【沖縄戦の特徴】
1. 全島要塞化
○ 住民総動員―飛行場建設や陣地壕づくり
○ 「一木一草といえどもこれを戦力化すべし」
2. 戦略持久作戦
○ 本土上陸を遅らせる時間稼ぎの作戦、捨て石
3. 軍民混在の戦場
○ 日本兵による壕追い出し、食糧強奪
○ 砲弾は軍人と住民を区別しない。
4. 住民虐殺
○ 「軍人軍属を問わず標準語以外の使用を禁ず。沖縄語を以て談話
しある者は間謀とみなし処分す」
○ スパイ嫌疑により虐殺
(赤松事件、今帰仁事件、本部校長事件など)
5. 集団自決
○ 壕追い出しと避難拒否、投降阻止
○ 日本軍の駐屯-座間味、慶良間、読谷、沖縄市、南部など
6. 米軍支配の長期化
海軍次官宛、大田実海軍少将発
1945.6.6.夜打電 ※文章の乱れている部分は受信状況不良による
左ノ電文ヲ次官二御通報方取計得度
沖縄県民ノ実情二関シテハ県知事ヨリ報告セラルヘキモ 県ニハ既二通
信力ナク第三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルニ付 本職県知事ノ
依頼ヲ 受ケタルニ非サレトモ現状ヲ看過スルニ忍ヒス 之二代ッテ緊急
御通知申上ク
沖縄島二敵攻略ノ開始以来陸海軍方面防衛戦闘二専念シ 県民二関シテ
ハ殆卜顧ミル暇ナカリキ 然レトモ本職ノ知レル範囲二於テハ 県民ハ青
壮年ノ全部ヲ防衛召集二捧ケ 老幼婦女子ノミカ相ツク砲爆撃二家家屋ト
財産ノ全部ヲ焼却セラレ 僅二身ヲ以テ軍ノ作戦二差支ナキ場所ノ小防空
壕二避難 砲爆下‥‥風雨二曝サレツツ 乏シキ生活二甘ンシアリタリ
而モ若キ婦人ハ率先軍二身ヲ捧ケ看護炊事婦ハモトヨリ 砲弾運ヒ挺身
斬込隊スラ申出ルモノアリ 所詮敵来リナハ老人子供は殺サルヘク 婦女
子ハ後方ニ運ヒ去ラレテ毒牙に供セラルヘシトテ 親子別レ娘ヲ軍衛門ニ
捨ツル親アリ
看護婦こ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既二出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケ
テ‥‥真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノト思ハレス
更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ自給自足 夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住
民地区ヲ指定セラレ 輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ 之
ヲ要スルニ陸海軍沖縄ニ進駐以来終始一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレ
テ御奉公ノ‥‥ヲ胸二抱キツツ遂ニ‥‥コトナクシテ 本戦闘ノ末期卜沖
縄島実情形‥‥一木一草焦土卜化セシ 糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト
謂フ
沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民二対シ後世特別ノ御高配賜ラレンコトヲ
(注) 太田少将の「訣別の辞」といってもよい電報です。
皇国、天皇陛下ほか軍国用語が一語もないことにご注目ください。
一週間後の1945.6.13.洞窟壕内で幕僚とともに自殺。
昭和五十五年十月二十五日、那覇市企画部市史編集室編集・発行の「今、平和のために――戦災・空襲を記録する会全国連絡会議第十回記念那覇大会報告書」のなかに大田実少将の長男大田英雄氏の文がおさめられているので引用させていただく。この報告書は那覇市史だより第16、17、18号合併特別号として編集されたもので、八月一、二、三日の三日間開かれた大会の記録である。
今こそ戦争と軍隊の本質を明らかに 1980年8月
大田英雄(大田實少将長男)
第一日、我物顔に空に立つ那覇空港のナイキに驚く。三度目の訪沖だ
が、自衛隊の進出ぶりに心が痛む。
父の墓参をと、まず海軍壕へ。ここでも父の「県民に後世特別の高配
あらんことを」の打電の真意がスリかえられ、自衛隊の沖縄での「市民権
獲得」のために利用されている思いが露骨に伝わりむしろ不快にすらな
る。
「県民への国家補償と、平和で豊かな島への具体的で抜本的な施策」
こそ、「後世特別な高配」になるのではないのか。訪沖の度にその想い願
いは強まる一方である。 ―― 以下、略 ――
10.小禄の戦い
【沖縄語はスパイ語】 P197
海軍の大田電報に対して、陸軍の場合はどうか。1944年(昭和19年)8月、渡辺正夫中将のあとを継いだ第32軍司令官牛島満中将は8月31日、兵団長会同を開き次のような訓示を出した。
第32軍司令官 牛島満陸軍中将 訓示
1944.8.31. 於. 第32軍兵団長会同
国歩漸ク難キノ秋トキ死生ヲ偕トモニスヘキ兵団長ト一同ニ会シ其ノ
雄風ニ接シテ所懐を開陳スルノ機ヲ得タルハ本職ノ寔マコトニ本懐トス
ル所ナリ 嚢サキニ本職は雲立ツ大内山ニ召サレ乏シキヲ軍統率ノ重責
ヲ享ウク 恐懼感激何ヲ以テカ之ニ替ヘン
惟フニ曠古コウコの危局に直面セル皇国カ驕米ヲ撃滅シテ狂瀾ヲ既倒
ニ回スヘキ天機ハ今ヤ目睫ノ間ニ在リ 而シテ軍ノ屯スル南西ノ地タル
正ニ其の運命ヲ決スヘキ決戦会戦場タルノ公算極メテ大ニシテ実に皇国
ノ荒廃ヲ双肩ニ負荷シアル要位ニ在リ 仍スナハチ本職深ク決スル所ア
リ
恭シク明勅を奉シ慎ミテ前官の偉蹝イショウヲ踏ミ堅ク部下将兵の
忠勇ニ信倚シンイシ荘厳ニシテ雄渾ナル会戦ヲ断行シ誓テ完勝街道ヲ驀
進シテ聖旨ニ対コタヘ奉ランコトヲ期ス
之カ為茲ニ本職統率の大綱を披歴シテ要望スル所アラントス
第一「森厳ナル軍紀ノ下鉄石ノ団結ヲ固成スヘシ
常住坐臥常ニ勅諭を奉体シ之カ具現ニ邁進スヘシ
特ニ上下相共ニ礼譲ヲ守リ隊長ヲ中心トシテ融々ユウユウ和楽ノ間明
朗闊達戦闘苛烈ヲ極ムルモ一糸乱レサル鞏固キョウコナル団結ヲ固成ス
ヘシ 然レトモ非違アラハ断乎之カ芟除サンジョニ些カノ躊躇アルヘカ
ラス
第二「敢闘精神ヲ発揚スヘシ」
深刻ナル敵愾心ヲ湧起シテ常在戦場ノ矜持ノ下作戦準備ニ邁進シ以テ
必勝ノ信念ヲ固メ敵ノ来攻ニ方アタリテハ戦闘惨烈ノ極所ニ至ルモ最後
ノ一兵ニ至ル迄敢闘精神ヲ堅持シ泰然トシテ敵ノ撃滅ニ任セサルヘカラ
ス
第三「速カニ戦備ヲ整ヘ且訓練ヲ整へ且訓練ニ徹底シ断シテ不覚ヲ取
ルヘカラス」
敵ノ奇襲に対シ備へツツ築城ノ重点主義ニ徹シ時日之ヲ許サハ之ヲ普
遍化シ難攻不落ノ要塞タラシムルト共ニ訓練ヲ精倒ニシテ精強無比ノ鋼
鉄軍タラシメ以テ敵ノ奇正両様ノ猛攻ニ遇フトモ断乎之ヲ撃滅スルヲ要
ス
第四「海軍航空及船舶ト緊密ナル協同連繋ヲ保持スヘシ」
今次作戦ノ成否ハ陸海空船四者ノ協同ニ懸ルコト極メテ大ナリ 宜シ
ク進テ関係部隊ト連絡シ特ニ精神的連繋ヲ保持シ之カ統合戦力ノ発揮ニ
勉ムヘシ
第五「現地自活ニ徹スヘシ」
極力資材ノ節用増産貯蔵等ニ努ムルト共ニ創意工夫ヲ加ヘテ現地物資
ヲ活用シ一木一草ト雖イエドも之ヲ戦力化スヘシ
第六「地方官民ヲシテ喜ンテ軍ノ作戦ニ寄与シ進テ郷土ヲ防衛スル如
ク指導スヘシ」
之カ為懇ネンゴロニ地方官民ヲ指導シ軍ノ作戦準備ニ協力セシムルト
共ニ敵ノ来攻ニ方アタリテハ軍ノ作戦ヲ阻碍セサルノミナラス進テ戦力
増強ニ寄与シテ郷土ヲ防衛セシムル如ク指導スヘシ
第七「防諜ニ厳ニ注意スヘシ」
右訓示ス
尚細部ニ関シテハ軍参謀長ヲシテ指示セシム
昭和十九年八月三十一日
軍司令官 牛島 満
「第七」の防諜は戦時とあれば当然だが、四月九日第三十二軍司令部が発した命令書「球軍会報」の第五項には「爾今軍人軍属ヲ問ハズ標準語以外ノ使用ヲ禁ズ。沖縄語ヲ以テ談話アル者ハ間諜トミナシ処分ス」とある。
以下、元沖縄守備三十二軍参謀大佐・八原博通氏の著書「沖縄決戦」の「住民対策」の項から引用です。 →→ ―『沖縄・八十四日の戦い P200 』から転載――
津嘉山から摩文仁に至る途中のいたましい避難民の印象は、今なお脳裡に鮮明である。
各方面の情報を総合するに、首里戦線の後方地域には土着した住民のほか、軍の指示に従い、首里地域から避難してきた者が多数あることは確実である。これら難民を、再びここで地獄の苦しみに陥れ、戦いの犠牲とするのは真に忍び得ない。
軍が退却の方針を決めたさい、戦場外になると予想される知念方面への避難は、一応指示してあるはずだった。しかし同方面に行けば敵手に入ることは明瞭だ。今やそのようなことに拘泥すべきときではない。彼らは避難民なのだ。敵の占領地域内にいる島の北半部住民と同様、目をつむって敵に委するほかはない。
そして彼らへの餞はなむけとして知念地区に残置してある混成旅団の糧秣被服の自由使用を許可すべきである。軍司令官は、この案を直ちに決裁された。
指令は隷下各部隊、警察機関――新井県警察部長は、首里戦線末期においても、今なお四百名の警察官を掌握していた。住民の保護指導のために、特に軍への召集を免除されていた。――鉄血義勇隊の宣伝班、さらに壕内隣組等の手を経て、一般住民に伝達された。戦場忽忙の間、この指令は各機関の努力にかかわらず、十分に徹底しなかった憾うらみがある。