和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

成田旧東小学校(廃校)の桜は健在でした

2022-03-30 14:31:34 | 日記











2020年3月27日撮影時は太い3本の支えはなく優美な姿でした

この大桜が「日本一の樹形」と題して新聞に載っていたのは2019年の4月でした。その切り抜きを友人から見せてもらって翌年の2020年3月27日に出かけてすぐブログにその姿を載せました。
その時も小学校はすでに廃校になっていたのですが2年ぶりに昨日2022年3月29日、以前行けなかった巨樹散策を趣味とするお仲間6人と再び見に行きました。
校庭の木々は殆ど伐採され旧校舎や遊具、飼育小屋なども取り壊されブルトーザーが入って次に生まれ変わるパークゴルフ場の公園としての整地がはじまっていました。
桜には新しく太い添え木が3か所も充てられて痛々しい姿に変貌しておりました。今回もまだ5~6部咲きでしたが木の周囲は大きくロープが張られて踏み荒らされないように守られてはおりましたので存続できただけでも良かったと思いました。
地域の大事な宝として、生まれ変わるパークゴルフ場公園でのシンボルツリーとしての大きな役目を果たしていくことと安心しました。成田の飛行場と隣接しているのでそこから歩いて10分のところにある十余三東雲の丘展望台にもよりました。
十余三トンネルの上がB滑走路への誘導路となっていて、悠々と飛行機が通過する様子を目の当たりにすることが出来ました。滞在時間は15分と短くても6~7機は眺められました。
住宅は少ないのですが近くには大きな公園もあり桜が数多く植えられていました。離着陸時に見られる桜並木は海外から来たお客さんがそれらを見て「ワンダフル」と歓声を上げるのが想像出来ました。

空港の轟音耐えし桜かな

野草の観察 松戸21世紀の森と広場の講座  Ⅱ 

2022-03-28 12:17:08 | 日記

フラサバソウ

オオイヌノフグリ

スイバ

アレチノギシギシ

エゾノギシギシ

葉を比べてみました

オニノゲシ

ハルノゲシ

タネツケバナ

ミチタネツケバナ

ジロボーエンゴサク

ジロボーエンゴサク

野草の観察は1月19日、2月23日、3月10日、3月23日と継続して先生と初めからの参加者メンバーと一緒に観察をしています。
そのほかにも私は散歩がてら21世紀に行くので成長を楽しんでいました。ここへきてどんどん咲き始めたのも観察対象に加わわりました。。
足元の小さな野草「フラサバソウとオオイヌノフグリ」の開花目立っていますね。
どちらもゴマノハグサ科クワガタソウ属で形態はよく似ていますが、よく見ればその違いがわかってきます。フラサバソウの方が花が小さいです。
一輪の花にフラサバソウの種は4個できオオイヌノフグリの種は10~20個ぐらい入っていると教わりましたがまだそこまでは見ていませんが後日調べるのでしょう。
スイバはタデ科の多年草。道端などに生えて、草丈は60センチメートル前後で、高いもので1メートルになります。茎葉はところどころで赤みを帯びてます。
下部は矢じり形の根から生える葉がつき食べると酸っぱい味がするので日本地方名でスカンポともよばれています。
同じくタデ科のヨ-ロッパからの帰化種であるアレチノギシギシやエゾノギシギシは荒地(あれち)に生息するからアレチノギシギシ、エゾ(北海道)で最初に発見されたからエゾのギシギシと名付けられました。
現在では日本中の野原に生育しているので摘んできて葉を比べてみました。最初は覚えられなかったのでまとめてみました。
オニノゲシもハルノゲシも観察の対象に入っていて別の場所ではすでに花が咲いているのもありました。
タネツケバナは水田に植える稲の苗を育てるために、種籾を水につける頃に花を咲かせるのでこの名がつきました。
ミチタネツケバナはよく似ていますがそれより早くから道端で繁茂しています。周りの種が花よりも伸びているのですぐわかります。
ジロボーエンゴサクの存在は昨年初めて知りました。
野草観察の講座は4月にも2回ありその後も5月6月と続きますのでどんな花が咲き実がつくまでが楽しみになってきました。散歩中でも立ち止まってはこれは何かなと名前が出てくると些細なことですが嬉しいものです。

ものの芽の伸び行くさまを見守りぬ



ゆいの花公園の今

2022-03-25 06:20:32 | 日記

コブシ

コブシ

シモクレン

ケイオウザクラ

コヒガンザクラ

サクラヨウコウ

シュゼンジカンザクラ

ボケ

トサミズキ

ヒュウガミズキ

アカバナキブシ

ゲンカイツツジ

そろそろ早咲きの桜が見られるかしらと昨日3月24日に行ってきました。シュゼンジカンザクラは終わりに近かったのですがコヒガンザクラが今は満開でした。
昨年植えたばかりの2本あるケイオウザクラに今年は花芽が付いていて花弁がわずかに残っていたのには驚きでした。早めに咲く桜だったのですね。
桜はオオヤマザクラやセンリコウはじめいろいろ植えているのでそれらの開花が待たれます。
ハクモクレンは終わってしまいましたがこぶしの花は綺麗に咲いていました。
マグノリアの大木の蕾が開きかけていましたし、ほかにもマグノリア系があり楽しみな公園です。また来週にも訪ねてみましょう。

さくら満ち前撮りの子のランドセル

和太鼓の公演 松戸21世紀の森と広場

2022-03-21 15:15:55 | 日記

松戸つづみ連





大江戸助六流太鼓菖友会





小金原9丁目太鼓







関東やまと太鼓









八千代高校鼓組








3月21日(月)松戸市の21世紀の森と広場において9時半から和太鼓の野外公演がありました。まずまずの天気に恵まれて大勢の人が千駄堀池ほとりの特設会場に集まりました。
「松戸集まるしぇ」は3月19日からはじまっていて今日は3日間の最後の日となりました。昨年も一昨年もコロナ感染症拡大のために開かれなかったので久々の行事開催で嬉しい一日になりました。
9:30から15:30までありますが午前の部のみ見せてもらいました。地元の町会の子供たちの勇ましい姿にも感動しました。

強き手拍打ち込み響く春の日に


梅の香漂う水戸弘道館 水戸城本丸跡地 Ⅱ

2022-03-16 11:10:37 | 日記

冠木門 三の丸小学校

三の丸小学校の巨木 昔は塀がなかった

要石 斉昭自詠の和歌

要石歌碑



八掛堂 建学精神を刻んだ弘道館記碑が納められている

水戸城跡の大シイ



茨城県立水戸第一高等学校 水戸城本丸跡に建つている校舎

薬医門

水戸城は水戸駅の北側に隣接する丘陵に築城された連郭式平山城で、北部を流れる那珂川と南部に広がっていた千波湖を天然の堀としていました。。台地東端の下の丸(東二の丸)から西に向かって本丸、二の丸、三の丸があり、それぞれが空堀で仕切られていました。
弘道館散策ルート(1.5キロ)、水戸城散策ルート(1,5キロ)を歩いたのですが弘道館は水戸城三の丸に創設された藩校です。
弘道館の散策ルートの一番初めは水戸市立三ノ丸小学校で現在小学校が建っている所は、もともとは弘道館の敷地で水戸城の跡地でもあり、校舎は城をイメージしたデザインとなっていました。
明治25年に水戸高等小学校として創立され、水戸市の中心街に位置する小学校として独自の歴史や伝統、文化を育んできたそうでが散策初めに目についたのは学校敷地にある冠木門でした。
案内役のご主人様は70年近く前にここで学んでいて今でも校歌は忘れていないとか。校庭には巨木が何本もあり昔はこの木に登ったと思い出を語ってくれたそうですが。
弘道館の敷地の中で自由に遊んでいたとは何とものんびりした時代でしたね。
ぐるっと一回りした後は大手橋を渡って二の丸跡地にある茨城大学教育学部附属小学校・附属幼稚園を見ながら、水戸彰考館跡の二の丸展示館で管内の展示物を見ました。藩主の御殿は水戸城二の丸にあったそうです。さらに茨城県立水戸第三高等学校を右に見ながら水戸城跡の大シイの木もしばし眺めました。そこから本城橋を渡り水戸城本丸跡へ。ここの空堀の下は今はJR水郡線が走っています。水戸城本丸跡地には水戸一高(旧制水戸中学)がありました。1878年創立の茨城師範学校を祖とする伝統校で、敷地内には水戸城薬医門が移設されていました。
茨城師範学校はあのクラーク博士が開設した札幌農学校の第一期卒であった渡瀬寅次郎が1885年(明治18年)から3年間校長を務めていたそうですから昔から教育熱心な校風だったのでしょうね。
私の祖父も明治38年にここを卒業しています。体験記によると毎日赤塚の家から8キロメートルを歩いて通学していたそうで昔の人はすごいなあと感心するばかりです。
薬医門は建立年代を特定する資料は発見されていませんが、安土桃山時代末期、佐竹氏が水戸城にいた時期に建てられたものと考えられ、1981年に本丸跡地に移築復元されました。

斉昭の愛でし梅林皆で愛で