ちになっているのね。
例えば、全ての丸の輪郭を切ってから、様子を伺ってから張るってね。でも、実は見なくてもそれはとても難しい事なのね。ただ言葉でも十分理解出来るから、文字で説明すると・・・まず幅を決めて1枚目を切る。
そもそもここで失敗するようじゃ前途多難な訳で。だからここでは何も起こらないのね。でも張らない。それに合わせて2枚目を切る。当然切り直しをしなくては、合うはずが無いんだから、ピンセットでつまんで、1枚目に並べて置いて見る。
これがもし1枚目が張ってあるのなら、動かずにいるが、張っていない場合、2枚目で触ってしまうと当然ズレる。ズレたら直せば良いだろうが、5枚目、10枚目となったら、何度直していると思う?つまりその時点で、真っすぐな丸のラインは
保たれずに大体丸になっているのね。置くだけだから。所がいざ張るとなると、今度は大体置いてあったものを、キチンと張る事になるのだから、当然目地幅も変わって来るのね。だって大体からキチンとに変わるのだから・・・。
この時に大体ザックリ・・・って人と、大体ピッタリって人の違いが出るのね。最初の大体ザックリの人が、ピッタリに変えて張れば、目地幅が詰まって行くから、タイルが足りなくなるのね。所が大体ピッタリの人は、そもそもピッタリ。
でも同じようでも、丸のラインがピッタリにしている分、クネクネってキツキツになっていたりするのね。それをまたキッチリ張り直せば、今度は入らなくなったりするのね。何せキツキツだから。こんな現象が起きるのね。
その人がどんなスタイルの人か?によるのね。ただ人ってそんな単純じゃ無かったりするのね。しかも女の人。結婚と恋愛は別・・・なんて話なんだから、切っている時と張っている時は別って言うかも知れないでしょ?
つまり単純に言えば、切った仮置きも張る時もザックリとか、逆の切った仮置きも張る時もピッタリって場合なら、割と簡単な指導になるのだけれど、所詮仮置きだから・・・張る時修整なんて感じな場合、恋愛と結婚は別になるだろうし、
これ可愛いぃぃって言うから、好みなのかなぁ・・・と思いきや、買うならこっち・・・って全然違うじゃんってな事になったりする。だから、余程の付き合いで好みが少し判っているような場合じゃ無いと、いきなり指導って訳には行かないのね。
だって仮置きなんだから・・・。だから、1枚目から張ってね・・・って言うんだけど、結果を知ってからじゃ無いと、張れないって言う人がいるのね。まぁサンプル教室的な話で、サンプルの結果を見て、1から・・・って順番な制作。
けどね、それは図面やレシピ、楽譜ありきの話で、オリジナルって結果が見られないのね・・・完成するまで。全ては想像力で作るものだから。だから予知的に、こうすれば、こうなるのかも・・・あくまでなるでは無く、なるかもなのね。
それを見えない力の、想像力、洞察力、観察力で、だとしたらこう?かな?ってある意味全ては実験くんなのね。そこで同じ悩みで進まないと思われるフェルメールさんの作品を見せて、どう思う?って質問したのね。
すると、後一息じゃ無いですかぁ・・・的になるのね。でもね、逆にフェルメールさんに見せたら、同じ感想かもね。ただ、本人曰く、ここまで来ても、今年中に終われば良いなって言う事を伝えると、えっそんなに・・・って。
これが今、進まないと思う理由なのね。難しいと思い込めば、難しくしているのは自分なのね。では何故思い込むか?となると、今まで制作して来た完成度からなのね。例えば30点の出来栄えだったと思っていたら?どうかな?
もうどーでも良いや・・・って進められると思うのね。でも既に2年近く費やしているのね。その時点で完成度が30点のはずが無いのね。つまり今まで自分なりにちゃんと積み上げて来た感じがするでしょ?って事は何点?
それが80点だとする。結構良い点数なのね。そうなると、2年積み上げて来て、後ちょっと・・・まっ適当に終わって点数が下がった所で75点位には見えるかっ・・・って出来る人は、2年も1作に掛けないのね。つまり最低でも80点のまま・・
こんな気持ちで取り組んでいるのね。ただ問題はその自覚は一切無い事なのね。本人はいつも通りだと思っているから。でもね、そう言う事になるでしょ?それは人それぞれだから、90点なら、最低90点って思っているし、60点なら最低60点
ってね。所が、結婚と恋愛は別・・・果たして自分の評価の点数・・・最初の評価合っている?ここね。もし大きく見間違えていたら・・・自分は80点としても、人は95点だったとする。って事は、自分評価を過小していた事になる。
つまり無意識に15点の差に苦しむ事になるのね。だって仮に80点だって、どんな分野であっても、かなりの高得点でしょ?それは簡単じゃ無いのね。なのに実際は95点・・・もはや満点に近いのね。ではこんな場合のやり取りは・・・。
凄いね・・・凄く無いです。えっ凄いよ・・・いえまだまだです。こんな事になる。もはや150点でも足りない感じね。逆に受け入れる場合、凄いね・・・は、本当ですか・・・やったー。じゃそれキープね。に変わる。
つまり常に自分評価の人は、自分が納得したら・・・になる。でも、そうなると、自分の眼の評論家の自分と、作り手としての実力の両方持てないと、曖昧な判断、つまり気分での評価になってしまうのね。
これが良くある、褒められたらおしまい・・・なんて教えで生きた人のセリフの説明になるのね。それを受け入れると天狗になるって言われるし・・・まぁ面倒な話なのね。だからきちんとした眼が必要なのね。作品作りには、特に。
どんなものでも、どんな人にでも、他人の評論で左右するのでは無く、自分の眼できちんと見て、自分なりの解説が出来るようになると、持論なるものが出来る。それを思い込まない為に、ワクチンを作る為に、他人から意見を頂くのね。
勿論毒が強ければ、大きなダメージになるし、きちんと入れられれば、抗体さえ作れれば、ウイルスはワクチンになる。つまり自分には無かった考え方が出来た事になる。思い込みってのは鎖国みたいなもので、ペリーが来航しないと、
いつまでも島国のまま。まぁ受け入れるのは勇気だけれどね。そうやって繰り返すと、そんな考え方ってあるんだ・・・って新しい発見になる。勿論、最後に使うか使わないか?は自分の判断になるのだけれど、思い込みでは1つの考えのままになる。
これがね、こんなの関係無いわって人は良いんだけど、日常にいっぱいあるのね・・・毎日の暮らしの中に。進撃の巨人を知っているのなら、リバイ兵長の、仲間を信じて失敗して、自分を信じて失敗して・・・次はどうする?
スポーツをしていても、このボールってパス?シュート?・・・入れば褒められ、入らなければ地獄だね・・・でも安全にとか、危険回避してパスを選択したら、何故打たなかった・・・って言われるかも知れない・・・とか、株今売る?いや、
少し待つ?・・・ティッシュをここで買う?あっち見てからにする?・・・時間差はあるものの、日常に常に判断を求められる事があって、オリジナルの物作りなんてその最たるもので、常に考えて進める・・・。ひたすら作業じゃ無いのね。
同じ事を繰り返しているばかりじゃ無いから。良く心技体なんて言うけれど、体はからだって読んだだけじゃん。って言うと、じゃ健康って事にして、じゃ技は?って言うとテクニックとか、技術なんて事を言う人がいるのね。
じゃそこまではセーフにして、じゃ心は?って言うと・・・平常心とか言うのね。じゃ判っているならそうすれば・・・なのね。俺はこう思うのね。心は気なのね。気・・・元気、負けん気、根気、勇気、のん気、短気・・・気って付く字は
山ほどある。つまり先人は気ってものが、どんなに大切か・・・と教えようとした訳ね。きっと。判っていても出来なかったりするから。もっと言えば、判って無いから。もしそうなら、先生やって行くってのは、気を一定にする事かもね。
俺はプラスには出来ないと思うけれど、0に戻す事は出来る気が済んのね・・・気ね。ただこれも、薬だって万能じゃ無いから、本当にそう思う人にしか効き目は無いんだけどね・・・所詮俺程度の戯言。だから信じるも信じないもご自由に。
まぁ必要な人がいるから、20年続けられたんだけど・・・ただこれも、モザイクの先生katsuなのか?作家katsuなのか?で教え方は変わるのね。先生なら、モザイクの話しか出来ないし、作家なら、オリジナルを作る考え方だから、モザイクの話
じゃ無い事の方が多くなる。考え方だからね。歌う事を重視なのか?作詞作曲の話をして良いのか?全く違うスイッチだからね・・・中々こっちも難しいのね。まぁいずれにしても、後一歩。