和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

青森駅周辺の散策を楽しんで ねぷた館

2024-10-28 08:44:32 | 日記

八甲田丸

ねぷた館













ここからは新青森駅構内で






八甲田山のロープウェー下山後は3時に予約しておいたタクシーに乗り今度は青森駅に向かいました。
車中は道中の観光案内もかねて次回は訪ねてみたい場所を紹介してくれました。
今日は岩木山はすそ野しか見えませんがこの時期はリンゴの赤い色と岩木山が青空に映え素晴らしいとのこと。
随分前のことにはなりますが岩木山とリンゴの花を撮影したいと願ったことを思い出し次回の計画に入れてみましょう。
十和田湖の蔦沼の朝の紅葉撮影がテレビで放映されてから観光客が殺到し早朝蔦沼の駐車場はその時だけ¥2000に
なる話など聞いて驚きました。しかも今は80台までと予約制だそうです。蔦温泉宿泊客は論外です。
青森駅まで送ってもらってタクシーを降りました。係留されている八甲田丸を遠くから眺めました。船内は見学せずに。
青函連絡船は1988年(昭和63年)まで80年間にわたり、青森港と函館港を結び、1億6千万人の乗客と2億5千万トンの
貨物を運びました。
航行距離は8千万キロ、地球を2,019周分に当たるそうです。
青函連絡船最大の魅力は貨物車両を搭載する「車両甲板」であり、鉄道車両が船を通じて海を渡ることは世界的にも大変珍
しい事ですよね。
日本の鉄道史に名を連ね、日本の経済発展に大きく貢献してきた青函連絡船は青森市のシンボルであり、歴代55隻中「八甲田丸
(八甲田山系と睡蓮沼がシンボルマーク)」という、23年7ヶ月と現役期間が一番長かった船をほぼ就航当時の状態に係留保存
されされていました。
駅前の複合施設エーファクトリーでは青森の土産品が並んでいました。若者が多かったのには驚きでしたが、フードコートで
タルトタタンや、アップルパイなどを買ってコーヒーで疲れをとりました。
ねぶたの展示も楽しかったです。
青森駅からは在来線で新青森駅まで行き充実した一日を過ごして大宮まで日帰りで帰ってきました。

秋麗リンゴタルトの品定め


八甲田山ロープウェーに乗り日帰りの旅を楽しみました

2024-10-22 09:59:23 | 日記

ロープウェーの中から見る景色の紅葉が一番でした。

10月8日







山頂

歩くコースの案内板





草紅葉







マイズルソウ

ヤブコウジ

ホソバノヤマハハコ





草紅葉



毛無袋が霧で見え隠れしていました


先日大人の休日切符で新幹線新青森駅からタクシーを予約しておいて、一時間足らずで八甲田山ロープウェー下まで
送ってもらいました。
八甲田山の北西麓に架かるロープウェーで山麓駅から八甲田連峰田茂萢[たもやち]岳にある山頂公園駅まで、
約650mの標高差を10分で移動します。約100人乗りのゴンドラ内からは、春の新緑、秋の紅葉、冬の樹氷などが
楽しめます。
今日は10月8日です。15分おきに出るロープウェーは平日でしたから混んではいませんでした。
このロープウェーは強風が吹くと運行しないので完全紅葉には少し早かったのですが運が良かったです。
クマによる人的被害が相次いだことを受け、八甲田山では、登山道が閉鎖されていたので先月9月21日、全ての規制が
解除されました。
ロープウェーの中からはブナやナラ、ダケカンバなどの木々が赤や黄に色づき、美しいコントラストを楽しめました。
時折流れる霧に見え隠れする山々、山頂に着いた頃には一面のガスが辺りに漂い始めたので待合室で駅弁を食べて待ちました。
30分ぐらい過ぎたころに青空が見えてきたので30分の遊歩道コースを選び歩き始めました。15分ぐらい歩き始めたころ山道は
ぬかるみはじめ坂道にもなっているので滑りそうで怖かったです。
そういえばレンタルで長靴が沢山用意されていたことを今頃思い出して少し後悔しながら。
前進あるのみと力いっぱ笹の葉をつかんで転ばないように滑らないように慎重に歩きましたが途中で引き返した方々もいたほどです。
ぬかるみは15分ぐらいはあったでしょうかそれ過ぎたあたりでやっと木道のある展望台への表示が出てきました。
ここからは毛無袋の草紅葉が見られました。30分のコースでしたがのんびり1時間以上もかけて楽しみながらあるきました。
20年近く前には八甲田山ロープウェーを降りてから草紅葉の毛無袋を三脚を担いで写真を撮りながら酸ヶ湯まで歩いたこと、8年前の
10月25日では山頂はすでに積雪があり紅葉は完全に終わっていたことを思い出しながら、今回が3度目の八甲田山でした。


ゴンドラの視界遮る霧はやし

信州小諸 布引観音に伝わる「牛にひかれて善光寺」

2024-10-19 11:18:56 | 日記






小諸城址公園を見た後はタクシーで初めて布引観音を訪ねました。
小諸駅の西よりにある行基創建という天台宗の名刹で断崖絶壁にかかる観音堂に安置されているのが、
牛に化身して、強欲な婆さまを長野善光寺に連れていったという布引観音様です。
 「牛にひかれて善光寺参り」とは布引山釈尊寺に伝わる縁起書にある幻牛伝説で、むかし信心を持たない
おばあさんが、自分が干していた布を角にひっかけ走り去る牛(観音様)を追いかけ、気が付くと長野の
善光寺までたどり着いたことから観音様の導きだったと悟り、今までの欲張りで意地悪な心を悔い改めた
と伝えられているそうです。
桜・紅葉の名所と知られる信州の古刹. 長野県内に広がる巡礼地「信濃三十三霊場」の第29番札所になって
いるだけあり家族連れ3人と青年の合計4人の方と出会いました。
境内には樹齢はわからないのですが桜の大木もあり咲いたら見事でしょう。

布引観音は臨時駐車場からは近いですと書いてあったのでそちらに行ってくれるようにタクシーに頼みました。
60歳を超えた女性ドライバーさんがあんな急坂を降りていくお寺に行くんですか?大変ですよと?
私たち4人の年齢を見ての最初からの脅かし・・・
そんなに大変ならと私はカメラは置いていくことにしました。。 現場について歩き始めたらなんてことはなし。
いつもの山道で旅慣れている私達には簡単なこと。10分もかからずに目的の場所の断崖に立つ清々しい観音舞台へ。
写真はスマホで撮った3枚のみです。

秋気満つ急坂下る友四人

小諸城址公園 懐古園散策

2024-10-15 08:05:08 | 日記

大手門



満開で良い香りがしました  金木犀

三之門

扁額は徳川家達筆

慶長5年(1600年)天下分け目の決戦「関ヶ原の戦い」に向かうべく、東軍の軍勢3万8千を率いて徳川秀忠が
信州に入ると小諸城主・仙石秀久は、秀忠を小諸城の二の丸に本陣を構え迎えました。二の丸は、北西に西軍の
真田昌幸・幸村の居城・上田城方面を見渡す場所だったとか



黒門橋の谷の下には紅葉の木があり色ずいた時は見事な景観に

500年のケヤキ 



小諸八重紅枝垂れ 小諸の固有種とか

野木積 のづらづみ 自然の石を加工せずに、そのままの形で積み上げていく方法です。
石垣が造られ始めた頃の手法に、野面積みが使われていたそうです

幕末の書家、佐々木如水筆

藤村記念館

懐古神社

小諸義塾創設者の木村熊二の記念碑



島崎藤村 惜別の歌歌碑

小海線ハイレールの旅の終着駅は小諸駅でした。 ここではかねて小諸観光案内所に無料のガイドをお願いしていたので駅構内で
案内人の出迎えを受けました。重たい荷物は観光課に預けて身軽になって歩き始めました。
小諸城は、1487(長享元)年に大井光忠によって築城された鍋蓋城が原形とされ、豊臣秀吉の天下統一を機に小諸城主となった
仙石秀久により完成された城です。城下町より低い位置に城を築いた穴城は全国でも珍しくまずは小諸城大手門を訪ねました。
入母屋造、本瓦葺の豪壮な構えが特徴で弘前城の追手門と並び東日本を代表する大手門だそうです。
小諸城の正面玄関として400年間ここにたたずむとかで見事な構えに圧倒されました。二階に部屋があり覘かせてもらいました。
次に小海線の線路をくぐり坂道を下って小諸城へ。ここは全国でも珍しい「穴城」と呼ばれています。
小諸城はその城郭が城下町よりも低い場所に位置する「穴城(あなじろ)」であり小諸の地勢を存分に活用した天然の要塞としての
面白さを、今なお存分に味わうことができるとの説明を受けました。
明治4年(1872年)の廃藩置県で小諸城は役割を終え、明治13年(1880年)に城郭は小諸藩旧士族へ払い下げられ、旧士族により
本丸跡に懐古神社が祀られ、「懐古園」と名付けられたそうです。
島崎藤村は明治32(1899)年、東京での学生時代の恩師であった木村熊二氏(小諸義塾塾長)の勧めにより、小諸義塾の英語
・国語教師として赴任したのは、藤村27歳(数えで28歳)の頃。
以降小諸で過ごした7年間に「雲」「千曲川のスケッチ」「楽梅集」などが生まれたそうです。おおいに勉強になりました。

案内ガイドは2時間の約束でしたがアイパッドで難しい漢字や言葉はすべてそれで説明を受けて大変解りやすく勉強になりました。
約束の時間を過ぎても色々な質問に詳しく答えていただき小諸義塾記念館前の「惜別の歌碑」の前では私たちのリクエストに応えて
惜別の歌を口ずさんでもくれました。藤村ロマンに漂う信濃の名城懐古園を心ゆくまで堪能出来て大感謝でした。

秋澄むや四百年の大手門


小海線 ハイレールに乗って

2024-10-11 07:03:51 | 日記

ハイレール









ハイレール1号車

ハイレール2号車





食後にコーヒーも。売店あり



野辺山駅舎

駅にあるドームで星空体験






長いこと念願であった小海線を走る観光列車ハイレールの予約が取れて10月5日に乗ることが出来ました。
JR線で標高が一番高い地点を走る小海線(八ヶ岳高原線)の観光列車が、中央本線小淵沢(こぶちざわ)駅と、
しなの鉄道線と接続する小諸(こもろ)駅を結ぶ「HIGH RAIL(ハイレール) 1375
新宿を8:00発のあずさ5号に乗り込み小淵沢着が9:53着でした。ハイレールの出発時間が10:39分
なので小淵沢の駅の外に出てみると思っていたより小さな駅でしたね。
当日の10月5日は小海線開業120周年、北杜市制20周年記念イベントが駅で開かれていました。記念品
なども頂きました。今日の記念イベントに発売する特別なお弁当を買うために並んでいる長蛇の列は10時半
から売り出すとのこと。其れでは発車に間に合わず諦めて一番人気のお弁当を購入。ここ小淵沢は駅弁発祥の地
でもあり、以前「元気甲斐」というお弁当が売り出されたとき何回か購入した懐かしい思い出があります。

2両編成の特別列車の座席は色々あり、友人4人と出かけたので窓側に外に面して座る2人席を購入しました。
窓側に向いて座る一人席も7席ありました。この変わった座席のあるのは1号車で2号車は2人がけ、1人がけで
普通の並び方です、予約するなら1号車が楽しいと思いました
途中野辺山駅では20分停車し駅の外にも出て、高原の空気を胸いっぱい吸い込みました。  ここ野辺山駅は
JR線の中では標高1345.67mと、一番高い場所に位置すること、電波望遠鏡がある国立天文台が近くにあること
などから、宇宙にいちばん近い駅として有名だそうです。次回来る時は清里高原や野辺山高原でも下車する旅をと。

ほぼ収穫の終わった高原レタス、キャベツ畑を見て、蛇行する千曲川の流れも眺めながら終点小諸駅には12:53分
に着きました。今日は曇り空なので遠くの山々ははっきりとは見えませんでしたが快適な小海線ハイレール体験でした。

日々好日旅程を練りし星月夜


すっかり忘れていたのでふもとの駅弁「元気甲斐」を調べてみると
1985年、小淵沢名物駅弁「元気甲斐」、テレビ朝日「探検レストラン」の企画で誕生いたしました。
経木折詰の二段重ねで、京都と東京の人気料亭が知恵を絞った東西の味比べが楽しめる「元気甲斐」。
高級料亭の味を持ち込んだ駅弁の決定版として爆発的な人気を博し、多くの人に愛されてきた全国の名物お弁当の
ロングセラー商品。ネーミング岩永嘉弘、包みのイラスト安西水丸、ディレクション山本益博など豪華な顔ぶれが
担当するなど味以外の楽しみも盛り沢山。
上下2段に14品目のおかずを詰め込んだ駅弁は話題を呼び、発売当日には3000人以上が訪れ、新聞に「駅弁騒動」と
まで書かれるほどでした。
それまで小淵沢の駅弁は1日80食から150食程度の売上でしたが、このときは2500食を完売。遠く岡山や仙台から来た
人々の中には「元気甲斐」にありつけず帰った人もいたとか。その後も人気は続き、『時刻表2万キロ』などで知られる
紀行作家の宮脇俊三さんも、この駅弁が大のお気に入りだったそうです。