和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

笠間の菊まつり  Ⅱ

2023-11-30 05:05:31 | 日記






























今回菊まつりを訪ねた日は11月11日(土曜)でしたので会場では笠間洗心館演武が奉納されていましたが11月3日には神事流鏑馬も
行われたそうです。
菊まつり期間中は茨城県菊花連盟による品評会も行われ茨城県内の菊まつりでは最大の規模だそうです。菊祭り会場は稲荷神社境内のほかに
笠間歴史交流館にも丹精込めて育てられた彩り豊かでさまざまの工夫を凝らして菊が展示されていたのには驚きでした。
ベンチも各所に配置されてのんびりくつろぐ家族連れも多かったです
普段は人通りの少ないところなのか食事ができる店が少なく探すのに行ったり来たり困りました。車社会なので少し走ればあるのでしょう。
朝は笠間駅形稲荷神社までの接続バスがありましたが帰りは一時間に一本しかなく駅まで歩きました。途中美味しいおせんべい屋さんの店で
せんべい好きの私は沢山購入しました。 まだ帰りの水戸線の時刻には時間があり栗で有名な笠間ですので美味しいモンブランも食べました。
お店は混雑していて待たされること30分。けれどさっくりパイ生地の上に栗カスタード、ナマクリーム、笠間栗を重ねた逸品は美味しかった
です。笠間にはコーヒーとモンブランを提供している店が沢山そろっているので次回は違う店でも賞味したいとおもいました。

姫よりも武者凛々しきや菊人形

笠間の菊まつり  Ⅰ

2023-11-28 05:58:47 | 日記



アンブレラスカイ







八重の藤

ご神木の胡桃の木

笠間洗心館演武



















瑞鳳閣


日本の三大稲荷の一つである笠間稲荷神社の菊まつりに行って来ました。
10月21日から11月26日までと約一か月の間菊まつりが開かれていました。
笠間稲荷神社は総欅作りの江戸末期の建築で昭和63年に国の重要文化財に指定されました。
境内には笠間稲荷神社農園部が栽培した菊をはじめ県内外の菊愛好家が丹精込めて育てた菊5000鉢が咲き誇こり
それは見事な景観を楽しませてくれていました。境内に飾られる菊は立菊,懸崖菊、千輪咲き、古典菊、盆栽菊など多種
多様の色鮮やかな菊が境内を所狭しと飾られていました。どうする家康の菊人形や古典落語の4景からなる菊人形もありました。
開催期間が長いので菊人形の菊の着せ替え作業も見てお話を聞くことが出来ました。根をつけて長く仕立てた菊を一本一本丁寧に
止めていく手作業は大変なのを今回まじかで見ていて知りました。
笠間小学校6年生の丹精込めた一本菊の作品もあって感動でした。地域一体となって見せる菊まつりは素晴らしいですね。

巧みな手菊人形の衣装替え

横浜イングリッシュガーデンに薔薇の花を見に行ってきました

2023-11-24 08:30:35 | 日記














































一度は訪ねたいと思っていたので友人3人と大船フラワーガーデンに行った帰りに午後から寄ってみました。
横浜駅から無料バスが出ているらしいのですが平日だったのでタクシーで行きました。駅からは近かったです。
横浜イングリッシュガーデンは、2,200種類のバラを中心に、横浜の気候風土にあった草花や樹木を散りばめて、
春の芽吹きから枯れゆく秋の自然の風景を何年もかけて育てているそうです。
特に香り高い四季咲きのバラをふんだんに使い、春から秋までバラを楽しむことができるイングリッシュガーデンです。
イングリッシュガーデンとは、ガーデニングが盛んなイギリスでよくみられる自然美をたたえる庭のことを言います。
田舎の風景が庭で楽しめるように作られていまして一般のバラだけを植えている薔薇園とは違います。
薔薇の香りに包まれて嬉しい時間を過ごすことが出来ました。

函館 香雪園を訪ねて    青函トンネル見学の懐かしい思い出

2023-11-18 19:38:24 | 日記
































湯の川温泉街近くの高台に位置する見晴公園は、市内有数の豪商であった岩船家が、明治中期の1890年代に別荘として造成した風景式庭園「香雪園」を含み、
4万坪を超える広大な敷地(約13.3ヘクタール)に、和風・洋風織り交ぜた魅力がちりばめられています。
香雪園は1927(昭和2)年に、岩船家の好意で市民に無料で開放されるようになり、1955(昭和30)年に函館市が無償貸借契約を締結、1959(昭和34)年には
市が土地を買収。2001(平成13)年に、文化財保護法に基づく「名勝」の指定を受け、北海道で唯一の国指定文化財名称庭園になりました。
6年前の秋にはレンタカーだったこともありまだ多くの人に知られていなかったこの公園に何度も足を運んで紅葉真っ盛りの庭園を楽しみました。
今年は函館も観測史上初めての35度以上の猛暑日を体験したそうですからその後も寒さが来なくて紅葉は10日以上遅れているようでした。
朝方雨の降った宿泊地の湯の川温泉からはタクシーで香雪園まで行きました。着いてみるとすぐにも雨が上がり紅葉には早かったもののしっとりした庭園は以前の
ままの感動を持って迎えてくれました。
こうして10月25日からの2泊三日の函館の旅は予定通り終了し函館駅でお土産を買い込んでから新函館北斗駅発14:48のはやぶさ34号で東京着19:04で
帰ってきました。

古い話で恐縮なんですが青函トンネルの中を見学したことがありました。2010年震災の前の年になりますが民主党政権の時代に高速道路代がどこまで行っても
¥1000の時に写友からお誘いを受け東京を6月13日に出発して青森県浅虫温泉で一泊し下北半島の恐山、大間を経由して薬研温泉にも一泊し仏ケ浦も見学後陸奥湾
フェリーで蟹田に出てから寂しい漁村の海岸を北へ走って竜飛まで行きました。
この旅はどこに行くがはその日の朝決定するのでフェリーに乗る直前に竜飛岬の山の上にある竜飛ホテルに電話しましたが残念満室でした。フェリー乗り場で2~3の
民宿を教わりやっと今晩の宿が取れたのです。着いてみるとそこは漁村という感じで部屋は2階建の狭いところでしたが、さすがに漁師の家で食事は夕も朝も魚三昧
新鮮そのものに舌ずつみ。泊り客の常連さんは海底トンネルの仕事をしている人達だけで定宿になっていました。我々もすっかり打ち解けて杯が進み明日海底トンネルを
見せてあげるからの約束まで取り付けてしまいました。
エレベーターでどのくらい降りたのでしょうか?ひんやりとした構内のはじめて見る景色に我々は声も出ずにただただ感動して見回していました。
その旅行はその日は13湖から深浦の海岸線を見てからの4泊目は鯵ヶ沢でとまりました。ホテルから見えたニセアカシアの白い花の大木が霧の中に何本も煙っていた
ことなど。翌日は岩木山神社にも参拝をして4泊5日のちょっぴり強行軍の旅はこうして終わりました。。
ほんの13年前ことなのですが4人の中のお二人はもうこの世にはいません。いろいろとお世話になったことに深く感謝です。
今回の函館からの帰りの海底トンネルの中での20分間にはこんな楽しかった思い出がよみがえってきました。

函館の旅 Ⅲ 五稜郭

2023-11-13 09:38:40 | 日記



五稜郭タワー







函館奉行所







武田斐三郎



榎本武揚

今夜には咲きそうな月下美人の蕾を持った大きな木は一回の待合所の真ん中にありました




再び函館の旅の続きです。北国は初冠雪もあって訪ねた時より数段寒くなってこれで平年の気温に戻っているのでしょうか?
五稜郭(ごりょうかく)は、江戸時代末期に江戸幕府が蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)郊外に築造した稜堡式の城郭です。
新政府軍と旧幕府軍との最後の戦闘「箱館戦争」の舞台となった場所でヨーロッパの城塞都市を参考とした星形の西洋式城郭。
現在は五稜郭公園として一般に開放されていまして函館奉行所も歩いて15分のところにあります。依然来た時にはタワーには登らず
公園内をゆっくり歩いて見学しました。.
.日本初の洋式城郭・五稜郭にあった奉行所の広壮な建物は箱館戦争終結の2年後、明治4年(1871年)解体されました
そして約140年後、4年間の工期をかけて、材料を吟味、最高の技術を駆使して往時の建築を忠実に再現したのが現在の箱館奉行所です。

五稜郭公園に隣接して建ち、展望フロアから五稜郭跡の星形を俯瞰できるタワーが五稜郭タワーです。展望チケット¥1000
展望2階の高さは地上90メートル。五稜郭や箱館戦争の歴史を語る展示物も興味深く拝見しました。
平日でも海外からの観光客の何と多かったでしょうか。人気のスポットになっているようで市電の五稜郭駅からは歩いて15分も
かかるので函館駅からは一時間に一本ある函館空港行きのこのバスを利用し、五稜郭タワー前で降りる車内は満席だったのには驚き
でした。日本人よリネットで調べて詳しいのですね。私は駅前の案内所で聞いて初めて知りましたので。
日本最初の開港地のひとつ函館は幕末の北辺警備と対外折衝の重責を担っていたのですね。

6年前に来た時、五稜郭前の交差点の目の前にある「あじさいラーメン(塩味が好きで)」が美味しかったので今回も早速入ってみました。
以前は生めんを使っていたのですが最近は乾麺になりなんと味の落ちたことでがっかりしました。スープは以前のままで塩味が美味
しいのですがこれにはがっかりでした。以前は並んで待たされたほどでしたが今は客も少なくなりあの味は何処へ消えてしまったのか?
3代目の店長の方針か?東京進出とか書いてありましたが昔の味にこだわっている私には疑問です。
函館あじさいラーメンのファンだったので札幌を訪ねた時もわざわざお店を探して食べに行き千歳空港ラーメン横丁でもたべて帰り、
お土産として買って帰ったりしたものですが今では幻の味なってしまったのがとても残念で6年ぶりに再訪した夢が壊れてしまった感じです。