■■羽田雄一郎参院議員、コロナで急死 53歳
もう皆さまご存じのように、ショッキングなコロナ急死のニュースが伝えられました。
もう皆さまご存じのように、ショッキングなコロナ急死のニュースが伝えられました。
羽田雄一郎立憲民主党参院幹事長(53歳)が12月27日、秘書運転の乗用車で午後3時45分予約のPCR検査を受けるために自宅を出て、その車中で急に意識を失い、秘書が救急車を呼んで東大付属病院に搬送されました。午後4時34分死亡確認。
羽田雄一郎参院議員は羽田孜元首相の子息。1999年10月長野県参院補欠選挙で初当選。以後参院連続当選。羽田氏死去までの経過は下の通りです。
12月22日 立憲民主党常任幹事会に出席
23日 日帰りで長野市へ 長野県連常任幹事会に出席
24日午前 秘書を通じて国会内診療所に連絡――近縁の人に陽性者が出た
のでPCR検査を受けたい。
診療所は検査を受けられる病院リストを羽田議員事務所にファ
ックス送付。
24日深夜 発熱38・6度
25日朝 熱下がる36・5度 PCR検査27日午後3時45分に予約
25日夜 再び熱上がる38・3度 自宅静養
26日朝 熱37・5度
26日夜 熱38・2度 自宅静養
27日朝 熱36・1度
27日午後 秘書運転の乗用車で午後3時45分のPCR検査を受けるため自宅
を出る。車中で息が荒くなり「肺炎かな」と言い残して意識喪
失。すぐに秘書が救急車を呼ぶ。
27日午後4時34分 搬送先東大付属病院で死亡確認、コロナ感染死後確認
■■神奈川県の五十代男性、コロナ軽症診断でホテル療養中に急死
12月 4日 発熱
12月 8日 陽性判明
12月 9日 ホテル宿泊始める
神奈川県は無料通信アプリLINE(ライン)で健康観察を実施
パルスオキシメーターを渡して本人が計測し報告していた。
9日~11日、本人報告のパルスオキシメーター数値は医師診断要
の基準を下回ることがあったが上回ることもあったので医師の
診断をしていなかった。
12月11日午後3時 予定されていた本人報告なし
看護師らが計7回連絡したが応答なし
12月11日午後8時 心肺停止状態であおむけにたおれているのを発見
搬送先病院で死亡確認
■コロナをもっと恐れよう それがコロナ禍を遠ざける
これまで、死亡された方のケースを見ていると病状の進行が早く、1週間前後で亡くなっています。
私は湿性肋膜で入院3ヵ月自宅療養3ヵ月の病気体験と、膀胱がん切除手術の経験があります。この経験からすると、コロナで中等症と呼んでいるのは重症だなと思います。コロナで重症と呼んでいるのは危篤状態に等しいと思っています。
コロナではこれまでにも自宅待機死が出ています。中国で猛威をふるっていた時期には医師・看護師も多数亡くなられたと聞きます。
17世紀ロンドンのペスト流行の記録を読めば恐ろしくなります。1918年スペイン風邪の記録は時代が近い分、より恐ろしさを身近に感じます。
西日本では、鳥インフルエンザが各地に飛び火しています。私の住む奈良県でも鳥インフルエンザのために殺処分が行われました。
鳥インフルエンザは今のところヒトに感染した例はしごく稀です。しかしこれまでの感染史から見て、いずれ種の壁を越えて、鳥インフエンザがヒト→ヒト感染へ拡大するときが来ると感染医学関係者は恐れています。
SARS、MARSの次にやってきたCovid-19。これから後の時代にも新型、新々型、新新々型と、ほぼ十年前後を経て新種感染症の世界的流行があるのではないでしょうか。
昔から伝染病は都市から田舎へ広がっています。人が集まるところで感染が広がり、それが人の移動によって各地、各国に広がっていくという原則は歴史によって証明されています。
■国政中枢の政治家にお願いする
■2021年の目標を東京オリンピックに賭けないで
■国民ひとりひとりの健康と生活支援に尽くしてほしい
自然の猛威には基本的に勝つことができません。技術的な対策で被害をやわらげたり避けたりすることをできることもありますが、基本的には自然の猛威に逆らわないような生き方をするのがいちばんです。
今のコロナについては、マスク、手洗い、人混みを避けるのがいちばんいい。
私は1982年(昭和57年)の奈良県王寺町周辺の水害の三日続き降雨と氾濫の経緯をまじかに見て、自然の猛威に逆らわない生活が大切だと学びました。私自身の居住地は被災地域ではなかったのですが。
羽田雄一郎参院議員のコロナ急死が国政中枢の政治家・官僚たちへの警鐘となって、GoTo などはもっと自重して、コロナに勝ったなどと子どもだましのようなお祭りに賭けないで、国威というちっぽけな意地や見栄を東京オリンピックに賭けないで、国民の健康と生活支援に専念してほしい。今はそういう時ではありませんか。
国民ひとりひとりの健康維持と生活支援が第一で、事業支援は二の次です。コロナ禍が過ぎれば、人々の生活需要が時を経るにしたがって伸びていき、そういう社会生活に対応できる事業が活発になっていきます。生きている一人一人の人間第一。事業そのものは生きている人間ではありません。事業は際限なく金を求めるロボットにすぎません。人間こそ大切なれ。