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聚楽第の遺構

2012-12-26 | 日記

が先日発見され、現地説明会が24日にあったらしい。行きたかったなあ。場所の見当は大体つく。バスで堀川通りを北上して上長者町?で下りたらすぐのはず。でも新幹線で往復すると二万円以上もかかるので断念。

聚楽第は秀吉が京都に造った城郭。現在の西陣にあり、わずか8年で破却された。甥の秀次をいったんは後継者にしておきながら、自分に子供ができると謀反の疑いありと殺したその秀次の住んでいた城郭である。

戦国武将は気が荒い。そして晩年の秀吉は自分の寿命と競争するように、手荒なことを次々とやっていく。聚楽第の遺構は西本願寺などに一部残されているけれど、桃山風の優美な建築。全体はどんなの壮麗だったのかと思う。

聚楽第の全容を知るのは現在では不可能と言われていた。城の範囲が広いこと、上に街並みがあり、個人の家の下を掘ることはできないから。今回のように、たまたま公共施設の建て替えなどで深く掘り下げて一部が出てきたのは珍しいことではないかと思う。保存するそうで、まずはよかった。今度京都へ行くときには行ってみようかな。

聚楽第に関して思い出したけど、京都には太閤地蔵という大きな石仏が道端にある。場所は今出川通りと志賀越道の交差する場所、10年前、三男の住む部屋を一緒に探していて偶然出会った。うろ覚えの記憶だけど、確か平安時代頃から街道にあったのを秀吉が気に入って聚楽第に持って帰り、後にまた戻されたという話だったと思う。お地蔵様にとってはいい迷惑。

庶民の信仰の対象まで自分のものにするなんて、秀吉らしい。でも永遠に続く権力はあり得ず、それに比べて、お地蔵様の寿命の長いこと。

息子がよく遊ばせてもらった大学のサークルの建物も、建て替えるときに発掘調査したら、鎌倉時代初めころの寝殿造りの屋敷跡や庭の遺構が出てきたという。吉田泉殿町とかいう地名だったかな。屋敷はとうになくなっても地名に当時の風雅な記憶をとどめている。地名大切。

聚楽第も吉田の寝殿あとも詳細な調査報告書があるはず。どこで見られるんだろうか。見たいなあ。

写真は2007年10月。息子の車で高雄まで。今出川通りを西へ。仁和寺の前を通ります。

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忙中閑あり

2012-12-26 | 日記

先日と同じく桐壺院大喪(この字がいいかも)の行列。

making vide0によると、ロケ地は奈良の遷都1300年を記念して作られた公園とのこと。手前は朱雀門?クレーンの上から撮影していた。夜でないと要らんもんが見えて現代だと丸わかり。時代劇はいろいろ大変です。


午前中、台所の各部分を磨き、午後から外出。

某メーカーのタートールセーター、22日に買って3日目の昨日、ピリピリピリと気持ちいい音がして襟が半分くらい取れてしまった。びっくりして店に電話したら新しいのに交換してくれることになり、徒歩で出かける。

で、ついでに最近はやりのコンパクトな襟巻買ってしまった。表がタータン柄のフリース、裏は起毛素材。前をマジックテープで留めると、マフラー独特の邪魔になるビラビラがなく、使い心地がいい。後ろに行くにしたがってカーブして幅広。着物の襟足が寒いので重宝しそうです。

帰りに息子の高校時代の同窓生のお母さんとばったり会って、しばしの立ち話。お互いおばあちゃんになり、いろいろと近況報告。元気そうで何よりでした。今年もきょうを入れてあと六日、来年こそはこの国もいい感じになってほしいもの。

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