今日は午後から中学生教室。それまではアオリイカのモザイク。
どうしても、アオリイカをお寿司でしか見た事の無い人は、えっ?イカ・・・って思うんだろうけど、普通の人が思い浮かべるのは、頭がシュとして尖っている、あんな姿だと思うのね。これは良くある話で、例えば金魚って言ったら、普通は
お祭りの金魚すくいの・・・って、正式には和金って言う、フナの形だとか、太っちょの琉金、黒い出目金なんて言うのが、思い浮かんだり、トカゲと言うと、茂みからチョロチョロ・・・ってあれ、でも茶色っぽいのは、トカゲじゃ無くて
カナヘビって名前のものだったりして、ちなみにトカゲって言うのは、ちょっぴり緑がかったキラキラしている感じなのね。これらを、例えば好きな人達なら、金魚はランチュウじゃないが、頭がボコっとしてたり、一般の人とは違うものだったり、
トカゲもヒョウモントカゲモドキだったりすると、もはや尻尾が見た事の無い、ランチュウの頭くらい、違和感を覚えるものだったりする。そう考えると、スルメイカみたいなものでは無いのね、アオリイカは。そっち側なのかな?
それがいつか半透明っぽいものを作る時に、使おうと温存していたビンテージもののタイルがあったのね。それがまさにイカ色なのね。以前、アワビの時も、まるでアワビの為のタイル・・・なんて言うのがあったけれど、今回はイカ。
その昔は今の何倍も色数があったのね。ここでは、そのビンテージもののタイルは、その半透明のものと、右から二番目の足に使っている、紺のマーブルな模様の二つを使っているんだけど、まぁ見事なのね・・・何しろ凄いのね。
こんなタイル、何処の誰が、どんな所に使ったんだろう・・・って。ただね、思うのは、儲かっている成長期なら、いくらでも投資がてらに、新製品は作れるけれど、そうで無いと、在庫は抱えられないし、縮小してしまう。
失礼な話だが、例えば国技的に考えても、柔道、剣道、相撲・・・これらの道具を作っている会社と、野球、サッカー、テニス、スキー、スノボー・・・こんな誰もが知っているし、やった事のあるスポーツとなると、もし製造する側だったとしたら?
後者の方が売れるかな・・・と思えたりする。そしたら毎年新製品が出そうだけれど、前者だとね・・・。ずっと同じものな気がするのね。勿論個人の見解ね。つまり1cmタイルだって同じ事なんだと思うのね・・・。
だから誰かが使う事で、またその繰り返しが次に繋がると思うのね。でも単純に二つあって、一つは底辺拡張だから、みんなが手軽に張るだけでも使うって方向と、凄い・・って欲しくなるとか憧れるような方向。
それがオリンピックのメダリストなんかのセリフに良く聞く事で、ここが始まりで、これからも是非見て下さい的な・・あれね。活躍する人がいれば、知られなかった分野は、光が当たる。その時は賑わっても、その国際舞台では無い、平場
の試合では、放映も無いし、それでは一過性のものになる。所がそれを見てやりたい・・・って人が出て来て、中には目指すなんて人も出て来る。その繰り返しの人数の多い分野が生き残っているって話なのね。
そしてその分野の道具や材料で生きている人達もいる。この人達が漁師なら、俺は板前。さばく事は出来ても、魚は捕れない。これが餅は餅屋な話。つまり昇格するなら、板前では無く花板なんだろうね。そこは人寄せパンダ役だから、
いかに興味を持って貰えるか?になる。そしてここにもやっぱり役目が二つあって、底辺拡張の為の誰もが真似出来る、簡単な方向の伝道師と、憧れるような目指したいとか、届かないような凄さの伝道師のような・・・。
それは職人でも、大工として一般住宅を建てる人と、宮大工って言う、神社仏閣のように守り続ける為の人。同じ大工でも、方向性が全く違う・・・まぁどちらも簡単では無いが、ひとまずタイル屋は20年やったし、でもモザイクも20年。
そこそこキャリアだけはカッコが付いて来た・・・そんな感じ。おっと長くなった、ではお教室。先日話した、点と線の話の続きのような話になるが、今日もまた線の話になるのね。要するに光のようなものは、点・・・つまり1パーツでは、
完結しないのね。だから何枚も繋ぎ合わせて1つのパーツにするから、この繋ぎ合わせるって感覚が、繋がったじゃんってくらいなら、それもそれで良いが、それでは仕上がりが、じゃん・・・位なのね。簡単な話、文字の通りなのね。
それをきちんと繋ぐ・・・なんて言うと、このきちんと・・・のきちんとをどう解釈するか?なのね。そもそもそこが理解出来るか?出来ないか?で上手くなるかどうか?が決まるって言っても過言じゃ無いのね。例えばバトンを繋ぐとか、
タスキを繋ぐ。どちらも走る事に出て来る言葉だけど、タスキを繋ぐって駅伝で使うが、どう渡している?別にどちらの手で渡さないと・・・とか、何か決まりがあるように見える?どちらかと言うと、渡したよ・・・頼むよって感じだよね。
それは渡すまでの時間が長く、情緒すら感じるからだと思うのね。こう言う場合なら、どんな形で渡そうと、何しろ気持ちみたいな感覚を繋げるように思えるのね。でもバトンを繋ぐとなると、一瞬の出来事。いかに相手に取りやすく渡せるか・・・
みたいな、瞬殺な感じがする。ここには後から振り返って情緒は感じても、その一瞬は単なる一瞬で、きちんと渡すって行為の意味が変わって来る感じがするのね。じゃこんなに表現が変わっているものを、モザイクにしてとなると・・・。
これを見たまま、写真のまま作るなら、どっちも同じで、そこにはきちんと真似て描くしか無いのね。きちんとね。つまり結果は似ているか?似てないか?になる。所がもし、自分なりの解釈で作るって言う形なら、何も見たまま作る必要は無いのね。
つまりいかに感じ取るか?になる。そこにどんな意味があるのか?ってね。そもそもさっきのアオリイカなら、実際にいるものなのだから、良く見て真似をすれば良いが、光ってどんな感じ?なのね。ほらそう言う抽象的なものは、描きづらい。
ただグーグル先生には、いくらでも出て来る。その中に自分が思っていたものに近いものがあったら、それが仮押さえの真似をする見本ぽいものになる。それを自分なりの解釈で変えて行く・・・でも、そこに感じるものが無いと、単なる真似になる。
ちまたで言うリスペクトなんてのは、単に真似の事じゃ無いと思うのね。つまり同じ繋ぐってワードでも、タスキなのか?バトンなのか?でニュアンスが変わるのなら、光って言葉一つで作るのは難しいのね。この場合は、どんな?プラスする。
どんな光にしたいのか?その時に単純に色を言う人がいるが、それでは絵画と違って色を作る事が出来ないモザイクでは、それが正解なら、今後もただ色を選ぶだけなんで、上手くはならないのね。そうじゃ無くて、暗闇を突き刺した時の光とか、
後光のような・・・とか、もっと言えば、希望の光とか・・・こうして文字にした時、例えば暗闇って言ってるのに、ブルーなんて選ばないでしょ?だから黒とかになる。その黒に一番目立って合う色は何?って言う感じに探すのね。
勿論、そう表現したものの、あっ暗闇じゃ無くて、夕闇くらいだった・・・と言うのなら、ちょっと紺とか入れとく?とか、もうちょっと明るい?なんて、餃子のラー油の分量みたいな話になるのね。微妙なさじ加減の・・・。
それが後光のような・・・になると、青空ってのは下界な感じだから、やっぱ白かな?そんで光はパール?みたいに、勝手にイメージしやすくなる。では希望の光って言うと?それをただ光って言葉の一文字で、作ろうって言うのは薄っぺらになるでしょ?
創作って言うのは、こんな事なのね。しかも、ここに労作展では制作日誌なるものが必要になる。それを光を作りました・・・はいおしまいになる。全く広がらないのね。だから、何枚張ったとか、難しかったとか、写真で誤魔化すとか、
おーーーーい、慶応だぞぉって言いたくなる。そんな説明はどうでも良いのね。それは誰でも答えられるから。それは魚喰っても、肉喰っても、美味しかった、まずかった・・・とか、普通っってこんな表現しかないって事になるのね。
果たして労作展の制作日誌って意味を理解しているのかな?って気がするのね。そこに入った時点でエリートなんだから、やっぱ普通以上に見えないと・・・しかも習いに来ているって事になると、こっちもお金頂いているしね。
ただ、だからって、必要以上に上手くやれ・・・って言っているんじゃ無いのね。そう言う意識があるのと、無いのとでは、後々変わって来るものなのね。重みが・・・最初は技術なんて上手いはずが無いのね。だから下手でもOK。
上手く行かなくて当たり前。だから目指すは光っぽいもの・・・でもただ光っぽいでは下手の前に、安いのね。どんな光って言うのを、希望の光とか、夢とか、未来とか、何か前に付けていたとすると、同じそれっぽいにしか作れなくても、
本体の一部なのだから、全てが完成した時に、その光の重みが変わって来るのね。当然、その重みの言葉は制作日誌としての文章に広がりを見せるはず。これで後はバック・・・って話になった。