和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

晩秋の奈良を訪ねて 談山神社

2017-12-29 08:00:06 | 日記

一直線の階段を上って行く

本堂

十三重塔

観音堂

恋の道

結びの岩座

蹴鞠広場より見あげて

京都市内のホテルに泊まった翌日は奈良の桜井市にある談山神社を訪ねました。日本画家の後藤純男画伯の描いた談山神社に魅せられ、いつか来たいと思っていたところです。神社は飛鳥地方の東にそびえる多武峰の山中にあり、木造で唯一現存している十三重の塔と赤社殿がひときわ目を惹きます。 談山の名は中臣鎌足と中大兄皇子(のちの天智天皇)が大化元年(645年)大化の改新の談合をこの地で行ったことに由来します。その後藤原氏の繁栄とともに発展を遂げました。
境内には3000本の楓がありますがすでにピークはとっくに過ぎて落ち紅葉になっていました。
境内の庭では古式ゆかしき鞠装束に身をつつんだ貴族たちが鞠を蹴り上げて次々渡していく古典的遊戯 蹴鞠 のイベントを時々開催しているようです。
 
手にスマホ恋も叶うやもみじ道

紅葉の京都を歩いて 永観堂ライトアップ

2017-12-26 08:01:03 | 日記











阿弥陀堂  御本尊「みかえり阿弥陀さま」が見られた

多宝塔

2日目の夜はライトアップされた浄土宗西山禅林寺派総本山 永観堂 の見学です。ライトアップは人気が高く予約のない人たちは長蛇の列を作っていましたが、我々はツアーのため別の入り口から入る事ができてラッキーでした。御本尊は「みかえり阿弥陀」さまです。阿弥陀堂に入って前からと横からと自由に拝観することが出来ました。古今和歌集の中では「モミジの永観堂」と詠まれていたそうです。太陽の光がある昼間に入ればまた違った永観堂が撮れたことでしょう。

燃ゆるかな苔の上なる散紅葉

紅葉の京都を歩いて 南禅寺 哲学の道入り口

2017-12-23 08:31:14 | 日記

三門 日本三大門の一つで高さが22mの楼門

正面は本堂



水路閣 アーチ式のレンガ造り

本堂の廊下から撮る

ここから緩やかな坂道を登って

哲学の道へ






引き続き紅葉の京都を歩いてを掲載します。
天竜寺や大河内山荘を見た後、嵐山渡月橋の近くで昼食を済ませ、バスで南禅寺に向かいました。京都市東山区にある南禅寺は、1291年、亀山天皇により開基された臨済宗南禅寺派の大本山です。開創当時の三門は火災で焼失しましたが、その後1628年に藤堂高虎が大阪夏の陣で倒れた一門の将士の菩提を弔うために寄進して再建したと言われています。登って拝観することもできます。境内は広大な敷地を持ち300本の楓が植えられています。琵琶湖疎水の水路として建造された煉瓦造りの水路閣もありました。残念なことに度重なる火災にあって当時の姿はほとんど残っていませんが何処へ行っても大賑わいでした。少し時間に余裕があったので今夜ライトアップされる永観堂を見るための集合場所を確認しながら哲学の道入り口まで行って来ました。

足るを知る齢になりし実南天

新宿御苑便り 12月

2017-12-20 08:00:06 | 日記

タムケヤマ楓 





タムケヤマ楓





水仙 ペーパーホワイト

冬桜 バックの色はハナノキ

ハナノキ

ヒマラヤコザクラ

モミジバスズカケ

コウテイダリア

交通の便がよい新宿御苑の18万坪もある園内は連日紅葉を愛でる人が大勢訪れています。係の人の話では台風が来なかったことが幸いしてこんなに綺麗なもみじの紅葉はここ数年振りとのことでした。
インフォーメーションセンターでは園内の地図が付いた新宿御苑晩秋の見所という案内パンフレットを配っていますので誰でも今が見頃の木々やお花を見つけることが出来ます。私も11月中旬からここに通い詰めて紅葉の撮影をしてきました。
ブログでは紅葉の京都の旅の途中ですが御苑のモミジも一段と綺麗でしたのでご紹介します。

花八手をちこち囲むカメラマン

紅葉の京都を歩いて 嵐山天龍寺から大河内山荘へ

2017-12-17 08:11:32 | 日記

天龍寺 曹源池





多宝塔 しだれ桜の巨木が何本もあり春には見応えがありそう

嵯峨野の竹林 大勢の人が立ち止まっていて大混雑、上のみ撮影

大河内山荘庭園

山荘

雨模様の庭園



人力車のみが通れる竹林

東福寺を見学後、四条大宮駅から二両編成の嵐電に乗って終点の嵐山駅で降り、京都市右京区嵯峨にある天龍寺に行きました。ここも観光客が道一杯に広がり警備員も大忙しの様子でした。特に多かったのはアジア系と思われる外国人です。天龍寺は臨済宗天龍寺派の大本山であり。1339年、吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために、足利尊氏が夢窓国師を開山として創建したところです。残念ながら曇り空で光がなくモミジの色は冴えませんでしたが庭園を歩いた後、北門から嵯峨野の竹林を抜けて大河内山荘へ行きました。。
大河内山荘は百人一首で有名な小倉山の南面にあり時代劇の名優大河内傳次郎(1898-1962)が昭和6年(34才)から64才で逝去するまでの30年住んだところです。彼が丹精を込めて創り上げた庭園は回遊式借景庭園となっていました。幸い見学者は少なく静かに廻ることが出来ました。

賑わいの京漬物や冬ぬくし