◇「戦争のやり方」は軽々しく話せない
「専守防衛」についての考えを問われました。「戦争のやり方」について私は話すことを好みません。その内容が人殺しのやり方に関わること(殺す側か殺される側のどちらであっても)ですから、自分自身あまりいい気分がしません。そのうえ、きわめて専門的技術的な知識と情報を要する事柄で、しろうとの見方を軽々しくまきちらしていいものだろうかとも思います。
◇どちらかの先制攻撃で始まる
こういう前提でお話します。現代の戦争は、核攻撃、ミサイル攻撃、航空機攻撃、特殊部隊攻撃のいずれか一つ、または組み合わせで開始されると思います。日本は海に囲まれていますので、戦車部隊の突進はありません。
第一撃の対象は、相手国のレーダーサイト、ミサイル基地、航空基地、原子力施設、電力・ガス・水道等供給施設、放送施設などが考えられます。戦闘が自国領土内で行われる場合には、敵味方入り乱れますから、自国軍の攻撃の犠牲になる自国民も多く出ます。
作戦技術として「先制攻撃」がもっとも重視されます。どこの軍隊でも、どの戦闘部隊でも、自軍の攻撃準備を整えて、あるいは攻撃準備が整うならば、常に先制攻撃をしようとします。「攻撃は最大の防御」です。
◇戦争好きな人たちの理屈-ヤラレルのを待つか?
戦争がまだ起きていないとき、どこかの国ともめごとが起きて、「いつ始まるか、いつ始めるか」と当事国が神経をすり減らしているときに、「もうアブナイ、いつヤラレルかわからない」とせっぱつまったらどうするのか。先制攻撃を受けて自国民に犠牲者がでるまで、一方的にヤラレルのを待つのが正しいのか。これが「専守防衛」に関わって、戦争好きな人たちが設定する課題です。
◇戦争は「正義」によって始まる
あらゆる戦争は、当事国の一国が国際社会に訴える正義の大義名分を掲げて攻撃発起することによって始まります。それは戦争開始国一国であったり、その周辺国を含む一定の圏域であったりしますが、必ず「平和と安全」とか「繁栄」などの名目を立てて、「やむを得ず」戦争を始めます。相手国が自国の利益を阻んでいるとか、やり方が気に入らないとかの理由で戦争を始める国はありません。
◇「先制攻撃」を認めれば際限がない
自国防衛のための手段として「先制攻撃」を認めるならば、戦争についての歯止めがありません。その国のリーダー層が辛抱しきれなくなったら、そこへ国民が「その通りその通り」とはやし立てれば、「ええい、一丁やったるか」と戦争を始めることになります。一国のリーダーは、たとえ美辞麗句を連ねていても、最後の土壇場では「ええい、一丁やったるか」と不安と恐怖心にさいなまれる自分を励まして戦争を始めます。
◇石にかじりついても「専守防衛」
だから何が何でも「専守防衛」一本で行くというのが私の考えです。石にかじりついてでも「平和を守る」という強い意思を持っていかねばなりません。戦中に「平和」をしつこく話した人は牢獄に入りました。そんな時代にならないよう、機会に出会うごとに「平和」を強く主張していきたいと思っています。
戦争のことは、「もし私の息子が死んだら、盲目になって生き残ったら、脚がちぎれて生き残ったら」「それが夫なら、父なら」と自分個人の身回りに引き寄せて考えてみるのがいいと思います。このごろでは女性兵士も多いですから、娘さんも対象に入る時代になりました。女性兵士には陵辱という問題もついてまわります。
◇愚かな人たち-「敵はソ連」から「敵は北朝鮮、中国」へ
戦争好きな人はいつの時代にもいます。20年も前のこと、地元の青年会議所のメンバーがそろいもそろって「ソ連が攻めてきたらどうする」と議論していたことがありました。印象的で忘れられないできごとでした。青年会議所で、北方領土にからめて、ソ連が北海道に攻めてきたらどうするのかという講演をしたのです。攻めてくる前にソ連自体が崩壊してしまいましたが。
北朝鮮が攻めてきたらどうするのか。今はそんな話を得々とする人が増えました。そのうちに、中国と戦争になったらと言う人が増えてきそうな世間です。
◇勇ましい人、戦争好きな人、自衛隊に入ろう
軽々しくそんなことを言う人は自衛隊に入って持論を実行に移して、実際に国の守りについてください。自衛隊は私たちにとって必要なんです。自衛隊は人手不足です。働き場所はいくらでもあります。
自衛隊で勤務をすれば、実務につくことによって、戦争についての考え方も変わるでしょう。今よりは軽率な議論が減ります。
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