katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

家族の新年会とのぶさん教室

2025-01-05 08:30:16 | モザイクタイル教室

今日は今までには無い、特別な家族の新年会・・・ただ残念ながら下の妹は家族にインフルがいるんで、来られなくなって・・・ただ長女が娘と来たのね。

カニと手作りの焼豚と、ちょっとしたおせちっぽいのは買ってあるけど・・・って事で、冷蔵庫の中を長女が確認して・・・じゃ買い物行こうかって。

と言う訳で、俺と妹で買い物に行く事になるんだけれど、これもまた初めて・・・2人で買い物なんて、恐らく小学生以来って感じの話だと思うのね。

前回は2人で食事だったりして・・・苦笑いな話になった。それを帰ってから話すと、えーそうなの?って驚くんで、姪っ子は30歳らしいんだけれど、

兄ちゃんと2人で買い物行った事あるか?って聞くと・・・間髪入れずに有り得ないわぁ〜って。だろっ?きっともしかしたら、俺達みたいな歳になったら、

あるんじゃないの?そしたら、これかぁ〜って思うよ、きっと。昔、子供の頃に叔父さんが、すぐ歳なんか取っちゃうよ・・・とか、真っ直ぐ生きろとか、

何言ってんのかなぁ?って、何か神様のお告げみたいな事言ってんなぁ?って思ったりしたから、流石にそんな節回しは言わないけれど、何かこんな事を言う程

歳を取ったんだろうな・・・って思ったりした。ただ今年の正月は今まで迎えた正月とは気持ちが違って・・・これが最後なんだな・・・きっと・・・って

思う正月になった。来年は今年とは全く違う事になるはずだから・・・。だからこんな普通な正月は最後・・・。だから無事に終わって何よりだった。

そんなこんなで午後から、今年初のお教室はのぶさんから。のぶさんは、料理の先生な事もあって・・・

ヘビのクッキー貰ったのね。あっその前に、ピエロの壁画に連れて行った・・・からだったわ。凄いぃぃ・・・って、可愛いぃぃって。そうね、あんな

一般家庭は無いからね。しかもプチッと参加しているし・・・。ただあれっ?何処だったっけ・・・って、自分がやった所が曖昧になっちゃったらしく・・・

でも、って事は溶け込んじゃったって事だから、違和感を感じていないんだから、参加してもヘッポコには見えなかったって事なのね。だからOKなのね。

そんなこんなでお教室となるんだけれど、これはぺきぺきでは良くある事で、そもそもぺきぺきはタイルが大きいから、1パーツが大きく取れるのね。

これが例えば1cmタイルなら、切ってしまえば数ミリの繰り返しとなるが、ぺきぺきでは3cmだって、5cmだって平気に取れるのね。その時に、大きなスペース

には大きいパーツが入れられる、小さなスペースには小さいパーツしか入らないって考え方は、スペースに左右される考え方一択なのね。それを理解した上で、

大きいスペースには大きいパーツを入れられるが、小さいパーツも入れられる。そしたら逆も言える事で、小さなスペースには出来るだけ大きくは入れられない?

って発想があれば、混ざり合う感じになるけれど、前者では水と油のように分かれた雰囲気にはならないだろうか?って話なのね。しかもそう言う事になる

理由もあって、最初は手慣れないから手に持ちやすいサイズにしがちなのね。それが段々と上手くなると、細かいパーツが切れるようになるのね。更に

野菜や文字なんて周りは、バックとして残りの空間になるから、自分が作った間に入れないとならなくなるのね。とても邪魔な感じにね。それが最初は難しく、大変なんだけれど、

それもいつしか切れるようになるのね。慣れだね。そう手慣れると、出来ない事が出来るようになるって事で、無意識に避けなくなるのね。つまりそれを

繰り返してしまう・・・って言うのが習慣。こんな所まで来た人へのアドバイスは、ジャイアンって言葉やごった煮的な大きさがバラバラって表現。

この言葉で大体の人は遠い記憶の指導を思い出してくれるのね・・・あぁそれがランダムって意味だってね・・・。そもそも指導なんて、いちいちあぁだ、

こうだって言う方も面倒だが、言われる方ももっと面倒なのね。大事なのは身に付けるって言うのは、気付きなのね。言われなくても出来るようになる事。

それを何年経っても同じ事を・・・ってお母さんのセリフで言うのなら、何度同じ事を言っても変わらないのは、響いていないからなのね。つまり響かせるコツがあると思うのね。

そもそも人って言うのは、いちいち言われるのが嫌だなぁ〜って人と、言ってくれないと判らないって依存な感覚の大きく分けて極端な2通りだとする。

これがいつも言っているストライカーかキーパーか?みたいな表現なのね。だから教え方も簡単で、ストライカーならブレーキ、キーパー側ならアクセルみたいに、

そっちのタイプに無い事を提案する。これがウイルス的発想なのね。その人の中の考えに無いの提案・・・それに寄って新しい考え方が生まれる可能性が広がる訳で・・・。

ずっと同じ考えでずっと同じ習慣で行くのなら、クラッシック、古典落語、伝統芸能、何とか流、何とか派・・・みたいな方向へ歩めば良いし、逆は、

ポップス、新作落語、スーパー歌舞伎・・・そしてシンガーソングライター的に、自分で考えるオリジナル側となるのね。こっちは常に考える事から始まる。

何せ常に生み出す事から始まるのだから。それを教えるって言うのは、答えを教える事では無く、考え方への気が付き方なのね。だからいかに会話の中で、

その人の理想や趣味趣向、思い描いている事がこんな感じ?と共有出来なくては、楽譜やレシピや図面通りでは無いのだからね。それが洞察力、観察力、

想像力で共有して、例え答えがこう言う事かな?と判ったとしても、自分で気が付く練習の為に、ヒントは言っても答えは常に自分で導けるように・・・となる。

ただ当たっている時に、待つって言うのも中々大変なんだけれどね・・・。でもそんなやり取りを繰り返すと、とてもやり取りはスマートになり、質問にも

何でそんな事を・・・?では無くて、やり取りが上手くなるのね。いずれにしても、二人共に先生だから、その点では全く問題無しなのね。そんな後は看板。

まずまず可愛い。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 弟子のさくらが来て・・・ | トップ | 棟梁とりょうさんと健さん教室 »
最新の画像もっと見る