和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

五月中旬の新宿御苑 ホオノキの花 ユリノキの花

2017-05-30 08:01:27 | 日記

咲き始めた朴の木の 花



フランス式庭園にあるバラ園

花の名前は

こちらはモーツアルト

池の周りにあるノイバラ

ユリノキの花

何故かユリノキの下に集まっている人々

お花見シーズンは大勢の観光客で賑わっている御苑も五月中旬ともなると咲いていたのはエゴノキ、カルミア、カラタネオガタマ、ノイバラ、ユリノキ、セイヨウトチノキ、バラ、ホオノキ、シラン位。いずれも初夏に咲く花々です。いつも撮影するときはレンズを何本か持って行ってモチーフに合わせて取り換えるのですが今回はレンズは24-105ミリ一本のみにして散歩しながらぐるっと一周して撮影しました。
ユリノキは北アメリカ原産の落葉樹で明治の初めに日本に持ち込まれ今では街路樹等にも植えられていまがその中でも新宿御苑のユリノキは樹齢130年、樹高は40メートルもあるそうです。花はチューリップに似ていてユリの花には似ていないように見えますが、明治23年小石川植物園を訪ねた大正天皇がこの花をご覧になりユリノキと命名されたそうです。朴の木も同じモクレン科に属します。

年を追い違ふ目となる夏帽子

残雪の中の芽吹きと山桜、雪解け

2017-05-26 08:00:06 | 日記
















旅行最終日になってやっと芽吹き始めた木々と山桜を見付けることが出来て嬉しい撮影となりました。国道252号線はまだ只見までは開通せず通行止めのため、次に向かった先は奥只見シルバーラインのトンネルの中をひたすら走り銀山平でした。こちらはまだまだ雪景色の中でこれから早春を迎える雰囲気でした。雪の中から今顔を出したばかりの黄色い蕗の薹をお土産に沢山収穫しました。宿のすぐ近くには水仙と終わりかけているカタクリの花も見れ、三国ダム近くでは雪解け水で迫力満点の川の撮影も出来て越後湯沢から新幹線に乗り帰宅しました。

過疎の地も立夏を迎へ目覚めたり










只見線沿線に春を求めて

2017-05-22 08:30:35 | 日記

早朝のダム湖



只見線6:38の始発電車 大白川駅 乗客は3人だけでした

線路沿いで山菜採り



大白川と入広瀬駅の間





一昨年は南魚沼を4月26日に訪ねてカタクリ、桜、残雪の中に咲く山桜などを撮影しましたが、今回はそれより10日以上遅い5月連休の後でした。魚沼周辺では桜もすでに散ってしまい水芭蕉も終わり、カタクリも終わっていましたので標高の高いところに木々の芽吹きを探しに行きました。只見線の線路際では地元の人が山菜採りをしていました。
電車が滅多に来ない線路ならこそこんなことも出来るのですね。

日に何本雪渓背負ふ客となり

残雪と新緑そして山桜を訪ねる新潟魚沼への旅 

2017-05-18 08:00:20 | 日記
















関東周辺は桜も散り新緑のシーズンになりましたが新幹線で一走りすると残雪の残る山々がありました。上越新幹線を浦佐で下車してまず向かった先は残雪の残る巻機山の麓でした。お目当ての大山さくらは葉桜になっていました。以前誰かが撮った写真を見て一度訪ねたいと思っていたところです。 もう一本の小さめの大山さくらは今が満開でした。残雪の中でけなげに芽吹き始めた木々に感動しました。そこを後にして只見線沿線のスキー場も訪ねました。浅草岳公園ではイーゼルを立てて残雪の中の木立をスケッチをしている地元のグループに出会いました。ここの国民宿舎に泊まって描きに来ているとのことでした。

神の詩見るがごときや谷若葉

五島列島新上五島町隠れキリシタン教会

2017-05-14 07:27:26 | 日記

若松大橋から

中の浦教会(別名水鏡の教会)

マリア像の周りは五月は赤いバラが咲くそうです

冷水教会

椿のステンドグラス

青砂ヶ浦天主堂

塩窯見学 矢堅目の塩は五島近海の塩水から直火炊きで作られる

旅の四日目にして朝から快晴の嬉しい日となりました。 旅行中に初めて見る長崎五島の青空です。この日宿泊した若松島の宿からほど近い若松大橋からの景色を堪能しました。この橋を渡るともう中通島でした。

次いで大正14年(1925)に建立された木造の中の浦教会を見学しました。波静かな中の浦湾に美しい姿を映してとてもメルヘンチックな外観でした。天井を飾る赤い椿のデザインが印象深いです。少しばかり風もあり残念ながら水面に映る優雅な姿は見ることができませんでした。

次に訪ねた冷水教会は明治40年(1907)長崎県下に数多くの教会建築を手がけた郷土出身の建築家鉄川与助により施工されました。氏は当時27歳で独立して初めて自ら設計施工した教会だそうです。彼の故郷はこの近くにありますがキリスト教徒でなく仏教徒だそうです。

最後に行ったところは青砂ヶ浦天主堂でした。 明治12年(1879)頃は小さな集会所風でしたが明治43年(1910)鉄川与助により現在の教会堂が建立されました。信徒がレンガを運び作り上げた天主堂は正統建築様式で細部の意匠が特徴があり優美な装飾が施されています。国指定重要文化財です。

こうして9カ所の教会を巡りキリスト教徒の苦難の歴史に思いをはせましたが、同時に新鮮な魚料理を連日味わった3泊4日のグルメの旅にもなり忘れられない思い出となりました。

世界遺産めざし華やぐ椿里