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法金剛院

2012-12-05 | 京都たびたび

京都、JR山陰線(嵯峨野線)、花園駅前の寺院。参拝者は私のほかに、植物観察している外人と日本人二人の男性だけ。

保育園児が10人くらい、モミジの葉を手で掬ってはばらまいて遊んでいた。京都ですねえ。初冬ですねぇ。

庭と池は1970年に発掘、整備されたとか。

秋も終わり。。。

境内のブッシュカン仏手柑。食用ではなく、皮の縦の亀裂を仏の手に見立てる。

裏山は五位山。景勝地で仁明天皇から五位のくらいをもらった山なんだそうで。京都は山だって偉い。

人がいません。静かです。来し方行く末を思い、しみじみするにはいい場所です。

この寺院の由来。

 


待賢門院亡き後に歌われた西行の歌

 

詞書

十月中の十日頃法金剛院の紅葉見けるに、上西門院おはしますよし聞きて、侍賢門院の御とき思い出でられて、兵衛殿の局にさしおかせける
 

紅葉みて 君が袂や しぐるらむ 昔の秋の 色をしたひて

詞書

待賢門院かくれさせおはしましにける御跡に、人々、又の年の御はてまでさぶらはれけるに、南おもての花ちりける頃、堀川の女房のもとへ申し送りける

尋ぬとも 風の伝にも 聞かじかし 花とちりにし 君が行くへを


 

陰暦の十月十日はちょうど今頃の季節。西行がこの地を訪れ、娘の上西門院の居ることを知り、召使の兵衛の局に歌を送ったということでしょうか。 

二番目の歌の堀川の局は兵衛の局の姉だそうで、やはり昔の思い出を語り合える人だったのでしょう。

西行は出家したけれど、この寺へ来て紅葉を見、また花の散るのを見て昔あこがれていた女性を追慕する歌を作ったんですね。うーーーむ、街角の何でもない寺院にこれだけの謂れがあろうとは。

待賢門院は二人の天皇の母だけれど、白河上皇なきあと高倉天皇の寵愛が別の女性に移り、権勢も次第に翳り、最後はこの地で没し、五位山中に陵墓があるそうです。

今年のNHK大河ドラマ「平清盛」にも登場した待賢門院と西行、しかし法金剛院では宣伝の類はいっさいやっていません。この品の良さと奥ゆかしさ。あちこちに「平清盛」ののぼりがはためくどこぞの県とは大違いです。

京都は何でもない街角に日本の歴史がいっぱい。千年の古都、侮りがたし。あすは宝厳院へと続きます。

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