和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

新宿御苑だより 2月

2019-02-26 07:20:32 | 日記


オオベニゴウカン

白いのはアボガドの花

ホウカンボク まるでドレスの様にゴージャスな花

雨に打たれる寒桜

雨の日は観光客もほとんどいない

満開の寒桜 メジロがいっぱい

お茶室の前の梅

福寿草

河津桜

クリスマスローズ

咲き始めたばかりのクリスマスローズ

花の少ない2月に2回新宿御苑を訪ねてみました。
1度目は雨の日(2月6日)だったので訪れる人はまばらで東屋の中から庭を見てすぐに温室に向かいました。2度目(2月20日)は日中17度もあった日でしたから暖かさに誘われて久しぶりに日本人が多かったように思いました。
新宿御苑の入園料が3月19日より¥200から¥500に値上げとなります。子供は¥50が無料になります。ただし年間パスポート券¥2000は据え置きですが3月25日から4月24日までの間は発行は休止でその間は作れません。
値上げに伴い閉園時間が16時半から18時となり夏季は19時まで延長されるそうです。桜の季節が待たれます。

春浅し試してみたき赤いパフ



四国への旅  Ⅳ 金刀比羅宮 祖谷のかずら橋へ

2019-02-21 15:08:09 | 日記

宝巌寺(一遍上人誕生の地)

伊月庵

伊予の絣会館

織物をして見せてくれている

金丸座

金比羅宮本宮

展望広場からさぬき富士が見える

かずら橋

渡りきってから橋を見ると

コトバス 祖谷バレイ号 高松駅、高松空港を経由して祖谷、大大歩危を結ぶ連絡バス

バスの中にはアットホームな人形が飾られていました

四国旅行の三日目です。早朝ホテルから程近い一遍上人誕生の地の宝巌寺を訪ねました。あまりに近くにあり行き過ぎてから戻り手前の上人坂を登った先にありました。上人坂には松山出身の正岡子規の句が道路の左右に札に書いてあり一つ一つ読むのにも忙しく、坂を上りきる左手前にはプレバトでおなじみの夏井いつきさんの伊月庵もありました。旅行に出る2日前の朝のNHKTVでは夏井いつきさんへのインタビューの中で伊月庵(いげつあん)の事も触れられていたので何処にあるのかと見に行く良い機会でした。気軽に句会が出来る庵(いおり)だそうです。お陰でほっこりさせてもらった朝散歩でした。

バス旅行の最初の見学は愛媛の伝統織物の伊予の絣会館でした。日本三大絣の一つで昔ながらの絣の製造工程を順追ってみることができる会館ですがここも近々閉館して中心部に施設を移転するとのことでした。

次に向かったのは日本最古の芝居小屋、旧金毘羅大芝居「金丸座」でした。昭和45年に国の重要文化財に指定されました。外から建物を眺めた後はいよいよこんぴら詣での始まりです。以前来たのは四国88か所お遍路のお参りの旅の時でした。早朝暗いうちから遍路のお仲間と二人で同室の人がまだ寝ているうちに急ぎ出かけていきました。。しかし今日はガイド付きで各所で休憩しながら785段を上りきり帰りはゆっくり坂道をう回して戻りましたので楽にお参りが出来ました

今日も初日と同様バスの中でお弁当を食べながらの移動でした。スケジュールが目一杯でゆっくりレストランでの時間がとれません。次に向かった先は吉野川が造りだした大渓谷大歩危小歩危です。こちらもバスの車内から眺めながら祖谷のかずら橋に向かいました。徳島、祖谷のかずら橋はその昔平家の落人が追ってから逃れるためいつでも切り落とせるように山野で採取した自生の「シラクチカズラ」を編み連ねて創られた橋で、当時の人々には大切な生活路として祖谷川の各所に架けられていたそうです。今では2カ所しか残っていないとのこと。
さてどきどきしながら一歩一歩踏み出す度にゆらゆら揺れ、落ちるはずもありませんがスリル満点でした。橋は一方通行で長さは45メートル、幅は2メートル、水面からは14メートルあり真ん中当たりでやっと余裕がでて景色を眺めることが出来ましたが体験は一回で充分と思いました。
今回はあわただしく四国4県を廻るバス旅行でしたが物知りな添乗員さんのお陰でお腹を抱えて笑い、うたた寝をする暇もないくらい楽しい度となりました。

吊り橋や足竦ませる冬の旅

松戸市育苗圃 雪の椿園

2019-02-16 14:09:30 | 日記













先日、松戸市は早朝から小雪がちらつきました。午後から出かける予定がありましたので午前中の小一時間、近くの松戸市育苗圃の雪景色を撮りに出かけました。
畑はうっすらと雪景色となり初雪のショットを楽しむ事が出来ましたが午後には雪はすっかりやんでしまいました。
翌日は快晴となり木々の雪は溶けてしまいましたがもう一度出かけ椿の花の様子を見てみると花弁が雪ですでにいたみ始めていました。
早咲き以外はまだつぼみの木が多いのでここの椿園はこれから3月にかけてじっくり開花すると思います。

初雪や円やかなりしいつもの地

四国への旅 Ⅲ 愛媛県内子の町から道後温泉へ

2019-02-11 10:25:38 | 日記

内子の街並み 浅黄色の土壁は地元の土

上芳我邸 今は木蝋資料館

本芳我家住宅

手入れの行き届いた庭

一軒だけになった木蝋の店 大森

中に入ってみると

店の奥では手作りの作業をしていました 温かみのある和蝋燭 

夜の道後温泉本館 

温泉前のアーケード

7年かけて本館大修理始める(1月15日より)前の姿 12月26日撮影

今日は旅の2日目ですが午前中土佐清水で特産の宗田節(カツオの仲間でソウダカツオを燻製にする)や、生節を柔らかく味付けした姫カツオや、卓上のしょうゆ瓶に入れてカツオの味をじっくり楽しむ宗田節をお土産に買いました。
四万十川遊覧後は昔懐かしい日本の原風景である安並水車郡(15基あるらしい)を車窓から眺めました。水車郡は雨でもあり下車見学は出来ませんでしたがその後内子へ向かいました。
内子町は江戸時代後期から明治時代にかけて木蝋の生産によって栄えた町で現在でも伝統的な造りの町屋や豪商の屋敷が当時のまま軒を連ねて街並み保存しているところです。
今回旅行ツアーを選ぶ際にもここ内子が見学コースに入っていたのも決め手の一つでした。

木蝋はハゼノキの実を砕いて作られる蝋の事でワックスとしてつかわれています。主にろうそくや力士のマゲを結う時にも使われますが愛媛県はハゼノキが育ちやすかったので農家の重要な資金源として作られていたらしいです。和蝋燭は洋ろうそくと比較すると何倍も炎が大きく明るいとのことです。煤も出ないので災害用にと私も旅の記念に買い求めました。
また内子には創建100年以上の芝居小屋内子座があることでも知られています。木造二階建て瓦葺き入母屋造りで純和風の芝居小屋は娯楽の少なかった庶民にとってお弁当や酒肴を持参して見物にやってきたそうですよ。
残念ながら自由時間が少なくそこまでは見に行けませんでした。

甘平みかん弾ける味の初体験

四国への旅  Ⅱ 足摺岬 ジョン万次郎 四万十川沈下橋

2019-02-06 07:51:56 | 日記

日本人初の国際人 ジョン万次郎

足摺岬灯台 

椿の遊歩道を雨の中歩く





金剛福寺 本堂





高瀬の沈下橋 台風が来るとこの道路は沈んで対岸の家は孤立する

旅の二日目は足摺岬展望台からまず太平洋を眺めると270度の視界が広がって地球の丸さを実感しました。ここには日本人初の国際人ジョン万次郎(中浜万次郎)の銅像が立っていました。
1827年土佐清水中浜から漁に出ていた舟が嵐に遭遇し数日間の漂流。、南鳥島の無人島に漂着した5人の青年は海で魚を取り雨水をためて生き延び143日後に通りかかったアメリカの捕鯨船に助けられました。救助されたものの日本は鎖国の時代でしたから無事に帰国できる保証はなく4人はハワイで降りましたが14歳の万次郎はアメリカ行きを希望しました。
アメリカ本土に渡った万次郎は船長の計らいで学校に入れてもらい英語、数学、測量、航海術、造船技術を学び卒業後は捕鯨船に乗り数年後日本へ帰国する決意をしました。帰国資金を稼ぐために金鉱で働きその資金をもとに船を購入しハワイの漂流仲間と共に日本へ向けて出港。1851年薩摩藩の琉球に上陸し長期にわたって尋問を受けた2年後土佐へ帰国できました。土佐では翻訳や通訳や造船にと精力的に働き土佐藩の藩校の教授にもなり幕府からも必要とされました。

1860年には咸臨丸で勝海舟や福沢諭吉らと一緒に使節団の一員として乗り込み1870年には普仏戦争視察団としてヨーロッパにも派遣され大活躍しましたが帰国後体を壊し1898年に土佐清水で71歳の生涯を終えました。

今土佐清水ではNHKの大河ドラマにジョン万次郎がとり上げられるように町ぐるみ署名活動をしているそうです。
その後足摺岬の七不思議の伝説が残る場所を小雨降る中散策しました。亀呼場は弘法大師が亀の背中に乗って身体安全、海上安全の祈祷をされたそうです。 爪書き石は大師が爪で「南無阿弥陀仏」と六文字の名号を彫ったと言われています。四国88遍路の38番金剛福寺も参拝しました。
竜串見残し海岸を散策して海中公園などにも寄りながら次は四万十川にかかる高瀬の沈下橋の見学でした。その後四万十川遊覧船に乗り2か所の沈下橋を眺めながら船の中でお昼を食べました。

万次郎像見上げ来し方偲ぶ冬