katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

棟梁教室と色んなペンキ塗り

2023-11-13 07:33:13 | モザイクタイル教室
今日は棟梁教室から。四角いのはガラスタイルで、2cmチョイの大きさなのね。これで蝶の大体の大きさは判って貰えると思うんだけれど、これを見た人の感想って言うものを想像してから、

作っている棟梁本人の考えなんかをまとめて見たいのね。まず人は見かけで判断をする。ここね。
大抵は目に見えたものを、何も考えずに判断をするものなのね。ではその際たる反応の1つは、

あっ、蝶・・・これがまず1つ目。種類なんぞどうでも良い。ただ蝶に見えた・・・ただそれだけ。まずこの反応が貰えないようでは、下手っぴ認定って事になる。そして次は、何々蝶みたいに

品種をあげられたりすると、その上の段階になったりする。勿論、そこはそこそこ蝶に詳しい人じゃないと、判らないのだから、評価する側の目が必要になったりもする。ただそこが判ると、ただ

蝶では無くて、そこまで似ているものが作れているって評価に繋がるのね。ただこの場合は、ファンタジーとして架空の・・・って事だろうから、その評価は最高であれば、可愛いとか綺麗な蝶

って事であれば良いのね。ではこれをモザイクをやっている人であるとどうだろうか?そうなると、腕があればあるほど、素材が何であるか?そしてカットの技術を見る事になるのね。更に、

もし画力、つまり絵の先生となると、オリジナルの絵なんだから、デッサン力やデザイン力だけを見られるのね・・・ただこの場合は、100%棟梁の方がモザイクは上手い人になるのだけれどね。

それは絵が上手い人であって、絵が上手いからと言って、タイルがカット出来る訳じゃ無いからね。だからあえて100%にしたのね。まぁここまで切れれば、何処に出しても充分だからね。

そう言う感じであろう・・・って前提で、棟梁は一体どんな感じに思っているか?になると、まず蝶自体が好きでは無いから、リアルに作れない。つまり穴のあくほど見る事が出来ない。

この時点で、リアルにならないし、良く見られない時点で、画力も落ちてしまうのね。しかしながら、それで良いよ・・・ってスタート切れた理由があるのね。そもそもそんなのカンケーねぇ〜。

からなのね。何故なら米粒に文字を書くような芸当だから。そもそも世界一細かい字を書く人がいるとして、そいつは達筆か?って言うと、恐らく書けてます・・・って感じなのね。では、世界一

達筆です・・・って人は、米粒に書くか?って言うと、恐らくもっと大きく書くと思うのね。つまり達筆にするにはある程度の大きさで無いとならないし、小さいだけなら、書ければ良いのね。

この判断力があるのなら、この蝶のグレードって言うのはどうすれば良い?って考えれば良いだけなんだけれど、棟梁の考えは常に強欲なのね。きっと自分の決めた大きさで、キチンとちゃんと、

自分の思った通りに作って蝶に見えるどころか、優雅に飛び回っているような・・・って感じに最高の演出家や映像監督が言うんじゃ無いか?って位の欲張りな演出を出来て当たり前のように考えるのね。

ただ何度も言うけれど、やりたい事とやれる事は、常に違っていて、見極める目が必要なのね。この場所で、この大きさで、この素材で、自分の腕で仕上げるには、この位を目安として考える・・

って見極める目が無いと、常に深追いし、常に全力で、常に結果を意識する。では、この考え方で簡単に誰でも想像が付く事例を1つご紹介すると、手持ちにとても珍しいガラスタイルが5枚あると

する。失敗しなければ、何とか足りる・・・この場合に行く?行かない?俺は降りるね。そんな危ない橋は渡らない。所が棟梁は渡る・・・つまりチャレンジに行くのね。こんな人の場合、常に

そこに使いたいから・・・ってだけで、失敗したらどうしよう・・・なんて一切考えていないのね。つまり大冒険なんだけれど、何も考えずに、チャレンジを選ぶのね。しかも大冒険になるとも

思わずに・・・これが失敗すると、自覚の無さって事になり、成功すると切り抜けられた事で、満足な結果を得る事になるから、もはやインディージョーンズ的な大成功な感じがするだろうね。

つまりこれを俺はフォワードだね・・・とか、4番バッターとか、エースとか、王様って感じに表現をするのね。こんな人は後ろ向きな事を考えたら、やれっこ無いのね。良いから俺に回せって

人なんだから。これがお芝居なら白雪姫とか王子様になるだろうし、仕事なら営業みたいになり、狩りをする人だからハンターとか、漁業みたいな事になるのね。獲物を捉えて点々と・・ってね。

って事になると、成功すれば問題は無いが、思うように行かなかった・・・そんな準備をしていない事になる。つまりその勇気はそれで良いが、本当の一流は回避の仕方や、その代替え案が無いと

、テンションを下げて、じゃこれで良いかっ・・・みたいに当初の予定にならなかった事を引きずる事になるのね。話を戻して、この考えで5枚の最初に失敗したとする。まだ4枚あるじゃんなのか

1枚失敗した・・・残りは4枚しか無い・・・って思うのか?は、棟梁の考えだから想像するにして、2枚目に成功すれば、取り戻した感があるから行ける・・・って気を取り直せるだろうね。

そう気ね。常に気・・・やっている人は棟梁であり、同じ人物の同じ腕なのに、その気って目に見えない部分が、チャレンジしている、追い込まれる、追い込まれないって事で、左右されるのね。

じゃ2枚続けて失敗したら・・・ただ当然棟梁。この程度で引き下がるはずが無いのね。何故なら、思い通りに切れなくても、最悪この部分は細かいからここで使える・・・みたいにへこたれない。

その程度は先生歴が長くなったから、余程他の気が滅入る事を抱えていない限り、まだ大丈夫だろうから放置で良いだろう。では3枚目。もし成功したとして、1勝2敗の場合、良かったぁ・・って

気分を取り直して、3勝2敗の目を残せると思うのか?もし最初のどちらかが成功しているのなら、2勝1敗になり、勝ったり負けたりの繰り返しで、何とか逃げ切れる・・・って判断をするだろうね。

何故なら、性格が必ず成功ありきで始まっているから。これがディフェンダー側となると、まず5枚の段階で無謀なチャレンジはしない・・・つまり安全で使える場所で、しかも最初からクラッシュで入れられる前提の場所を選ぶだろうね。

考え方が全く違うのね。生き物としてね。まぁそんな比喩が、先日亡くなった大橋純子さんのサファリ・ナイトの歌詞では、獣とハンターの関係を比喩して、男と女は寂しいめぐり合わせ・・って

言うのね。追われる方も追う方も、愛し方をなぜか知らないなんて・・・ってね。話は戻して、棟梁の場合、恐らく3敗目になったあたりから、もう駄目だ・・・になると、どうせとか、これでも

良いかぁ・・・って、もはや気力を失う事になって行くのね。つまりこの辺から、在庫に数枚無かったかな・・・と動き出さなきゃならなくなるのね。こんな時に、最初からあるなら出せば良いのに・・・

って聞こえそうだけれど、それは全く意味無いのね。それは常にある前提で、常に安全でやっているから。そうでは無くて、無い中の工夫や、無い中でどう切り抜けるのか?それは進むべきか?

回避すべきか?・・・そんな判断の練習だから。しかもただ独りでやって行く人ならそれでも良いが、棟梁はこの先、人が廻りに付く側にいるから、自分の判断でその教えで、道を間違えずに済む

のか?それとも八甲田山や大和の乗組員みたいに共に・・・になるのか?は、リーダーの判断1つになる。目先の指導なら、はいはいこれね・・・って渡しとけば、勝手に好きにやるだろうね。

ただそれではそれ以上は上手くならないのね。もっともっと先を見たら、そんな教え方したら勿体無いのね。こっちとしても、今後の事も考えると、ただ教えるってだけでは無い訳で・・・。

まぁ、オリジナルの教室って言うのは、相手の考えを聞く事は勿論だけれど、そう見せる為には、こんなのもあるんじゃ無い?って気付きって部分・・・また気。つまり目に見えない事を考える。

そのアシストも必要なんだけれど、少々の失敗は、可愛い子には旅もさせないとならないし、失敗してへこたれると、旅をしなくなっても困るし・・・さらなる上はあるし・・・向上心ってのは

強欲なもんだからね。そんな教室の後は、デイ・サービスのサンタのペンキ塗り。

そして蕨の歴史資料館のサンタの文字のペンキ塗り。

そうそう、これが蕨から連絡が入ったんだけど、20名の所に130人以上の応募が合ったらしいのね。何よりだったのね。滑り出しは順調なのね。それと、どうやら来年も新春早々に去年のような

事が出来そうな話がやって来た・・・。

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