




オルゴール

ガラス製品




新島襄の船出姿







タコのお刺身

アイスクリームは美味しかった
はじめて北海道新幹線を利用して函館2泊3日の旅をしてきました。
過去には在来線を使って一度だけ来たことがありましたがいつも飛行機での利用が主で今回が6回目になるでしょうか。
東京駅発8時20分のはやぶさ7号で新函館北斗には12:17分に着き、すぐに接続している函館ライナーに乗りかえるとJR函館駅には
12:50には着きました。転寝している間にあっという間についたような気がして空の旅より快適に思いました。。
いつもは決まってレンタカーを借りて移動していましたが今回は市電、バス、電車、タクシーを使って動きました。
昼食を済ませた後、まずは函館駅から市電を利用して3つ目の十字街で降りて赤レンガ倉庫群に向かいました。市電が10分おき位に来るので
便利です。修学旅行生や海外からの観光客でほぼ満員です。観光バスでなく個人で動き回っている旅行者が案外多いのですね。
函館の西部地区にある金森赤レンガ倉庫は、長崎から函館に移り住み、輸入雑貨や船具などの販売を手掛けた初代渡邉熊四郎が1887(明治20)年に
既存の建物を買い取り営業倉庫 としたのが始まりです。...
明治時代に建てられた7棟の赤レンガ倉庫をそのまま利用した複合施設。明治42年の建築当時の高い天井やヒノキの柱が見られる函館ヒストリープラザ、
カフェ・生活雑貨の店が軒を連ねる金森洋物館、運河を囲むようなショッピングモールに加え、チャペルやクルージングなどの非日常のサービスを提供
するBAYはこだて、コンサートや展示会等に使用できる多目的イベントホール・金森ホールの4つの施設から構成されているそうです。
新島襄は、五稜郭を設計した武田斐三郎が教授をしていた諸術調所に入るために箱館にやって来ました。しかし、武田は江戸へ帰っていたため、塾頭の長岡藩士・
菅沼精一郎の紹介で、ロシア領事館付きの司祭ニコライの日本語教師となりました。その後、鎖国の禁を破ってでも海外見聞をしたいという強い情熱のもと、
1864(元治元)年6月14日夜、大町の築島の波止場から1艘の小舟で沖に出た後、湾内に停泊するアメリカ商船ベルリン号にたどり着き、密出国に成功。
海外で見聞を広め、後に同志社英学校(現在の同志社大学)を創設しました。ブロンズ像は、小舟に乗って密出国する時の姿だそうです。
2016年12月6日から12月29日まで載せている過去のブログを見ていただくとよくわかるのですが時期はその年は26日から29日でした、
レンタカーを使ったのでフル活動であちらこちらを見学ししました。今回は同じような日程(25日から27日)を選んでいますが函館でも今年の夏は暑くて紅葉が
かなり遅れていたのですね。。日中はコートを脱ぎ棄てワイシャツ一枚で過ごせた陽気でしたから。参考までに。