katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

リピーターさん教室とデイ・サービスのフクロウ印鑑立て下地

2023-06-10 02:59:13 | モザイクタイル教室

今日は午後からフェルメールのリピーターさん教室・・・と言う事で、合間合間に今月分のデイ・サービスのフクロウの印鑑立ての下地。

印鑑を立てる木の部分の取り付けから始まって、目をお絵かきタイルで丸を20個切って・・・目、目のふち、眉毛みたいなペンキ塗り。そしてフック付けとなるんだけれど、フックが途中で無くなり終了。まぁ明日以降に残りを取り付ければ、この下地は完成って事になったのね。

そんなこんなでお教室。そうね、今日はこんな話がお教室の話になるんだけれど、例えば、ん・・・じゃこのフクロウ下地を例にすると、手作りだから、微妙に色々と違うのね。ただ同じように、同じ色で普通のサンプル教室のようにやれば、それでも大体同じようになると思うのね。

所がまぁ俺の所に来る人って言うのは、そう言うサンプル教室がやりたい人じゃ無くて、最低でもちょっとは人と違うものが作りたいと思う人が多いのね。そうなると、どうやって人と違うものを作るのかな?って言うと、勘違いしてしまうと、ちゃんと切るとか、好きな色を選ぶとか・・・。

そんな事では、単なる気分一つで毎回違うものになっちゃうのね。それと、良く私はセンスが無いから・・・って卑下するような人もいるが、そんなくだらない事でやる気を削ぐような事はナンセンスなのね。そもそも技術なんて繰り返しで大抵何とかなるし、センスなんてものも、ある程度、

理解出来れば、それも大抵何とかなる。ただ一番難しいのは、やる気って気の部分なのね。この気って目に見えない事が厄介で、しかもこの気が支えられないと、継続は力なり・・・って誰でも知っている事にたどり着けないのね。まぁ理屈としては説明をするとこんな感じになるのね。

ではこれをきちんと説明するのに、まずこのフクロウ下地を使うと、良く目は口ほどに物を言うって言うでしょ?つまり目って言うのは、言葉にしなくても他の部位と違って、感情ってものが出やすいものなのね。だからとても大事だって事になるのね。って事で、ひとまず理解だけして貰って・・・

では視点を変えて、そう言う訳で、どんなフクロウの印鑑立てにするか?って事になると、両目の黒目を中心部に左右対称にすれば、普通の顔になる。所が1つだけ右だけ、左だけにすると、あっちを向く。そうすると照れた感じにもなる。それを下に向ければ、もじもじになるし、上に向ければ、

何かを隠そうとしている感じにもなるし、右左をあっちに反対にすると、すっとんきょうな雰囲気にも見える。ただ目の位置を変えただけで、単純に表情を変える事が出来るのね。それは偶然では無く必然にね。つまりやって見たら偶然にそうなったんじゃ無くて、そう見せられるのね。

こんなものがテクニック。つまりこれで技術もテクニックも説明出来た事になる。そして良く出て来るセンスって話。それが恐らく感じるって話なのね。そもそもが感じる事が出来ない人って言うのは、何処まで行ってもオリジナルは出来ない人なのね。例えばそれは五感の話になるのね。

どんなに技術とテクニックを得られたとしても、ここまでを極めてもなれる側は、古典落語や歌舞伎側の、個性は要らない、伝統や文化、継承側に所属する考え方になるから、徹底的に、楽譜、レシピ、図面に反って行く側に進めば良いのね。所が今度はその反対側に行こうとすると、自分が無いと

話にならないのね。それが個性って事になるのね。では個性って何?って事になると、五感って事からは離れられなくなるのね。それは味覚なら、濃いのか好きとか、薄いのが好きとか、酸っぱいのが好きとか、これはウエルダムとレアみたいな極端な例だけれど、ミディアムなんて中途半端なものも

あるって事になると、甘いでも無く、しょっぱいでも無い、甘じょっぱいとか、甘酸っぱいとか、半々、ハーフ・アンド・ハーフ的な表現になる。ほら際限のない好みになった・・・では視覚なら?男だ女だって好みならどうかな?みんな同じじゃ無いし、聴覚なら?では触覚なら?そして嗅覚なら?

それの視覚って部分の初歩がモザイクに必要になるのね。その時に、このフクロウをどんな風に見せたいか?って事を、コンセプトとして決めるのね。例えば、可愛いフクロウとか、大人なフクロウとか、お洒落なフクロウとか・・・最低この程度のね。では可愛いとすると、目の位置にしても、

どれが可愛く見える・・・って感じに決めるべきなのに、私はこれが好き・・・みたいにフィーリングでやろうとする。これが厄介で、気ってのは気分なんて事になったりする。その気分って言うのは、今日のモザイク教室に合わせて気分を作って来たのかな?・・・んなわけが無いのね。

って事は、作って来ていないのだから、哀しい気分で来たら、哀しい気持ちを盛り上げようとすれば、いつもよりも華やかになるし、逆に哀しい気持ちのままなら、いつもよりもトーンが下がるし、そんなもんはある程度、回数を重ねれば、見抜く事も出来るだろうね。

これをもしスポーツなら、そこを見逃さない事が、癖を盗むって事にも繋がるから、狙い撃ちが出来たりする。こんな目に見えない力的な気の部分がセンスや個性って話になるのね。ただね、この目に見えない力って言うのは、想像力、洞察力、想像力ってクリエーターなら当たり前の力の話だけど

・・・それをお教室でやると、学力や体力的に目に見える指導とは違うので、単なる世間話とか、モザイクには一切関係ない話に思われるのね。つまり古典のような側の先生なら、単なるモザイクだけの指導をすれば、目に見える指導だけで良いのね。けれどもし、クリエーター教室だとしたら、

目に見えない話が大事になるのね。それはこうしたモザイク用語もニッパーも一切持たない教室でもあったりするのね。だから、理解の出来ない人には、何も教わっていない気持ちにもなるのね。こっちは声を張って教えたとしてもね。だから、どっちが必要な人なんだろうか?って言うのも大事で、

それも見抜かないと、世の中の生徒さん側から、先生と合わなかった・・・なんて比喩を言われるのね。何が?合わなかったか?って言うのは、単にこんな事が合わなかった事になるのね。まぁとても簡単な事なんだけれどね。まぁそれが必要って人だった・・・って事だから、そんな話が指導だった

ってただそれだけ。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 行って来たのね・・・大家さ... | トップ | 港区立郷土歴史館用下地と5人... »
最新の画像もっと見る