遠くから母の故郷眺めつつ
母の過ごし日の思いにふける
今日は、何とも言えない出会いの縁がありました。本当は、「小学校運動会 その2」を書こうと思ったのですが、今日は、出会いについて書きます。
昨日は、中学校校区内で2つの小学校の運動会が行われました。まずは、真坂小学校に行きました。学校周辺は車でいっぱいです。止めるところがありません。近くの先生の家に止めさせていただきました。
運動会を見終わって、次の学校に行くために、車に乗り込もうとしたときのことです。小学校の時の先生に出会いました。ぱっと見て、すぐ小学校の時の先生だと分かりました。
「先生、だれだか、わかりますか。」
と聞くと、しばらく自分の顔を見て、
「もしかして、かずたかちゃん?」
数十年ぶりの再会です。小学校の時は担任ではありませんでしたが、優しくおだやかな先生で、いろんなところで関わっていただきました。80歳を超えているというのですが、雰囲気はあのときのままです。
「先生、全然変わらないですね。」
と言うと、
「そんなことを言ってくれるのは、あなたくらいですよ。」
としばらく懐かしく話をしました。
本当にあのときのイメージのままなのです。家族も先生を慕っていました。先生から、
「お父さんやお母さんはどうしている。」
と聞かれたので、すでに亡くなっていることを伝えました。
先生と母との年齢も近く、先生がお元気であることがとても嬉しく感じられました。近いうちに遊びに行かせてもらうことを約束して握手をして別れました。先生の話を聞いていると、小学校時代に戻った錯覚に陥りました。サプライズの再会でした。
続いて、秣小学校の運動会に行きました。ここでも真坂小学校と同様に、すごく感動する子どもたちの演技を見ました。
運動会については、また後日話します。
先日、母が亡くなったときに、戸籍を見ました。秣地区に住んでいて、結婚して耶馬溪に来ました。戸籍の番地と位置をゼンリンの地図で休みの時に確認をしました。小学校のほんの近くです。
学校の近くでもあるので、帰りに母が住んでいた家の近くを通りました。高齢者の方がその近くにいたので、止まってあいさつをしました。
「もしかしたら○○さんですか。」
「そうですが、どなたですか。」
と言いました。
この家の隣りにかつて母が住んでいたことを伝えました。○○さんのことは、母からよく聞いていました。認知症であっても秣のことや○○さんの話は母の口から出てきました。一度お会いしたいと思っていました。
「與一さんの家はもう無くなっています。違う人がその土地を買っています。」
與一さんとは、自分の祖父です。
「子どもにカオルさんという方もいましたね。」
と母の名前も出てきました。母のことを覚えてくれていることがとても嬉しくて、ぐっと来るものがありました。
「懐かしいですね。」
とも話してくれました。
母が秣から耶馬溪に結婚してきたのは、昭和26年のことです。61年前と言うことになります。祖父の仕事の転勤の関係で、秣にずっと住んでいたのではありません。しかし、確実に母には秣に対しての思いがありました。
○○さんの年齢を聞くと母より一つ上でした。隣同士だったので、幼い頃は、一緒に秣の野山を駆け回っていたのかも知れません。母が認知症になり、最近のことは忘れがちになっていてもこの故郷秣のことをよく口にしていたことは、母にとって、住んでいたところが、幼い頃の大切な時であり、オアシスだったのでしょう。
この出会いのことを家に戻ってから電話で姉たちにも伝えました。
感慨深い出会いという縁を感じました。また出会った人を通して亡くなって一ヶ月、母への思いを感じることができました。
母の過ごし日の思いにふける
今日は、何とも言えない出会いの縁がありました。本当は、「小学校運動会 その2」を書こうと思ったのですが、今日は、出会いについて書きます。
昨日は、中学校校区内で2つの小学校の運動会が行われました。まずは、真坂小学校に行きました。学校周辺は車でいっぱいです。止めるところがありません。近くの先生の家に止めさせていただきました。
運動会を見終わって、次の学校に行くために、車に乗り込もうとしたときのことです。小学校の時の先生に出会いました。ぱっと見て、すぐ小学校の時の先生だと分かりました。
「先生、だれだか、わかりますか。」
と聞くと、しばらく自分の顔を見て、
「もしかして、かずたかちゃん?」
数十年ぶりの再会です。小学校の時は担任ではありませんでしたが、優しくおだやかな先生で、いろんなところで関わっていただきました。80歳を超えているというのですが、雰囲気はあのときのままです。
「先生、全然変わらないですね。」
と言うと、
「そんなことを言ってくれるのは、あなたくらいですよ。」
としばらく懐かしく話をしました。
本当にあのときのイメージのままなのです。家族も先生を慕っていました。先生から、
「お父さんやお母さんはどうしている。」
と聞かれたので、すでに亡くなっていることを伝えました。
先生と母との年齢も近く、先生がお元気であることがとても嬉しく感じられました。近いうちに遊びに行かせてもらうことを約束して握手をして別れました。先生の話を聞いていると、小学校時代に戻った錯覚に陥りました。サプライズの再会でした。
続いて、秣小学校の運動会に行きました。ここでも真坂小学校と同様に、すごく感動する子どもたちの演技を見ました。
運動会については、また後日話します。
先日、母が亡くなったときに、戸籍を見ました。秣地区に住んでいて、結婚して耶馬溪に来ました。戸籍の番地と位置をゼンリンの地図で休みの時に確認をしました。小学校のほんの近くです。
学校の近くでもあるので、帰りに母が住んでいた家の近くを通りました。高齢者の方がその近くにいたので、止まってあいさつをしました。
「もしかしたら○○さんですか。」
「そうですが、どなたですか。」
と言いました。
この家の隣りにかつて母が住んでいたことを伝えました。○○さんのことは、母からよく聞いていました。認知症であっても秣のことや○○さんの話は母の口から出てきました。一度お会いしたいと思っていました。
「與一さんの家はもう無くなっています。違う人がその土地を買っています。」
與一さんとは、自分の祖父です。
「子どもにカオルさんという方もいましたね。」
と母の名前も出てきました。母のことを覚えてくれていることがとても嬉しくて、ぐっと来るものがありました。
「懐かしいですね。」
とも話してくれました。
母が秣から耶馬溪に結婚してきたのは、昭和26年のことです。61年前と言うことになります。祖父の仕事の転勤の関係で、秣にずっと住んでいたのではありません。しかし、確実に母には秣に対しての思いがありました。
○○さんの年齢を聞くと母より一つ上でした。隣同士だったので、幼い頃は、一緒に秣の野山を駆け回っていたのかも知れません。母が認知症になり、最近のことは忘れがちになっていてもこの故郷秣のことをよく口にしていたことは、母にとって、住んでいたところが、幼い頃の大切な時であり、オアシスだったのでしょう。
この出会いのことを家に戻ってから電話で姉たちにも伝えました。
感慨深い出会いという縁を感じました。また出会った人を通して亡くなって一ヶ月、母への思いを感じることができました。