katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

まだまだ新モンゴル日馬富士学園の額

2020-03-21 07:27:37 | モザイク作家
今日も・・・とスタートする所が、朝すーさんから電話があって、何時に来る?って言うので、9時過ぎには行くよ・・・と答えると、後で行くって。すーさんから電話なんて珍しいのに、尚且つ朝なんて、余程緊急な事なのかな?・・・・そんなスタートとなったのね。さてそんな訳で到着したんで、連絡すると、しばらく経って

来たのね。実は・・・と図面を出すから見ると、どうやらモザイクの仕事みたいで、手伝ってくれないか?・・・って話みたいなのね。それで工期は?と聞くと、今月中って言うので、正直そんなに余裕は無いんだけれど、1.2日の事なんで、何とかやりくりすれば大丈夫かな?・・・とOKしたのね。そうなると、当然その時間を作ら

ないとならず、とは言え、焦った所で進む訳でも無く、一応そう言う事になった・・・って気持ちと、今の相談の話で一人でも出来る気持ちになったのなら、やっぱり自分でやるわ・・って事になっても良い様な方向も考えた上の、両方を持っての気持ちを作って・・・いつも通りの1日。ただ若干同じ事の繰り返しな事、白黒の

色、過去を振り返る・・・そんな事が重なり、尚且つ3連休・・・本来なら気持ち的に相当削られるケースなんだけれど、世の中がコロナで停滞している気分って言う分、自分だけ・・・みたいな気持ちにならない事で、削られ方はいつもより少ないが、ただ自分にやる事がある分、少しだけ余裕みたいな気持ちもあって、だか

らすーさんの話も聞ける訳で・・・とは言え、耳かきのような余裕なんて、何か起きればあっと言う間に無くなるもので・・・それと気分転換。何しろ日常の繰り返しは安定感にも繋がるけれど、刺激って言う事には繋がらず、箸休めとかみたいな段落替えのような事も必要になって来るもので。所が日常って中でのお教室っ

て部分が無いので、日常とは違うし、つまり先生の時間よりも作家の時間だらけになっている・・・まぁ、それはそれで悪い事では無いのだけれど、鎖国的な状況になるのもので・・・。そんな事が孤独感にも繋がるのね。ただ耳かき程度の余裕はある。これがバランスなんだけれど、普段なら先生時間がそこそこあって、

その他が作家の時間ってバランスになってて、それは言葉を変えると、人と向き合う時間がそこそこあって、孤独にはならず、その他の時間が自分と向き合う孤独な時間・・・こんな意味なのね。これが日常だったとして、それが今はほぼ全部自分と向き合う時間になっている。と言う事は孤独になっていると言う事。だとし

て、日常での環境はどうしてた?となると、ラジオを掛けているんだけれど、音楽が中心の番組だったりしているのね。つまりいつもが音楽であるのなら、今の状況では、音として余り話声がしないものよりも、むしろ話声が多いパーソナリティがいるようなものだったり、主義主張するような番組の方が孤独にならない・・・

なんて考えたり、そんな事1つでも十分気分転換になるのね・・・日常とは違う非日常として。そしてこれもまた刺激の1つなのね。ただ問題は威力。どの程度いつもと違っているのか?でストレスやら、ダメージが違って来るし、それをほったらかしにすれば、当然しわ寄せはやって来るもので。そんなの努力や根性では乗り

切るのは無理なのね・・・だからこう言う事で、ほんの少しでもバランス取らないと。ただ勿論、それも慣れって言う事になったりするんだけれど・・・。ただ慣れるまでが楽じゃ無いと思うし、大体大人になると新しい事にチャレンジ・・・は少なくなるし、きっかけも少なくなる。こうした身近で出来る非日常を感じる事が出来る

と、気分転換なんて事にも繋がると思うんだけれど・・・一応、俺なりのコロナの対策・・・。そんなこんなの丸は、白丸が後150くらいで終了。まぁこれが終われば、この部位は逃げ切り・・・って感じ。

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今日も新モンゴル日馬富士学園の額

2020-03-20 08:18:26 | モザイク作家
今日も新モンゴル日馬富士学園の額。ただ今日は一旦、黄色と黒は置いといて、白黒の丸をやる事にしたのね。ちなみに白は800ちょっとのうち、200ちょい終わって、黒は444の半分位、終わったのね。そうね、丸って形で思い出すのは、昔作ったカマキリの作品と、カエルの鏡の作品って言うのがあって、思い出をかぐやにした

のね。それらを作った頃は、アトリエが以前世話になっていた工務店の倉庫の前に、事務所の半分を使わせて貰っていた時期があったのね。その時はモザイクがどんなものか?も良く判らずに、90cmくらいの額を作って貰っては、切る事が少な目な作品ばかりを作っていたのね。でも切る事が少ないから、今よりも早く出来て

しまって、段々と置くスペースが無くなって来て・・・このままじゃ・・・と思い、小さい下地で何とかしなきゃ・・・とやり出した作品の中で、多分小さい大作の1作目みたいな作品だったと思うのね。何か良く判らずに、徹底的に切りまくった覚えがあるのね。その時に、楊枝の後側位の丸をかなり切ったのね。必死に。カエルの方は、

昔、タイル屋を辞めて輸入レコード屋さんになった人がいて、その人の所へちょくちょく行ってて、そんな中、たまたま買ったCDがかなりレアだったらしく、出来れば他のと交換してくれないか?・・・って言われて、別にそんなに欲しい方がいるのなら、どうぞ・・・って譲ったら、その人がたまたま職人さんで、仲良くなって依頼され

て作った・・・って言うのが、そのカエルの鏡なんだけれど、全ての丸をガラスタイルで切ったんだけれど、指紋は無くなるわ、血が出て来るわ・・・小さいパーツだから、必死に持つ手が薄くなるんだろうね・・・あんなに厳しいのは、記憶に無いのね。勿論、あの頃の実力で・・・だろうから、そうなる前に今なら回避してやるだろうし

・・・ただ駆け出しの頃の話。そこにはまだ続きがあって、息抜きに・・・とギャラリーに連れて行ってくれたんだけれど、いつもと雰囲気が違うって話で覗くと、その週だけ個展のように使われていて、そこでアクリル作家の人と出会うのね。その人の話少し知っている・・・ってかぐやが言ってたから、もう随分昔の話になった。

すると、かぐやが調べてくれて・・・活動してますよって。なら良かった・・・恐らく最後に連絡したのは、当代島のみんなで作った作品の時だったと思うのね・・・。何だか懐かしい話を思い出したのね・・・ただ丸を切っていただけなのに。

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今日も新モンゴル日馬富士学園の額

2020-03-19 07:38:18 | モザイク作家
今日も新モンゴル日馬富士学園の額。結果としては後2枚って辺りまでは来たんだけれど、まぁ張るだけと言われそうだけれど、これが中々大変なのね。勿論量もさる事ながら、真っすぐにキチンと張るって言うのも結構難しかったりするのね。そんな中、キウイが娘さんを連れてやって来たのね。どうやら卒業式だったらしいのね

・・・勿論、こんな騒ぎだから、質素に行われたらしいけれど、春からは就職も決まっているらしく、そんなだから、いつも以上に大人っぽく、もう簡単に呼べるような感じでは無くて・・・こんな時にいつも思うのは、普通の人生から大きく外れたなぁ・・・ってつくづく思うのね。この位の歳なら、あんな子がいるのかぁってね。勿論、今

更感じ無くても、判っている事かも知れないけれど、こうしたイベント事は着飾ったりして、普段着とは違ってフォーマル感満載なのね。普通ならその前に日常があるから、カジュアルを踏まえてのフォーマルって事で、いつもよりも・・・なんて表現になったりするんだろうが、その日常のカジュアル無しでのフォーマルは、それで

無くてもフォーマルな格式みたいな事が苦手だから、掛ける言葉も、いきなりなんて言えば良いんだっけ?みたいにまごまごするし、それでも、その時は一生懸命に対応するから、あっと言う間に時間は過ぎておしまい・・・となるのだけれど、その後なのね。その後の振り返りで、普通の人生から大きく・・・って事になるのね。

この普通が俺には無い・・・ってね。勿論、初めての経験じゃ無いので、もうそんなに大きくダメージになるような事は無いんだけれど、今は、じゃやるしか無いね・・・に変わったのね。そうね、簡単な話で、練習って時間が何でも必要なのね。ほぼ何でも。究極に言ったら親になるにも。つまり何時間経ったか?みたいな話。

それが訓練とか、夏期講習とか、特訓とか、リハビリとか・・・なんでも良いけれど、その言葉が持つある程度決まった最低限の時間を過ごした人達の結果が問われたりするのが非日常であり、イレギュラーな事で、日常はカジュアルに普通、一般的な・・・みたいな時間だったりすると思うのね。前者の場合は、そこに発表会、試験

、成果みたいなものがあって、日常は過ごすって位に差があって、その過ごす方のカジュアルな普通は、普通なんで、繰り返すみたいになる。それでも、繰り返す事で身に付く事があって、もっと言えば習慣みたいなものを生む。慣れみたいに。特別な事じゃないからね。そんな時間を何時間掛けたか?なのね。全てが。

だから、自分のやった事が一夜漬けで結果が出た人は、2度も3度もは続かないし、きちんと努力している人には安定感がある。こんな差が生まれる。ただ、何も目指さなくても、これでもかなり十分な結果は得られるが、もし目標を高く掲げれば、当然それでは全く話にならなくなるのね。そんな人達はどんな感じか?って、

考えれば、成功者の人達のセリフに人生を掛けた・・・なんて言葉があったりする。つまり寝る時間以外はほとんどそれに使った・・・と。その道に長けようとすると、何でもそうなるもので・・・だから、何かを目指すと、そっち側になって行くのね。所がそっちには、目指す奴らがごまんといて、腕の良い人だらけ・・。まっ受験を

思い浮べて貰えば・・・あんな感じ。その時に大抵覚えて、知識で戦うんだけれど、オリジナルって表現は、知恵なのね。つまり先人通りじゃダメなのね。そのまま反復では伝統、伝承、受け売り・・・になってしまうのね。分かれ道って言うのはここにあったりする。フォーマルならクラッシックみたいな・・・カジュアルならジャズ

みたいな・・勿論、その分野にも斬新なものがあるけれどね。あくまでイメージ。決まりがあって昔のままなら、古典落語や何とか流になり、自由なら己の発想でやれば良いだけになる。ただね、後は見ている人達が認めてくれるかどうか?なのね。自由は不自由だったりするんでね・・・勿論、自由を好き放題と取れるよう

な場合は、楽に進めるんだろうけれど、試行錯誤してしまう場合、底なし沼に落ちて行くようにもなる。何故なら好きにして良いのに、その好きって何?になったりするから。それを気楽にやれたとしても、あっこれどっかで見た事ある・・・の一言でおしまい。そんな程度のモノになってしまうのね。プロってそんなに甘く無い。

いずれにしても、普通じゃ無い方を選んだんだから・・・って事に戻って、さてそれじゃ・・・と仕切り直しで始めると、当然、普通じゃ無い事の方へ進むみたいなすごろくを始めるのね・・・勿論、いきなり浮かんだんじゃ無くて、もう用意はしていたけれど、決心が付かず、そこまで必要?とか、本当にいるのかな?なんて、弱気

になったりする心があって、躊躇していた事が、こんなきっかけで、じゃやるか・・・になったりするのね。

恐らく1cmタイルの4分の1丸を1200個位切らないとならないのね・・・白と黒で。人と違うとか、高みだとか、そんな事を言い出すと、キリが無いね・・・時間ギリギリまで使う気なのね・・・また危ない橋を渡るつもりなのかね。でもね、完成すると大抵はそれがとても良く見えるもので・・・まぁ果てしない話なのね。

そしてやるからには無駄な事はしたく無いし、けれど無理無駄ムラを無くす・・・なんて整理し過ぎると、能率効率になるし、ここはこう、ここはこうって振り分けないと、同じ気分では乗り切れないのね。それと、当然そこに意味が無いと・・・何故白黒なのか?どうして1200個も必要なのか?そしてそれを張る場所は?全て決

まっていて意味がある。単純に言えば、白黒は相撲では勝ち負けを表すもので、1200個って言うのは生涯成績。その数だけ切ろうとしているのね。ついでに言えば、相撲には下の方の番付の人が横綱を倒すと金星なんて言葉があって、ちなみに日馬富士は1個あるのね・・・朝青龍を倒したらしいのね。ならば金星1つは、

入れとこうかね。・・・とこうなる。いずれにせよ、また果てしなくなったのね・・・。

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新モンゴル日馬富士学園の額

2020-03-18 07:45:01 | モザイク作家
今日は1日新モンゴル日馬富士学園の額。そんな中、2件の電話があり、1つはコープみらいの埼玉の担当者さんで、今後の予定と追加の話があって、今回のコロナの影響で以前の話は白紙になり、また新たの話があったのね。何しろこんな状態では仕方ない話で・・・・。そんな中、もう1つは美術会社の担当者さん。進行具合と、

もう1つ話があって・・・こっちは近々にいらっしゃるような話になって、そっちは現物確認して貰って進めるような事なんで・・・・。いずれにせよ、見て貰うのが一番早いのね。それと店舗の件に関してメールがあり、OKが出たので、打ち合わせ後にスタートになったのね。こうして色々と話としてはあったりするが、逆にイベントの

ような話があっても、今の状況では正直厳しい気がするし・・・早く日常が戻ると良いなと思うんだけれど。そんなこんなの制作は、ようやく縦部分に入り、90cmx4本って感じなんだけれど、そこにまだ隠れキャラ的なモチーフがあり、その他にも金の星を1つ何処かに・・・とか、70って数字とか、まだ色々と入れたいのね。

当然そうなれば時間が掛かるんだけれど・・・・終わりの方向には向かっているには変わり無いんだけれど、あれこれとある上にコロナって言う果てしないものがあると、気持ちが削られる。ただどれもこれもが一緒な訳じゃ無くて、解決出来る事と出来ない事に分けて、何かまとめて気持ちが削られないようにして、進めないと、

気持ちが乗らない・・みたいな事になってしまうのね。勿論仕事なんで、乗る乗らないって事ではやらないけれど、気持ちのシステム的には、余計な分をかさましさせないようにしないと、必要以上に抱えると、ドンヨリ感が増してしまうからね。ただ最初から果てしないのは判っていたのだから・・でもその上・・・って事になると

予定していた以上に気持ちに圧し掛かるもので。気が張っているからとは言え、必要以上に受けないようにしないと・・・。

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デイ・サービス今日は8名

2020-03-17 07:32:57 | デイ・サービス
今日はキウイと定例のデイ・サービスへ。ただ入り口で体温を測り、手洗いに消毒、勿論マスクも・・・明らかに先月と違っていたのね。そんな中、2名お休みで8名のご参加と言う事で、マスク越しなんで、いつも以上に声を張ってやったのね。

目の位置や鼻、そして大きさ、形で表情が大きく変わるのね。そして更に色・・・同じ下地であっても十分個性は出るのね。それは顔の部分も白いタイルを張ってあり、それらを自由な位置取りが出来るからなのね。これがイベントなんかで使おうとすると、顔は張る事無く、眼や鼻を彫って入れるだけとなると、色合いだけになり

中々個性を出すには難しくなるのね。本来聞く所に寄ると、薄い色合いにするのがイースターのルールみたいだが、デイ・サービスの皆さんは別にイースターじゃ無くても、可愛いうさぎで良いみたいだったので、お好きにどうぞ・・・と、こうなったのね。もう楽しんで頂ければそれで問題無し。みんな可愛くなったのね。何しろ

みんな無事で、またね・・・と声を掛け帰れれば、それが何よりな事なのね。そんなこんなでアトリエに戻ってから、店舗の床の打ち合わせで、お客さんとデザイン確認の電話をして、実際の雰囲気が判る様に切って文字を作ってメールで送って、工務店さんには現場での打ち合わせ日程の連絡を、これもまた電話で・・・。これで

OKが出れば、モンゴルと並行に・・・となるのね。そうなる前に少しでも進めて置かないと・・・と、いくらか前進。

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新モンゴル日馬富士学園の額

2020-03-16 07:37:03 | モザイク作家
今日も新モンゴル日馬富士学園の額。もう見てくれる人も毎日毎日同じタイトルに画像で飽きたかも知れないけれど、もう1つの仕事の方は材料は揃ったんだけれど、確認が必要な事があって、それが終わらない事には・・・って話で、決まるまで当分、こんな感じが続くのね。ただここまでやってもまだ横の5mx2本分にならず、

それでも後2日位で終わるとして、今度は縦2mx2本が残っていて、そっちには隠れキャラ的なものがあるから、時間が掛かりそうだし・・・果てしなさは続くけれど、やらないと終わらないし・・・まだ時間が掛かりそうだけれど、それでも後半に向かっていると思うのね。とは言え、何しろ大きいんで、かさばるしやってもやっても減

っている感じがしないのね。しかも、その都度組み立てている訳じゃないから、重ねちゃっているし・・・ただ木の部分に段々とタイルが張られて、木よりもタイルの方が多くなって来ているのね。それが救いな感じなんだけれど・・・。

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新モンゴル日馬富士学園の額、かぐや最終日

2020-03-15 08:07:23 | モザイク作家
今日はかぐやの最終日。予定はあくまで未定ではあるけれど、全体としてもう少し進んでいたかったが正直な話だけれど、それでもやれる事はやったし、当然一人でそこまで進めたか?となれば、かぐやがいた分、俺1人よりは進んだとは思うんだけれど、そんなに単純な話でも無くて、良く話に出る規定演技と自由演技。

例えばかぐやの実力って何?となると、あの大作作品の数々。見た事のある人なら圧巻だと思うのね。ではそれってどんな作品?って言うと、自由な作品つまり自分が考えたやり方で進める自由演技なのね。その反対にある、こうしないと駄目って言うのが規定演技。全く合い交わらない話なのね。こんな事があるって前提

で、この黄色と黒の部分は完全なる規定演技で、図面通りにきちんと張らないとならないのね。そうね、俺は編み物をしないけれど、かぐやは編み物みたいと表現していたが、まぁやらないまでも想像は出来るので、判る範囲内で言うと、1つ位ズレても大丈夫・・・なんて言う人ならそれでも良いんだろうが、それは自分の

で、仕事となるとそう言う訳には行かない。勿論、自分のだって嫌だ・・・なんて人なら、仕事ならもっと・・・って事になる。こんな事を踏まえたら、図面がある場合の規定演技的なものは、真似れば似たようなものにはなるけれど、完璧にしようとすれば1つのミスも許されない事になる。つまりただ張るだけ・・・なんて気持ち

では結果として、良くはならないのね。そしてそれを踏まえて、かぐやの上手さとは?となった時、極端に片寄った自由演技の人なのね。その実力のまま規定演技が同じように出来るか?なのね。もし自由演技が人一倍上手く見えるのなら、120点とか150点に見える事になる。と言う事は、ただ張るだけじゃん・・・こんな気持

ちで張ったら、果たして人の評価が120点、150点に見えるか?となった時、恐らく相当見劣りすると思うのね・・・何故なら、ただ張るだけじゃん・・・と見ている人も思うから。けれど、絶対に真似出来ない・・・と思わせる事の出来る自由演技は見ている人に付け入るスキを与えない。これが気持ちの仕組みみたいなものだ

ったりする。その時にもしこの通りなら、結果は見えていて、規定演技をやればやるほど、いつもの結果が得られず痛い思いをする。そして更に、それが自分の作品ならそれを直すにしても小さいモノならやり直すのも良いだろうが、仕事としてこれだけの大きさ・・・1人で直す事は出来ない。手直しには俺の手がいる訳

で。それを直されるかぐやの気持ちは手伝っているのか?邪魔しているのか?みたいな気持ちにまでなったりするが、それでも経験値を積ませるにも、やらせるべきで、最初からそれを踏まえて、どの位進めるか?・・・と考えた時、それでもこの位は進むかな?の理想はあったが、まぁ見積もりが甘かった・・・そんな話。ただ

それを踏まえても1人よりは十分に進んだし、これを踏まえてどうこの後、進むか?になるんだけれど、一旦ここまでだったのね・・・と理想との差を確認し、現実の状況との比較して、これが思っていた事と実際の差なんだ・・・って確認しがちなんだけれど、そうじゃ無くて、本来の今の状況はこれね・・・の確認なのね。つまり

見てもいない思い込みに合わせるのでは無くて、やる前の予期と現実はこれだけ読み違えた・・・として、現実の方で無く、予測予期の練習なのね。しかもかぐやと2人で初めての事をするって言うにはこれだけの時間でこの位ね・・・の基準みたいな話で、今後の進め方の指針になるのね。もっと言えば、これが体験教室。

これを最後まで2人で終わらせられれば、これが体験のコースターみたいな事になる。つまりこれを経て、この経験値でこれ以下にはならない。次はこの経験値を持って・・・になるのだから、最初の1歩としてはまずまずだとは思うのね。ただそれも期日はあるし、他にも受けた仕事があるので、余裕は無いけれど・・・。

そんなこんなで送迎してアトリエに戻って1人進めたんだけれど、結構この規定演技が残っているのね。これが中々難しいのは、かぐやの自由演技と規定演技でも大きな差があるのなら、俺にもあるのね。きっと先生だし・・思われるってね。つまり自由演技のように凄い・・・つて表現がされない分、きちんとだけが要求され

、ただ張るだけなのに、そんなに時間が掛かるものなの?って思われがちなのね。だからこそ大きさや量が必要になるのね。これが大将と歩兵の差なのね。歩兵は何万もの数で圧倒しないとならず、そんな事も踏まえて、デザインとしてもそれだけ必要だった事になる。ただそれをやってしまうと、途中では止められないし

・・・そこはやって見ないと判らない部分で、これもまた経験値としての勉強だとは思うのね。ただね、こう言うのは張っても張っても同じ事の繰り返しで、わんこそばのように味は変わらないのね。そこで本来なら自由演技で箸休め的な事もしたいが、次回のかぐやに規定演技を残しても進みが悪くなる。しかももう後半。

ここからは時間調整も必要になるし、かぐやの得意な事を残して置いた方が得策。そう考えるべきだと考えて進めたものの、これもまた気分な話で、外は雪が降っていたりすると寒い。それは当たり前なんだけれど、例えば演歌の歌詞。暖かくて汗かいて・・・って歌ある?普通は寒くて、厳しくて、凍えて・・・みたいな感じ・・

つまり人は寒さで、孤独のような寂しさのような、そんな気持ちになったりするもの・・・だったりして、ここに貧しさなり、切なさなりを加えたりすると、より一層そんな気分になったりする。そこへただでさえそんな気分に、コロナだったりして、そこに雪・・。人を見送るって言うのは、そんな気分で、田舎のお爺ちゃんやお婆ちゃ

んがまたおいでね・・・と見送るのと一緒なのね。今まで一緒に仕事をしていたのに、そこを離れる奴は心残りだろうし、残るものは1人それを背負って進めないとならないし、いずれにせよ、今やれる事をやる・・・ただそれだけなんだけれど、プレッシャーなんてもんも掛かるし、それでも何しろ完成した時、これがまた何

かの1歩になる・・・と信じてやるしかないと思うのね。

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jcomの江戸川パラダイスの収録

2020-03-13 23:35:34 | 取材、収録
今日はjcomの江戸川パラダイスの収録が午後からあって、それまでは新モンゴル日馬富士学園の額。昨日計算違いの進み方な事が発覚したので、やり方を工夫して・・・そんな午前中を経てからの収録となるのだけれど、MCは吉本芸人のげんき~ずの元気たつやさんと宇野けんたろうさん。ちなみに元気さんは、ヒュ

ージャックマンに似ていて、Xmanのウルバリンのモノマネをしていたり、宇野さんはランナーとして陸王やいだてんに出演していたり、いらっしゃる前に調べていたのね。最初にディレクターさんがやって来て、ご挨拶をしたんだけれど、この方、以前テレチャンの制作会社にもいたらしく、そんな話でも軽く昔話をして、個

人的も表札欲しいなぁ・・・良いなぁなんて褒めて貰って、そんなこんなのご挨拶を・・・と下に降りると、隣のお母さんとご挨拶していて・・・翌々聞くと、テレビとか知っていたらしく、ちょっと立ち話になったらしいのね。そんな訳で撮影が始まったのね。今回はモザイク体験って事で2人が作っている・・・って話なんだけれど、

流石にネタバレしてはいけないので、完成は見せられないのね。ただ俺の事だから当然色々やったんだけれどね・・・どうなっているか?は放映後にアップするとして、今日は芸人さんがやって来るって言う事もあって、勉強させて貰う気満々だったのね。何しろ仕事として話すって事で飯を食べている人・・・昔、長渕剛さ

んのエピソードで俺は歌手だから歌で勝負・・・と曲の間に話す事も無く歌っていたら、合いバンの人達は巧みなおしゃべりでお客さんを引き付けていたのを見て俺も・・・となったらしいのね。そうね、確かに先生であろうが、作家であろうが、腕としての作品の魅力なんて言うのは当然な事だと思うのね。ただ、そこは誰で

も努力をして当たり前の事であるのだけれど、その人の魅力や感情移入をよりしやすくするには、この歌はこんな場面、こんな時に作った歌で、こんな気持ちを歌っています・・・なんて言う説明だったり、落語の枕のように、世間話のようなもので、いきなり本題では無く、そこで前説のように場を温める効果みたいなもの

で、歌の上手さや落語の上手さだけで無く、そこに大きく個性が出るもので、常にその場の雰囲気を読んで、常にお客さんは入れ替わるのだから、やる事は一緒でもそこは流動的なものだったりすると思うのね。つまりやる事としての歌や落語、先生、作家・・・は、予定調和としての規定演技であり、その他の枕や前説みた

いなものは自由演技として部分だと思うのね。勿論、先生としてのサンプルも作家としての作品も個性なんだけれど、それは体験して貰ったり、買ったり、見たりして貰わないと体感出来ない話だけれど、言葉として、会話として、引き付ける何か?を持っているか?って事も大事な事だと思っているのね。勿論、それが売れ

て誰か第三者の人が説明やら解説などをしてくれるようになれば、そこまで掘り下げる必要は無いんだろうけれど、全部自分でやらないとならないのね・・・今の立場上ね。いわゆるローディを自らやってパフォーマンスみたいな話で・・・。それなのに、その立場で弟子なんて持つなんて無謀と言えば無謀なんだろうが、

そこはお母さんになる・・・みたいな話で、産んで育ててなって行くのであるのなら?きっとそんな立場になってから弟子を取っていては、費やす時間にも慣れていないし、教える難しさ、伝える言葉、待つ時間・・・それは自分でやってしまう事とは大きく違う話で、しかも伝承となると、何が大事なのか?まで必要になると、

思想なんて話も必要になったりもして・・・・そんな事を考えているのだから、プロの話をタダで体感出来て、芸では無くてその裏側を見られ、質問まて出来るなんて、勉強になる。たった数時間でも俺にはキッザニア・・・・芸人さん体験。そう言う点で、とても刺激的だったし、事前にかぐやにもその旨を伝えて置いたから、そ

んな目線で見ていたろうから、みんなが帰られた後に、どんな事を感じたか?どう思ったか?俺たちに何が足りなくて、どんな事が共有出来たか?みたいな事が話せただけでも、大きな収穫だったのね。いずれにせよ、こう言う非日常は刺激になるし、けれど緊張していればいるほど、緩和した後は疲れるもので・・・。

何だか疲れたけれど、やる事はやって・・・

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新モンゴル日馬富士学園の額

2020-03-13 08:35:27 | モザイク作家
今日もかぐやと新モンゴル日馬富士学園の額。そんな中、話題の中でもやはりコロナの話になったりして・・・正直良い気分では無くなる。それで無くとも果てしない感じであるのに、余分に追い込まれる気分になるのを、せめても防ぎたいので、美術会社の担当者さんに電話をしたのね。何しろモンゴルも入国出来ずの状況。

食べ物やエンタメの類では無いから、延期はあっても中止は無いだろうと思うが、直接聞くのと、多分そうだろうと思うのでは、気分的に全く違うので連絡した事を言うと、会社としては何も変わらないので、ご心配なく・・・って話で、それじゃ引き続き・・・と言う事で終わったんだけれど、前向きになる為の後押しをお願いした・・

そんな感じだけれど、もう1つは現実としてお支払いの件の確認。それも追い込まれる原因になるから。ただ折角、少し前向きになったのに、残念だけれど、昨日の見積もりは甘かったようで・・・この黄色と黒の模様・・・1日2つは無理なようなのね。あれは途中張った状態のモノでの2枚で、何も張っていない状況の場合、1日に

1枚終わらせるのに、6時を回っていた・・・こんなに掛かるとはね・・・正直思っていなかった展開。とは言うものの、後戻りは出来ないし、何しろそれでも何か能率効率をアップするやり方を考えないと・・・。ただ慣れては来ている。ちなみにかぐやには白いのをやって貰った。

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色んな下地と新モンゴル日馬富士学園の額

2020-03-12 07:46:08 | モザイク作家
今日はまず昨日作った下地の鏡の組み立てをしつつ、それと一緒にペーパー掛け。その後、オイル塗りをしてから、鏡のタイル張り。目地は明日にするとして・・・これで半日。結構時間が掛かるのね。そんな中、コープみらいの埼玉の担当の方から連絡があり、やはり今月末の2つの開催が中止になったのね。残念だけれど。

今の状況では当然のご判断だろうし、そんなこんなでも、やる事はあるし、今は何しろ新モンゴル日馬富士学園の額。

そんな午後から俺は黄色と黒の部分をやったんだけれど、普通の時間では2枚終わらない・・何とももどかしい進み具合。このレロレロな模様で分断される事がこんなに面倒な事だとは思わなかったのね。中々大きな誤算だったかも・・ただ仕上がりは悪く無いけれど。そんな中、かぐやは?と言うと、こっちはネタばれが激しい

場所なんで画像は無しだけれど、そっちも正直進みが悪く、こうなって来ると、何処かで帳尻合わせる場所が必要なんだけれど・・・それは何処だ?って話だし、いずれにしても、もう少しやって見ないと何とも言えないのね。ただもしかすると、気持ちの問題なのかも知れないけれど・・・。

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