今日は午後からウォンバットのリピーターさん教室。そうね、今日は結構色んな話の教室になったのね・・・。その一部は、ちょくちょくある事なんだけれど、作家katsuと先生katsuのどっちのスイッチを入れるか?なのね。
しかも入れるのなら、俺の判断なんだけれど、無意識に生徒さんがスイッチを押す瞬間があるのね・・・。今日はそんな話。例えば何が違うのか?の説明となると、先生katsuなら、タイルの切り方、張り方、好みの相談、テクニック・・・って
言った、目に見える事が指導になるのね。これが例えばくじらの教室だとしたら?極端な話、一枚も切る事が無くても、会話で十分指導になるのね。何故なら1つのお題で自分がどう感じるか?をずっと話し続けた時に、お互いの意見交換で、さし加減なんて事が測れたりもして・・・
それが1つの引き出し材料にもなったりするからなのね。そんな事に似た事があって・・・例えば、こんなのはどうかな?
これは来月分のデイ・サービスのサンプルなのね。ちなみに目地を入れたのね。じゃこれにタイトルを付けて見て・・・って事になると、令和の鬼除けって事にしたとするでしょ?そもそもがイワシの頭にヒイラギの葉っぱだけなら、昔っからの風習のままなのね。
だったら令和らしいものが入らないと、新しいものにはならないのね。それで鬼除けって言えば、今風と言ったら、鬼滅でしょ?そしたら、鬼除けって言ったら、やっぱ藤の花でしょ?それさえあれば、安心安全なのね。
ただそもそもタイトルなんて考えないでしょ?ただもし作家なら?それは普通でしょ?でも、素人で楽しみだったらそんなのいらないでしょ?でもそれをこの方は、違う分野での習い事で、それを考えるような事をしていたのね・・・。
例えばこのイワシの作品に、節分ってタイトルを付けたとするでしょ?それなら普通だし、その節分って言葉で、あぁイワシね・・・って判らなかった人も判ったり、ヒイラギの葉っぱで、既にそうかな?と思っていたけど、やっぱりね・・・
って感じに、確認って感じになれば、タイトルは説明の補足とか、確認みたいな感じの役目になると思うのね。それを令和の鬼除け・・・となると、ちょっとひねったタイトルだから、まずイワシの頭の習慣を知っていて、何故そんな事を
節分にするのか?って意味さえも知っていたりもする。そうした知識賢者なら、鬼除けって何?って事を想像して、節分の行事は鬼退治みたいな事で、イワシの頭は臭くって匂いで退治、更にヒイラギのとげとげで目潰しって意味らしいのね。
つまり俳句の季語的に、暗黙のルールみたいに判る人には判って貰えるのね。でもここまでは簡単に判ってくれたとしても、令和の・・・って部分が、はぁ?何それ・・・って判らなかったりすると思うのね。ただもし説明したら・・・。
もし藤の花に見えたら?・・・もしかすると、あっ・・・って気が付くかも知れないのね。良く歌の世界でも、普通の流れではこんなコード進行なんだけれど、ここに引っ掛かりとかフックとか、って違和感を入れたりするってあるのね。
つまり普通って事を変える事で、お笑いで言う爪痕残しみたいな、何かしらの効果を狙ったりするなんて事があったりする。サラッと流されないように・・・みたいなね。ただこんな事は、プロを目指すような人達の話で、趣味の世界には
必要は無いのね。ただ厄介なのは、目指してなくても真剣に取り組むと、必然的にそっちの方向にも目が行く人もいるのね・・・無意識にね。本人はそんな事を考えている意識無くね。でも自分の作品にタイトルがある時点で、それに寄せる
ように作りたくなるでしょ?・・・つまりそれに本人が気付けると、意識が変わるから、行動も変わるのね。つまり何が変なのか?みたいな是正って事が出来るようになるのね。だから何か変なんだよな?って漠然で無く、必然に直って行く。
そうすると、結果が変わって来る・・・って言うような事なんだけれどね。まさかこんな話をする事になるとはね・・・聴いている方としても、本当に必要だったか?は疑問だけれど、自分で作家katsuのスイッチを入れたって事は、理解して
くれたみたいなのね。しかも悩みの仕組みも判ったみたいだし・・・。そんなこんなで次回が今年最後のお教室なんで、次回は是正教室みたいになるのかもね・・・。そんなお教室の後は、
目地を入れて2つ完成。