katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

新作の東錦の表札張り始め

2017-09-21 07:07:50 | モザイク作家
今日はいよいよ新作の東錦の表札の張り始め・・・その前に四隅に取り付け用の穴あけ。その後に張り始めとなるのだけれど、儀式のようなニッパーの新しいのを降ろすのね・・・大体、大きな作品の時は常に1本・・・。

そうそう、そう言えば俺のニッパーの会社から値上がりのお知らせが来たのね・・・元々が結構な値段だから、こんな儀式も中々出来なくなるなぁ・・・なんて思いつつ、スタートとなる。普通なら単なる文字なんだろうけれど、今回は結構地味に初めてな事を、

やってんのね・・・透けてる感じが出ればなぁ・・・と思っているんだけれどね。そんな中、ペンキ塗りを頼まれていた作品があって・・・。ってな訳で、こんな感じに・・・。


こんな少しでも、下塗りして、ペーパー掛けて、更に色を作って塗る・・・って何だかんだ地味ぃぃに時間が掛かるのね。ただ乾き待ちなんて時間は放置して作品作りなんで、ちょこちょこその都度、忘れた頃にまた1肯定って感じになるのね。

そうね、ちょっとした息抜きって感じでもあるのね。何しろ金魚もいなくなって、息抜きってものが無いから、トイレ以外は立つ事が無くなっちゃったからね・・・・そんな中の制作って、そもそもが緊張感ありきでやっているんだけれど、息が詰まるのね。

そもそも絶対に成功する補償なんて何処にも無い訳で・・・。同じ事をしている訳じゃないから、手慣れる事は無いし、常に緊張感を持って・・・なんだけれど、そればっかりって言うのもね・・・そんな時に金魚だったんだけれど、今はモザイク以外なら・・・

って感じかな?下地を彫るでも、ペンキ塗りでも、手慣れて来て失敗をして大きなダメージにならない事なら、何でも良くなったのね。それが、下絵を描く・・・なんて事になると、例えお教室用のサンプルでもダメージになるのね・・・。

それがその通りに作る・・・となれば、手慣れた事の繰り返しになるから、上手くもなるが、オリジナルの絵を描くって言うのは、いつまで経っても中々ね・・・難しいし、中々満足した絵にはならないし・・・だからなるべくダメージの軽減したいのね。

まっ、そんな気持ちの中での1日目なら、まずまずの滑り出しだったと思うのだけれど・・・。


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大家さんとお出掛けと新作の東錦の表札の下絵

2017-09-20 03:48:07 | モザイク作家
今日は朝一番で大家さんとおかみさんの家に修繕の事で下見に・・・付き添いからスタート。そんなこんなで戻ってからは人工大理石のカットをして・・・それから下絵を写して・・・まずはトップの画像となったのだけれど。


頂いた画像が逆向きが多かったんで、他の資料とかの合体で描いたんだけれど、追加で画像を送って貰うと頭の雰囲気が違って見えたので変更の変更みたいになって・・・・この段階でOKを貰ったんで、明日更に確認したら四隅に穴を開けていよいよって感じ。


そんな中、息抜きがてらにオードリーの下地の制作。これはテーブルになるんだけれど、薄ベニヤに張ってたんで、ランバーって木を厚みを持たせる為に合体したのね。真ん中の荷物はビスが打てないのでオモシ代わりに。


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クリスマス用の下地の色々と新作東錦の表札の下絵

2017-09-19 00:08:16 | モザイク教室
今日は連休だったのね・・・世の中は。朝かぐやと話すまですっかり忘れてて・・・そんなこんなで流石に朝一番に下地作りって訳には行かないだろうし・・・ちょっとだけ遅めのスタート。それでまずはキウイに頼まれていた下地とそれを変化させたもの。

それに去年と輪郭だけ一緒なオーナメント・・・それを彫った後に、棟梁のも含めて塗装。それだけでも3時過ぎって感じかな?その後、新作の東錦の表札の下絵。ひとまずコピーで拡大して・・・追加にバックを・・・・。


その後、ホームセンターに人工大理石を買いに・・・それを下地にして張ろうかな・・・と思っているのね。

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ゆづ完成と新作の東錦の表札の下絵

2017-09-18 08:11:59 | モザイク教室
今日はゆづが目地をして完成の日。それが、ちょっとトラブルとまでは言わないけれど、この目地で発覚した事があるのね。それが、リクシル・・・つまりINAXの目地材にブラウンが無くなっていた・・・のね。流石に90cmもあるし、手持ちの分では足りないな・・・

と思って材料屋さんに電話すると、担当の女の人が注文番号を言っても、ちょっとお待ち下さい・・・って感じで、男の人に変わると、katsuさんですか・・・って、どうやら俺を知っているような人が、袋にINAXって書いてありませんか?・・・って言うのね。

はい・・・あっ、て事は・・・廃番って事?・・・それじゃ別にメーカーはこだわっていないんで、ダントーでも、アドヴァンでも良いんですけど・・・と言ったら、それも・・・って。えっ?日本に無いって事?・・・・。

すると、名古屋モザイクにはあるにはあるんですが・・・2袋で1セットってものしか無い・・・って。しかも若干、赤い・・・って。
とは言うものの、無いよりはマシだし、確かに色粉って手も無い事は無いが、色粉の場合、均等に作るって手間と、安定供給の点で、

あんまり感心出来ない気がして・・・・と言う事でそれに決定したものの、使った事の無いものの提供となったけれど、袋の色を見て、まぁ何とかなるとは思ったけれど・・・って言う経緯をお父さんにお話して・・・のスタートとなったのね。

それが、普通ならボンドだらけ・・・って感じになるのね。つまりボンドは白だから、あっちこっちにくっついたとしても、あまり張っている時には気にならないものが、ブラウンなんて色濃い目地を塗れば、それを強調してしまうから、ここもあそこも・・・って、

感じに荒が出るから、それをそぎ落とす作業に時間が掛かるのだけれど・・・・ほぼ全く無かったのね。どうやらその日のうちに、拭いていたらしく・・・見事な位綺麗で、何事も無く時間前に終了となったのね。労作展まで見せられないが、それは見事だったのね。

そんな中、お父さんが去年の作品と見比べたらしく・・・それまでは去年のよりは良い・・・位に思っていたようだけれど、去年のものとは全然違う・・・って思ったらしいのね。まぁ、ようやく判って貰えたかな・・・って話。

何しろここの生徒がビックリするんだから、そんじょそこらにあるような作品では無いのね。唖然って2文字で十分。そんな作品なのだから・・・。それを張ってあるだけでもそうなのに、目地をするのだから、もうお見事としか言う事の無い作品に仕上がったのね。

これでゆづにも俺にも夏休みってものが終わったのね・・・・そんな後は、キウイが棟梁のクリスマスツリーの下地が良いって事になり、高洲で・・・って言う話が先日出たんで、下絵を直す事になったのね・・・もっと大きさを小さくしないとならないから。

ただ木は既存の大きさになるので、先日の絵では単に縮小しても入らないから、描き直しになって・・・ただそこに入れるって中々難しいのと、ただ小さくしても字が彫れるのか?って問題もあったりして・・・・何とかそれでもまとまって・・・・。

その後は絵繫がりで、新作の東錦の表札になるのだけれど、ひとまずペン入れをする前に補修すべき場所を直しつつ、その後、色塗りもして・・・ただ繊細な部分は右のアングルの画像が少なかったんで、お客さんに連絡をして・・・・。



そんな中、東錦の文字は無くなって、今の所はここまで・・・後は和風柄のバックを描いたら終了。

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オードリー教室・・・歌舞伎の隈取の鍋敷き

2017-09-17 06:53:12 | モザイク教室
今日はオードリー教室。最近は亀有カルチャーの帰りに寄るって感じになってて、久しぶりの懐かしい感じで1日丸々やってたのね。
そんなこんなの歌舞伎の隈取って顔の化粧みたいな・・・あれね。そんな鍋敷きって・・・多分、世の中に初めてって感じなのね。

何しろオードリーの眼の付け方って言う感覚は独特で面白いのね。普通、女の子って・・・って思うような部分もあるんだけれど、そこなのぉ・・・それぇぇ・・・って言う所がとても新鮮で、時にそこにスパイシーさがあったりして、個性的なのね。

ただ、そこにとても共感出来る部分があって、その感性やら感受性の話が面白く、しばらく振りにオードリー節を聞いた感じなのね。
まぁやっぱり中々の角度の切り口で、なるほどね・・・って事が多く、とても面白かったのね。

そんな人が作ったモザイクなのだから、そりゃ隈取をモザイクにしよう・・・なんて発想になるのね。しかも、切る技術があるのだから、下絵通りになるし、細かい事も出来るのだから、大きさも自由に出来るし、そりゃ楽しく、完成度の良いものになる。

しかも大作と違って完成が早いからストレスが無いしね。ただ、前回来て、しばらく振りに大作の方も新展開があったんで、何だか進んで行く予感もあったりして・・・・。



そうね、そろそろこれはテーブルになる・・・って方向に準備しないと・・・って感じになって来たのね。そんな中、キウイがちょっとした用事もありいの、オードリーがいるって事もあったりして・・・やって来て・・・。

そんなこんな中、つくづく思ったのは、棟梁の娘さんが結婚して家を出たんだけれど、オードリーも同じ歳だから、こんな娘が嫁いだのかぁ・・・と思うと、こんな子が毎日の生活からいなくなるってダメージは大きいだろうな・・・って思ったのね。

何しろ子供も奥さんもいないから、あくまで感じただけなんだけれど、勿論喜びも大きいんだろうけれど、何かなぁ・・・って感じが残る。ただ、俺も数年オードリーを見て来たが、ここ数年の大人になった感覚があって、そこは喪失感があるのね。

例えばキウイやかぐやは結婚していて子供じゃなくてお母さんなんだけれど、オードリーは俺に子供がいたとして・・・って感じの歳の差があって、結婚はしているものの子供がいないから、お母さんじゃない・・・って感じがみんなとは微妙に違っていて・・・。

そこの感覚の差が、あぁそう言う感じなんだね・・・って言う部分が、へぇぇぇぇって気分になるのね。これが例えば、最近のお母さん達の子供になると、大学生って感じで、子供の王様って感じなのね。だからそこから1歩で大人になっちゃうギリギリの所。

それがカルビだと大人初心者になって、働いているからもう子供じゃない・・・みたいな違いが俺の中にはあって、そこの基準を超えたか?超えないか?・・・みたいな感覚が、それって普通?それとも個人的意見?みたいな事が聞きたくなるのね。

そう言う点では、弟子になった頃のオードリーは変わった子だなぁ・・・って感じだったが、棟梁の娘さんを見た時、オードリーの感覚に非常に似ていて、あぁ普通だったのかな?・・・とも思えたりしたのね。

こんな感じで誰かと会うと、何かを感じて、頭の中で何かを書き換えている・・・そんな感じがするのね・・・俺の脳は。だもんだから、その人の間だったり、意見に対するイメージだったり、以前と微妙でも変わったりすると、色々と聞きたくなるのね。

そう言う点では、一定の間隔で来ていた頃は、大きい変化が無く、こちらも共に歩幅が合わせたから、違和感を感じにくかったが、間が空くようになると変化の違いが判りにくくなる。例えば、学生なら1年変われば卒業と入学みたいになるようにね・・・。

それが大人だって翌々聞けば、変化はあって、ただ古い情報は進化していれば書き換えないと、あくまで以前のその人だった訳で・・・それが、しばらく振りだと、こちらの以前の記憶も曖昧になったりもするから、何を基準に・・・?って事になる。

ただ、先日も来たしって事になると、書き換えが終わっているので、田舎のおばあちゃんみたいな感覚で、遠い記憶をたどらないから、たどたどしい感じにはならないと思うのね。ただしっかり書き換えた上で、言い方は変に聞こえるかも知れないが、

何か大人になっちゃったな・・・って気がしたのね。ベースとしては変わりないが、要所要所の受け答えが、えっそんな事言うようになったんだぁ・・・・みたいな感じが、ここは昔と変わったのね・・・なるほどね・・・みたいな確認になったりする。

それを感じられると、これが親だったとしたら?・・・・って棟梁を思い出すと、自分の子供なんだから、その変化に戸惑ったりするだろうな・・・他人の俺でも感じるんだから・・・と思ったりもする。

いずれにせよ、感じるか?感じ無いか?は必要な人には大事な事で、その感じ方で表現をしたいか?したくないか?みたいな話。それを俺は、感じる人には感じる先生として・・・になり、感じない人には感じ無い先生として、必要なら変化する・・・・。

そんな事が出来るように・・・なんて意識は持とうとはしているのね・・・。

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訳あって話すポスティング?

2017-09-16 08:02:19 | 休み?
今日は朝、棟梁にクリスマスの下地を頼まれたんで木を買いにホームセンターに・・・。ただね、これは毎回の事なんだけれど、何処でも何でも売っている訳じゃないから、これはここで、あれはあそこで・・・になったりするのね。

しかも、unidyは会員なんで、直線10カットが無料なのね。普通は1カット4.50円掛かるから、仮に他の場所で少し位安くても、カットをしないとならない事が多いと、そこよりも良くなっちゃうのね。かと思うと、大量に作る下地の場合、1枚で60円も変わると、

金額的にもかなり変わって来る・・・なんて事になるので、あっちこっち廻るのね。それが時より、棚の入れ替えなんてもんに当たると、結構安かったりする木があったりして・・・いつか使うのは見えているから、買い置きしたりするのね。

そんな木がある時に下地を頼まれると、格安な下地代になる事もあるし、逆に何もかも買わないと作れない日もあるのね。そもそもどんなサンプル程度はいつでも作れる位、ストックはあるんだけれど、それを開催するとなると買わないとならなくなる・・・。

でもね、流石にクリスマスの話では、きっとやるだろうな・・・って暫定。そんな中、頼まれると暫定だから決まっていない事に持ち出しになるのね・・・しかも、何でも一緒なんだけれど、いっぱい買えば安くなったりするのね・・・。

例えば畳1枚分の木は、建材用にカットしてあるから、職人用とでも表現して置こうかな・・・こんな大きさ一般の人はいらないだろうから・・・と半分にカットしてあったりするのね。でもカットしたって事は手間が掛かったって事なのね。

しかも半ライスは半額じゃないでしょ?つまり割高になっているのね。そんな感覚だと思って貰って、けれど、えっ?そんなに変わらないじゃん・・・って事になれば、さっきの話に絡めて、多分使うだろうし・・・と1枚を買う事になる。

これが開催するから・・・って買うのと、多分では変わって来るし、カットを頼むからunidyにしたいのに、決まった大きさが無いと、切らないままなら、今後の寸法を決めて置かないと、本来の10カット分を切らないままでは、今後の手間が増える事になる。

色々とあんのね・・・そんな中での今日の下地は全部1から・・・なんで、何件も回る事になり、帰って来る頃はお昼を回っていたのね・・・。それでかぐやと話す事になるんだけれど、何か今日は捨て日にして、人生初の営業活動しようかな・・・って事になる。

理由は1つ。みどりとかぐやの2人が営業活動のようなイベント参加をする事になって、そうした新しい事を始めたと言うのに、俺が新しい事を何もせずに下地を作ったり・・・っていつも通りの事をしていてどうする・・・変わりたければ変わらなきゃって話をして、

人には言って自分は・・・では、示しが付かないのと、先日ウダガワさんには頭下げてなんぼだから・・営業はって聞いて来たし、大家さんにもここで何かやるのなら、日曜日や祭日なら好きに使えば・・・なんて権利も頂いたり、色々とまた違った事が、

出来そうな話もして頂いた事もあり、いよいよ俺も・・・って事にしていたのね。ただ、正直居場所ありきの営業らしきものはした事があっても、飛び込みの営業なんてやった事は無いし、気が重くて・・・でもこのままって訳には行かないんでね・・・。

そもそも、やらないと辛さが判らないし、全ては経験値。ただとても保守的な俺からすると、ハードルが高くて・・・ただね、1を知ったら・・・って考え方なんで、1をするのは気が重いが、1をやってしまえば東京ドームもでかいだけじゃん・・・の性格。

やっとこっ・・・ってかぐやに言う事で、でも・・・とか、けれど・・・って後戻りをしないようにして・・・一応、どう言えば良いか確認して・・・言っている事が、54歳初めてのおつかい・・・みたいな感じなのね。ざまぁないわっ。

けれど、流石に大きなダメージを最初から受けるのもきついんで、何か最初にふさわしそうな場所無い?・・・って相談しつつ、やって来たのね。ただ、言うだけ言ってチラシと名刺を渡して帰って来ただけで、とても営業なんて言う代物じゃ無かったけれど、

何もやらない時よりも前進。例えどんな形でも経験値になったし、かぐやに俺も始めたよ・・と見せられたのは大きい。ただ、かぐやが師匠がそんな事をしている事がきつい・・・と言わせてしまったが、そんな事は1つも無い。

棚に上げて言うのは誰にでも出来る。何か新しく・・何か変えたければ意識と行動・・・そんな事は百も承知。そんな1日目だとしたのなら、これはこれで価値も出て来るはず。そんな緊張をした後は何しろ手慣れた緩和が欲しくなる。

当然下地作り。って事で意地でここまでやったのね。ただまだ合体はしていないし、額の側面を彫って、ペーパー掛け、そしてペンキ塗りとなると、もう1日掛かるのね。そんな中、かぐやに新作はどうなってますか?の催促っぽい質問をされて・・・



1日だけ始めた分だけれど、打ち合わせの帰宅最中にすでに大まかなイメージはあったので、問題は東錦のグレード。ただね、愛好家さんの金魚の眼に適う絵にしないとならないからね・・・そんなに簡単じゃないのね。

そこさえ逃げ切れれば、後は和風のバックの柄を付けたして・・・下絵は完成だけれど、問題は表札は外。しかも門扉に付けるとなると・・・って構造上の話も出て来るし・・・色々とやる事はあるんだけれど、今夜で2日目なら上々だと思うんだけれど。

そんなこんなの1日は長かった・・・。


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棟梁とリピーターさんとみどりの相席教室

2017-09-15 00:19:16 | モザイク教室
今日は棟梁とリピーターさんとみどりの相席教室。ではまずリピーターさんから・・。これがこんなの初めて見たと思うんだけれど・・・これを見て貰おうかな・・・。


これはこの方が色を塗った下絵に1cmタイルをこう切って作ろう・・・って線が入っているのね。凄いでしょ?ただね、この通りに切ろうとすれば、不慣れであればあるほど、失敗した時に上手く切れなかった・・・と言うダメージを受ける事になるのね。

しかし、そのダメージが少なく済む人なら、なるべくこの通りに切れれば・・・って目安として使えると思うのね。まっ、これが棟梁の前フリにもなるんだけれどね・・・。要するに棟梁の場合、切る事に早々困らないのね。じゃ一体何に困るのか?となると・・・



この図面のような絵があれば、きっとこの通りに切っちゃうんだろうね・・・左程困らずにね。つまり切る技術が上がれば上がるほど、こうした感じの線が欲しくなるのね。けれど、今ドレスの最後の部分をやり出したんだけれど、どうだろうか?

そうなのね・・・・何も描いていないのね。つまりかなり流動的になる・・・まっ言い方変えればほぼ感。確かに感でもそこそこ結果は出るのね・・・たって切る事が上手いから。ただじゃ今後はどうだろうか?となると、伸びしろが少なくなるのね・・・。

だって後は感なんでしょ?・・・今後もってね。だからこそ、切る事が上手くなったら・・・それを生かすも殺すも感じる事なのね。
じゃ何をどう感じるのか?となった時に、あわてんぼうさんは話を聞かずに、じゃ線を入れれば良いんですよね?ってなるのね。

じゃどんな線をどう入れる?って聞くと、何て答えるのかな?・・・ほらね、また感になる・・・って感じ。そこをしっかり感じてからの行動。そこで一体どうしたいのか?残りのドレスは・・・と聞くと、ヒラヒラしたい・・・レースだからって。

ここなのね・・・上手くなりたい人の伸びしろ部分って言うのはね。じゃいつものように、ヒラヒラってどんなか?やって見て・・・って事になると、ヒラヒラを横を手に表現するのね。例えば同じ事を俳句のくじらに質問したとする?何て答えるだろうか?

ここで何が言いたいか?は切る技術がまだ慣れないリピーターさんが全てを教えてくれるのね・・・しかも本人は何も気が付かずにね。ではその答えが、縦に手を向けたのね。お見事なのね・・・では例えばヒラヒラを使って何か文章を作ったとする。

すると、ヒラヒラと葉が落ちたりしない?・・・もしそうだとすると、棟梁の横の手は本当は一体何て表現をするのだろうか?って事になると、ユラユラだったりしないかな?・・・つまり、棟梁はヒラヒラを作りたいんじゃなくて、ユラユラを作ろうとして

いた事になるのね。そうすると、完全に勘違いをしているのに、ヒラヒラが作りたいのにユラユラを作ってしまう事になる。これをそんなのどっちでも良いじゃん・・・って言った人は、そこまでで平気な人なのね。つまり左程こだわりは無いのね。

だって俳句のくじらなら、ヒラヒラとユラユラでは全く違うって言うだろうし、もし同じじゃんって人は、もう国語なんて大した勉強なんていらないのね・・・だって、繊細な表現はいらないのだから、どっちも一緒なら1つだけ覚えれば良いのね。

ただそれをひとたび違うと感じたのなら、ヒラヒラと葉が落ちて、ユラユラとその落ち葉は流される・・・みたいな事になると思うのね。つまりそれを感じられた人は、縦に落ちて横に流れた・・・って事を伝えたい事になる。

では今の表現のままに棟梁が作ったのなら?・・・ヒラヒラと言ったが縦を気にするのか?と思いつつ、実はユラユラが作りたかった・・・横にを意識して・・・って気持ちなのだから、要するに3段に分かれている横のラインを3本入れようとするだろうね。

果たしてそれで自分の描いたラインの特徴を生かす事が出来るだろうか?・・・俺の目にはブロックに区切られているように見えるのだが・・・ただそれをグルッと区切ってしまうと、羽根のようになってしまい、1度使ったテクニックの使い回しになるし、

使い回しをした事で、折角の特徴を1つ無くしたように見えてしまうのもね・・・そうすると、今までに無い表現をしたい訳で。しかもその表現を自分でヒラヒラとしたのね。所が本当はユラユラと横のラインしか意識はしていない。

それなら何もブロック状に描く必要は無かったんじゃないのかな?つまり自分の描いたブロック状の形を表現したかったのなら、実は縦ラインも必要になったりしないのかな?だからヒラヒラとユラユラの違いを体感して欲しかったのと、それに寄って一体、

何処が強く感じる場所か?って事を知って欲しかったのね。まぁこだわっている人への説明は非常に難しいのね。しかも、その人に自覚が無く、そんなに難しい事をやろうとしている意識が無い場合、意識から変えないと、何も変えられないからね。

こんな事は何でも一緒で、例えばピアノだったりする。楽譜通りに弾けば良いじゃん。音は合っているじゃん。上手いじゃん。もう誰もが一緒じゃん。金魚だってそう。品種一緒じゃん・・・はいおしまい。これで良い人ならそこまでで十分なのね。

所が一度こだわりを持つと、強弱を付けたりして弾いたりする。何で?・・・それはその情景にあったようになんじゃないのかな?
単に音符を追うだけなら、強弱なんていらないのね。その場面場面にあった弾き方を追求したからだったりするんじゃないのかな?

つまり感じるって事が必要になると、その感じ方を理解しないと、ただ目先の音符のみを追い掛ける事になる。それを不慣れな段階では音符通りに弾く事に意識は取られる。だからそんなに余裕は無いのね。じゃ何故か?それは時間が流れて行くから。

取り直しが出来るCDなら細切れに取る事が出来るから、音符をやっとやっとだとしても、生での演奏のような緊張や緊迫しない分、連続技の繰り返しにならないから、そこそこに誰でも聞こえるはずなのね。ここね、つまり細切れに出来れば良いのね。

って事は連続技の繰り返しのモノ作りって?・・・例えば、陶芸。形を作っても乾燥してヒビも入るかも知れないし、釉薬が思う色に出ないかも知れないし、焼いて割れる事もある。もう元には戻らない・・・流れの技の繰り返しになる。

それが油絵だったら・・・何度も繰り返し塗り足す事が出来る。是正が出来る。勿論、是正の技術は必要だけれど、陶芸のようにやり直ししか無いものでは無い。じゃモザイクは?目地以外左程取返しが付かないような事は無いだろうし、それとて陶芸ほどの

ダメージは無いはずなのね。もっと言えば、大して進まない分、きちんと意識すればその通りに進める可能性は広がるはずなのね。しかしながら、時間が掛かる分、失敗のダメージは大きい・・・だからこそ、こだわりを持った人は感じる事が重要になる。

それでね、ここまではヒラヒラとユラユラの話の分なのね。ここから更に、レースだから・・・って言葉が加わるのね。じゃレースってどんな感じ?ほら、また感じなきゃならなくなった・・・すると、透けているって言うのね。どんな感じに?・・・

すると、このスペースいっぱいに埋め尽くす勢いの細かい絵を描こうとするのね・・・こらこらこら。こんな狭い敷地の中にやりたい事を満載にしては本末転倒になると思うのね。つまり、レースが大事な人は透けている方が大事になるのね。

つまり通過して行く下を通過する方をね。それをレースは透けている・・・と表現をして置いて、実は表になる方の模様を作ろうとしているのね・・・ただそうしようとしている人は、その模様は出来るって腕を持っているからこそ、それが出来るから、

そんな表現をしているんだけれど、実はそれはレースは透けている・・・って作り方では無く、レースのような模様がが作りたいだけで、下を通過する方をないがしろにしている表現をしているのね・・・意識は全く無くね。

だってきっとほって置いたら、模様で埋め尽くして、下を通らないとならない部分の隙間を空ける気はサラサラ無いからね。これが2mの大きさなら、流石に模様は埋め尽くすアイデアは出ないから、逆にスカスカに空くだろうから、いくらでも下を作れる。

つまりレースのような・・・とこんな狭い部分で作りたい場合、やりたい事を1つに絞れば可能性は高くなるが、何もかもそこに出来る前提で進めば、恐らく透け感は出来ずに、素敵な模様を作っておしまいになるだろうね。

ただそれでも、まっ良いかっ・・・って思えれば、それはそれで構わないが、もしその模様は上手く行ったとしても、自分の思った透け感が出ていない・・・と感じれば、納得しないだろうね・・・。ここ。・・・と感じればって急にここで感じた・・・。

作る前に感じるものを、結果だけ感じようとする。ここが直れば、棟梁は上手くなるのね・・もっと。だから、モザイクの腕じゃないのね。それが、くじらもそうだし、今日のリピーターさんもそうだけれど、モザイクの技術は確かに棟梁よりも劣っていても

感じる・・・って事はモザイクとは一切関係の無い技術だから、誰にでも権利があるのね。いかに感じるか?は感受性だの感性って話だから、敏感かどうか?になる。それをくじらは俳句の人だから、文字にする・・・だから伝える人になる。

ただ難しいのは俺もそうだけれど、長い時間携わると、色んなテクニックが身に付いたり、もっと言えば生き方なんてもんも影響したりする。例えば、俺に回せ・・・と主張するストライカーや4番バッターは主張が得意だと思うのね。

この場合、誰にでも判りやすい。直接的なんでね。これを逆も真なりなら、キーパーやらキャッチャーって言うのは、正反対のような主張なのね。目立ち方だの、存在が人から見た場合にね。こんな事に向いている人って誰?って話。

人はそれぞれの生い立ちやら生活習慣の中で、人間形成をして来た訳で・・・その繰り返しをしている。それがひとたび目指すなんて口にすると、当然その輪からはみ出す事になり、そこの場所では生きづらくなったりするから、みんなと一緒みたいな、

空気を・・・なんて事を意識したりさせられた感はあったりもする。勿論、気にならない人はそれで良いが、気になる人もいるし、疑問があっても口にしない人もいる。ではくじらは?となると、表現者だから、伝えようとする事が普通に感じるのだけれど、

これが古文みたいに伝わる人にだけ・・・って形を取ると、薄味になる。所がそのさじ加減を間違えると、最初から薄味だった場合、自分の思っている以上に薄くなるし、逆に棟梁のように自分の普通が人には濃く感じる事もある。

そんな場合を考えて、普通の基準は何処に置くか?・・・が感じるに繋がるが、その前に自分の表現が伝えたい事と見合っているか?・・・になる。それが17文字の規制の中では、伝えたい事は相当削られているはずなのに、更に消そうとすれば、

談志さんの落語みたいになる。要するに説明をしないと判らない人に違う事例やら、比喩やらを使ってその意味やら心情を伝える為に横道に反れて、本題からずれたとしても、長い時間の中で、ご理解を願うと、自分のファンを獲得する事にもなる。

しかも、通なお客さんは、落語の本題よりも個性的な枕やその説明が面白かったりもする。ただ逆にうんざりだわっって嫌われるリスクも多いけれどね・・・・ここにもそんなのがいるがね。

そもそも古典落語のように昔から同じ話で個性を出すなんて、それもそれでテクニックだと思うが。だからこそ、人と違うようにするには・・・って考え方の1つではあるのだけれど・・・。

おっと話を戻して、要するに人はついつい習慣でそこの位置に落ち着いたりするんだけれど、そこから違う景色を見たければ、何かを変えないとならない・・・って良く成功者さんが言うから、何かを変えなきゃ?何を・・・だから意識。



良くみどりが意識が少しだけ変わった・・・って言うのだが、そう思えたのなら、当然作品にも反映されるものなのね。だって、作品は自分自身なのだから・・・。いずれにせよ、この3人の相席、中々面白い環境なのね。

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ひとまずハロウィンの下地はおしまい

2017-09-14 00:38:35 | モザイク教室
今日はまずハロウィンの小物作品を持ってレンタルボックスのウダガワさんの所へ・・・。このご主人は随分と俺に興味を持ってくれているのだけれど、これが中々難しいのね・・・何て言うのかな?男らしいって言うのかな?一本気とでも言うのかな?・・・。

そう言う人からは、俺の考え方はどっち付かずだったり、何か違って見えたりもするんだろうね・・・時より。それが応援しているって気持ちが強ければ強い程ね。理想のkatsu像があるんだろうね・・・とても有難いんだけれどね。

それが例えば具体的に何か前進に見える話を持って伺えれば、それは良かった・・・と思って貰えるが、左程話題としては前進しているようには見えなかったり、もっと言えば停滞に見えると、叱咤的な意見も飛んで来る・・・と言った感じかな・・・。

ただね、もうそう言った人が男の人としてはこの方だけになったから、常に勉強になるのね・・・何をどう受け答えをして、どう納得して頂く事が出来たか?・・・しかも、嘘を付けば楽になれるのに、正直にありのままを伝えなければ、練習にもならないし、

そもそもが数か月振りの近況報告なのね・・・・応援してくれる人への・・・そうね、この関係性を地主と小作人の表現で良く伝えるのだけれど、これが一番判りやすいのだが、応援している側からすると、卑下しているようにも思わせてしまうのね・・・。

ただそれは立場の違いであり、相手側に立った時にすぐに理解出来る話なのね。しかもそのままの関係であり続けるのなら、確かにそう思わせるのだろうが、きちんとその恩義を受けて、いつかその人の思うkatsuって言うのに追い付き追い越す事が恩返しになり、

その日の為に日々を生きているのだが、プロセスには常に努力をすればするほどに、苦悩は付き物で、まっ良いかと思えれば楽にもなるだろうが、そう生きていないから応援して貰えるのも事実であったりする。こう言うのを踏まえると、今日は叱咤激励・・・

どっちの割合が多いか?と思えば伺う前から、これじゃ・・・って気持ちなのだから、これは不利な展開になるだろうな・・ってスタートになるのは十分判った上なので、いかにそれでも前向きにやっているか?をどう伝えられるか・・・になる。

そもそもこれが友達なんて気楽な言葉で解決するのなら、どうもぉぉぉで良いだろう。それは無いなっ・・・そんな関係1つも。そんな安い関係は・・・。例えば、友達なんて言うと、遊びたいとか吞みに行こうとか、思ったりするんでしょ?

俺はそんな事、これっぽっちも思わない。ただね、一緒に仕事をした人と、ねぎらいとしては共有したいと思うけれど・・。別に今気が付いた事では無いけれど、海援隊の母に捧げるバラードの中で、遊びたいとか、休みたいとか思ったら死ね・・・って歌詞があって

夢を追っているものがそんな気持ちならば駄目だ・・・と母の言葉として描かれている。俺もどちらかと言えば母よりの歳になったので、その表現が良く判るようになった・・・。ただね、それを前面に出せば応援している人は疲れてしまうし、けれど、言葉

1つ間違えるだけで気分を悪くさせる事もある・・・それは応援される立場であるから・・。そんな中での話は、1つは今楽しいか?と愚問・・・例えば、売れていない芸人に楽しいか?と聞いても楽しいはずが無いと思うのね。

では楽しく無いのか?と言えば、今の状況下で応援して下さる方に、楽しくないです・・・は不適切になるし、楽しいです。と言い切ったとすると、そんな所で喜んでて良いのか?って事になるだろうし・・・だから、いつか楽しくなるようにやってます・・・

って言うのが適切では無いか・・・と言う事に落ち着くのだけれど、これを場合に寄ってはアドリブ性が無い事で、仕込んであった言葉として扱われると、芸術家としてのひらめき・・・みたいな感覚じゃない・・・みたいな言い方をされたりもする。

そんな中で、ここ数回の俺はウダガワさんからすると停滞に見えるらしいのね。それを踏まえて、と言う事は停滞の中にウダガワさんの気に入ってくれている老人トランペッターを制作していた事になりますね・・・と1つだけ言わせて貰ったのね。

つまりここにあるのは、地主側にいる人は、楽しいkatsuが見たい・・・けれどそう見えない・・・それは話をしている人間katsuを見て言っている訳で・・・それがその人に停滞に見えるkatsuが作った作品は今までここに持って来た作品の中で1番良いと、

言って頂いた・・・ここにある真実は1つで、作品は自分自身なのね。つまり作品が良かったって事は、その作品は停滞のように見えたkatsuの姿そのものなのね・・・ただ作品が良かったのなら、それはそのkatsuが良かったって事になるのね・・・。

しかも、楽しそうに思えない・・・そんな人の作品をね。そうね、これを説明するのは難しいが、簡単な話はその人が地主側である事を理解出来ているかどうか?だと思うのね。つまり作品はしゃべらないから、何も変わらなく見える。

しかし、人はしゃべる・・・しかも自分の気持ちも常に一定であるとは限らない。当然変化しているように見えたりもする。そんな事を踏まえて、地主って比喩は習うってスタイルでは無いと言う事なのね。上の立場の人なのね・・・地主って比喩は。

例えば、それで考えた時に、老人トランペッターを気に入った作品と思ってくれた・・・それを凄い良いとも言ってくれた。ではこの方は何処がどう良いと思ってくれたんだろうか?・・・とした時に、多分ジャズが好きだったりするんだろうね・・・。

その時に、華やかな音楽としてのジャズもあるが、黒人として迫害された経緯もあるのもジャズである。それを踏まえて、その作品作ったのが俺なら、どっちよりのジャズだと思う?・・・って話になれば、確実に後者でしょ。

事実、この作品は2つあって、1つは若く見えたりして、この老人トランペッターはそいつに後継者として譲るような最後の演奏・・・そんな気分で作った作品であって、だからホッペをトランペッタ―特融のほお袋みたいなのは辞めたのね。

最後の演奏に力みはいらないから。メインは若造君の方なのだから。もしね、その哀愁みたいなものが判らないながらも、切ないなぁ・・・位に伝わったのなら、俺の思う伝わり方になったと思うのね。勿論、見る側の勝手なんで、ただ良いって感性でも良い

んだけれどね。でも、事実は作り手は満面な笑顔の作品は作っていないのね。これはこの先もずっと変わらないとは思うのだけれど、小作人側だから悲しみばかり・・地主なら?って単純では無くて、どちらの立場でも良い事もあれば悪い事もある。

ただ理解しようとしなければ一切判り合う事は無いだろうし、質問したと言う事は聞く耳も必要だし、伝える側に話す力も必要になる。そうね、そろそろまとめないとならないから、俺の作品はお袋にどの作品も切ないね・・・って言われた作品なのね・・・

どんなに楽しそうに見えたとしてもね・・・。そうね、その通りなのね。それが苦悩じゃない?今の自分なのだから。って事は、良く見えた人には、切なさだけに見えなかったから良かったんじゃないのかな?・・・・ってなまとめにして置こうかな?

そんな中、例の関ジャムの福山君を見ていた・・・って言うのね。ウダガワさんがね・・・完全に団塊の世代の人で、それを見る子供さんもいなさそうだし・・・って事は、何らかの興味を持って聞いていた事になる・・・。今日イチの部分はここかな。

あれに興味を持ったのかぁ・・・歳は関係ないとは言うけれどね・・・凄いわ。その敏感さは。何かを目指したりもの作りとして、制作過程やら心構えとしては、凄く勉強になる番組ではあるけれどね・・・。

まっ、いずれにせよ、常にここは勉強の場所・・・最後は笑顔で見送って貰うのね・・・そんなこんなでアトリエに戻って、ハロウィン用の下地作り・・・これで頼まれた分は終了となった。そんな訳で金魚の表札の下絵を始める事にしたのね。

それに当たっては、本当の順番はノアなんだけれど、連絡して変更させて下さい・・・って話を先日したのね。それと同時に、みどり提案で、かぐやと12月にイベントに参加する・・・なんて方向に動いているって話も耳にしたのね。

そうやって新しい事を弟子達がやるのなら、俺も何かしないとな・・・って気分になる。

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ビックリする程前倒しのクリスマス用サンプル

2017-09-12 22:54:11 | モザイク教室
今日はどうしてもかなりの前倒し感はあるものの、クリスマス用のサンプル作りがしたかったのね・・・ただ、天気が雨・・・。そんな中、アトリエに大家さんがやって来て・・・珍しくちょっと話をしたのね。これが結構真面目な話ばかりでね・・・。

正直、後でかぐやと相談だな・・・って持ち越すような提案もされてね・・・いずれにせよ、有難い話だったのね。そんなこんなの話が終わる頃、雨が止んで来て・・・今がワンチャンスとばかりに彫り始めたんだけれど、それが今までと、ちょいと違う彫り方で、

あんまりそんな事は無いんだけれど、2度続けての失敗・・・・雨もあって慌てたのかな?・・・ただ、そんな中、先日すーさんから貰ったビーズを思い出してね・・・かぐやに相談しつつ、使う事にしたのね。ただでは転ばないのね。

そんなこんなで、何とか是正サンプルが完成。先日のサンプルよりも垢抜けた感があると思うんだけれど・・・・。ただね、先日のがそんなにダメか?となると、そうでも無かったんだけれど・・・って気持ちもあって、ちょっとひと手間掛けての是正をすると、

これもまた割かし良くなって・・・・最初に作った2つ目の下地も張るだけ張って見たのね。これもまた割かし良いんじゃないのかな?


まっこれで前倒しのクリスマスサンプルも終了だなっ・・・後は明日、高洲のサークルの不足分のハロウィン下地を作れば、金魚の表札の下絵を始められるのね・・・。

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くじら教室

2017-09-12 07:49:01 | モザイク教室
今日はくじら教室。割とくじらのお教室の日って言うのは雨が多いんだけれど、今日は珍しくカンカン照り。そんなだと、ついついご挨拶の後、その天気の話から始まったりして・・・・。それではって事になるのだけれど、枕になる話で先日見たテレビの話。

関ジャムって番組に福山君が出ていたのね・・・そこでの話なんだけれど。この番組、とても内容が濃くて、とても参考になるんだけれど、どうしてもくじらに話たかったのは、福山君のヒット曲の家族になろうよ・・・の歌詞解説的な話なのね。

この歌は結婚情報誌のタイアップで作った曲らしいんだけれど、最初はこの題名では無く、しあわせになろうよ・・・・って題だったらしいのね。確か記憶が合っていたら、この歌詞の部分が3回出て来るんだけれど、最終段階でこの部分が変更になったらしいのね。

その理由が、他の歌詞の部分にいつかお父さんみたいに・・・とか、いつかお母さんみたいに・・・とか、そんな話をしている段階でそもそも2人でいれば幸せだったりするのに、そこにしあわせになろうよ・・・って言った所で当たり前の話・・・。

そこで、そのしあわせになろうよ・・・よりもインパクトのある言葉探しの中で、家族になろうよ・・・って事になったんだけれど、話はそこで終わったんだけれどね、気になったのは題はそれに変わった・・・ただ3回歌詞の中に出て来る3回目だけは、しあわせに

なろうよ・・・のままなのね。最後の最後はしあわせになろうよ・・・って。そうすると、単純に題を含めた3回は家族になろうよ・・と言いつつ、最後の最後にしあわせになろうよ・・・と言うと、どんなしあわせか?って言うのが明確になると思うのね。

つまり、最初のしあわせになろうよ・・・だけの場合、確かに人それぞれの幸せ感があるのだから、広がりは見えるが、どんな?となった時には、具体的では無いと思うのね。それが題を含めた3回を家族になろうよ・・・とすると、そんな家族になろうよ・・・と、

はっきり明確になり、判りやすくなり、その上、最後の最後にしあわせになろうよ・・・とする事で、そんな家族になってしあわせになろうよ・・・って事に聞こえるのね。しかも、そこまできちんと明確にする理由は、この歌が結婚情報誌のタイアップ・・・。

その事から、結婚観の理想みたいに聞こえやすい・・・と言う事だったりするんじゃないのかな?って話なのね。それを踏まえて、歌の場合、小説のような文章やらと同じように説明やら、思いやらの情報を盛りやすい。しかもその上にテンポやメロディが付く。

けれど俳句の場合は17文字・・・制限の中でいかに伝えるか?って考え方となるのだけれど、もしそれが基本だと、恐らくそれを曖昧にする事で、人それぞれの広がりを見せたりもするのだろうな・・・とも思うのね。つまりストレートに伝えるのと、比喩などを

使って非日常の文章作りみたいな制作をしているんだと思うのね・・・だって一般の人は17文字制限の中で会話はしないし・・・。
そうだなぁ・・・素人の俺が説明すると、伝わるか?どうか?判らないけれど、例えば人込みの・・・って言うと、老若男女が、

入り交ざっているけれど、女子高の・・・って言えば女子だけで無く年齢制限すらある。みたいな・・・そんな事を文字の制限の中、考えているのがくじらなら、俺の場合、そのニュアンスの違いを感じたら、その違いをモザイクで表現したいだけで・・・。

それが音楽なら、歌詞は俳句と考え方は一緒でも、どんなフレーズ?どんなリズム?どんな・・・って作業の中の念押しみたいな事が必要になるのね。つまり俳句は削って削って・・・とマイナスにする感じになるし、歌はいかに増やすか?みたいな感じ。

それがモザイクなら、キャンパスの大きさで、大きければ歌のように増やしたくなるし、小さければ、俳句のように削らないとならないと思う考え方が基本だと思うのね。それを基本に、今度は逆も真なりとなると、いかに大きいキャンパスに言いたい事を

減らしたり、小さな所に満載にするか?なんて手法は出来ないか?とか、人と違う事を探していると、ついつい色んな事に手を出したくなったりするのね・・・ただその追及の中で、いつか諦めないで続ける事が出来ると、人が貴方っぽいね・・・とか、

自分はこんなかな?・・・みたいな事に出会ったりするんだろうね・・・ここは俺も探している最中なんで、曖昧にして置くけれど・・・。まっ、長い枕だけれど、意外と大事じゃないかな?・・・・と、くじらに取って置いた話。

こんな話がメインのお教室だから、モザイクはくじらに取っては箸休め・・・・。

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