怒りや憎しみは、弱き人間に力を与える。 しかしそれは新たな怒りや憎しみを呼ぶ。
繰り返し繰り返し起こりえる。
生死をさまようほど追い込まれると、人はきっと生きる事にすがるか、またどう死ぬか?
の2つの道を選ぶ・・・これは戦国時代なら良くあった事だ。
もっと判りやすく言えば、肩で風切って生きてきた男達。
仕事だけで生きてきた者、 同僚も出世の為に切り、勿論、敵も切ってきた。
なのに、リタイヤすると、生きる事にすがる。
戦国時代なら、殿様が坊主になるようなもんだ。
世間ではこんな事を人が丸くなるなんて、とぼけた比喩をする。
気が抜ける話しだ。 味方も敵も一網打尽にしてきたのに、自分だけ助かろうなんてね。
俺はそんな生き様だけはしたくない。
そんな生き方はしたくない。
そしてあずみの爺みたいな馬鹿親にはついていけない。
俺はあずみのように自分で道は決める。 人に左右される人生など進まない。
親に決められた人生を進んだ者は、全員切られた・・・・・明日はわが身。
自分の道は自分で切り開く。 志は絶対に曲げない。
こんな事を受け入れて共に夢を追いかけてくれる者を探す・・・・
使命なんてもので人を縛り付けるつもりもないし、夢を追いかけようとする者がいるのなら、いつか仲間として出会いたいものだ。
悲しみを怒りや憎しみに変え、時が経つと憂いに変わる。その後に来るものが願いだ。
しかしながら、それすらももう終って、もう数年前から母性と言うものに囲まれて、
寂しさからも守って貰ってきた。
今は恩返し。これに尽きる。 世話になったら礼には礼を尽くせと母から習った。
今日は前説長かったなぁ・・・今日の朝、かぐやが大阪へ向かっている時に、メ-ルが入った。 最近連絡の無かったチャリだ。
あんた、今日どこにいる? アトリエだけれど・・・って返したけれど・・・・
ん・・・もしや東京に来ているのか? って思った。
彼女はテレチャンで優勝した後、すぐに友達になった一人だ。大阪のお母さんなんだけど
よくよく聞くとやっぱり用事があって娘さんと東京に来ているらしい・・・・
ほんの数時間だったけれど、初めて会えた。
5年近く付き合ってもらっている。 作品も買って頂いた。
色々な事がこの5年間あった。 それもこれも遠くではあるけれど見続けてもらった・・
たわいもない話をしただけだったけれど、なんか嬉しかった。
この人に応援してもらっていたんだ・・・・って思えたから。
本当ならこんなに立派になりました・・・お陰様で・・・有難うございますって
言いたかったけれど、今はここまで止まり・・・って作品の写真を見てもらった。
最後に頑張りぃぃぃって肩叩かれた。 嬉しかった。
近くだろうが、遠くだろうが、きちんと理解されていれば、初めて会ったって、
こんなもんだ。 今日はちょいと心が潤った。
そんな一日。