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沖縄旅行1日目・・・2

2019-07-29 | 旅行

7/23分後半。

さて、ちゅら海水族館の割引券求めて「おんな道の駅」へ行きます。

向いの墓地にびっくり。

立派です。別の日、農協で見本を展示していましたが、小さいので150万円くらいから、こちらだといくらでしょうか。

沖縄は所得水準が低いと言われていますが、なかなかどうして。物価も安いし、こんな立派なお墓もあるし、全国一律の基準では分からないこともあるようで。

沖縄中部の西海岸、東シナ海に突き出した残波岬に着きました。

車停めて灯台まで。茂っているのはクサトベラと言うそうです。

左側の色の違う海の縁はサンゴ礁?

アダン。パイナップルに似ていますが繊維が強く、おいしくないそうです。

木ですが名前は…?


今夜のお宿はオーベルジュ ボヌ シェール ラウーというところです。

名前が難しすぎて憶えられません_| ̄|○

道沿いですが、大きな看板もなく、迷いに迷ってたどり着いたのは別館、そこから電話すると隣のレストランからスタッフが現れました。何度もその前を通った店でした。

階段で三階へ。マンションをペンション風に改装したまあまあ広いお部屋。海も見えます。

6:45から食事です。食事はライトのコースでお願いしました。後で明細見たら、食事付き、朝食はついてない予約でした。夫の計画したスケジュールがタイトで、結局朝食抜きで出発しました。朝ごはん、宿で食べたかったなあ~ぐちぐち。

店内

店内

写真撮りましょうと勧められて…

めったに一緒の写真撮らないので気恥ずかしい。

乾杯してくださいって親切に言ってくれました。

気恥ずかしい。

こんなのやら

こんなのが。じゃがいものスープ、フォアグラ入り。

紫芋のパンもあったり・・・

お魚やら

デザートやら。とてもおいしいお料理でした。ごちそうさま。

沖縄でこんなおいしいものに出会えて感動です。

部屋に備え付けの雑誌にはこのレストランが紹介されていました。

南仏にいる錯覚って…南仏よりもうんとおいしいと思います。

ニース、エクサンプロバンス、コンク、アルビ、トゥールーズなどなどで食事いただきましたが、なかなかどうして。いえいえ、安いツアーだったので、本当はもっとおいしいのかもしれませんが。

沖縄は小さな県ですが観光客が多く、街から離れていてもこんなお店が成り立つのでしょう。私たちが終わるころ、常連さんらしい人も現れ始めました。

それからコンビニも多く、広島県の北部よりもうんと便利と思いました。何ごとも行かないと分からないことがあります。物価も安そうでした。

このお宿、お勧めです。夕食のみついた場合、一人一万円程度でした。が、名前が覚えにくいです。それもまた、わざわさ行く感じでいいのかもしれませんが。

コメント (2)
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「ふしぎな鉄道路線」 竹内正浩

2019-07-29 | 読書

旧国鉄宇品線跡 2010年

当時はまだ線路の面影あり。今はこの柵はなくなっています。


全国に張り巡らされたJRの路線、そこにあるのは当たり前すぎて、なぜそこにあるのか考えることもないけど、この本では資料を当たって、鉄道草創期の路線確定のいきさつを丁寧に解き明かしている。

私は普通程度にしか鉄道に興味がないけれど、それでも大変面白かった。

明治時代に作られた東海道本線、山陽本線、鹿児島本線などの主要路線も、初めは現在とは違う路線が計画されている。

原因は陸軍が主張する国防の必要から。山の中を通したい軍部と、工費、開業後の採算性から、人口の多い海岸線を通したい、当時は認可を受けた民間鉄道会社。その駆け引きが面白かった。

当時は工法も未熟、なるだけ急勾配を避けるはずが、山陽線の八本松と瀬野の間では100分の一の勾配と半径300メートルの曲線が連続する。

鉄道と並走する国道2号線もこの区間は勾配とカーブがきつく、住居もほとんどない区間。その昔、受験に付き添って来ていた友達のお母さんたち、「まあ、山の中ばかり通るので広島はどんな田舎かと思ったら、やっと街に着いた」と驚いていた。

山陽本線の原案のひとつとして、八本松付近から北へ行き、志和から三田村へ抜け、今の芸備線のルートで広島へ入るのがあったそうな。こちら勾配緩いそうだけど、びっくり。知らなかった。

工費が高くついて運賃が上がり、汽船との競争に負ける恐れから今の路線になったそうだけど、「瀬野八」と言われる山陽本線最大の難所、今でも西条と広島では、貨物列車に補助機関車を着脱するそうです。知らなかったーーー。

広島までの開業は1894年6月10日、続いて広島駅から港の宇品までの工事5.8キロが始まる。

7/30 測量開始。予定地の地権者が駅前の専立寺に集められ、市長(元広島藩勘定奉行)の説得を受け全員借り上げに応じる。

8/4 着工

8/5 測量終了

8/20 工事終了

とものすごいスビードで鉄道が整備されたことが分かります。

https://www.jacar.go.jp/jacarbl-fsjwar-j/smart/about/p002.html

国立公文書館のサイトによると、緊張していた朝鮮半島で清に宣戦布告したのが8/1。この戦争の鉄道輸送に山陽線、宇品線は大きな役割を果たしたのでした。天皇も広島に移り、臨時の帝国議会の建物も旧広島城内に作られます。今の県警本部付近です。

こうして宇品の港から朝鮮半島に戦時物資と兵員が運ばれたけど、山陽本線が北に大きく迂回していたら開戦には間に合わず、歴史も変わっていたかもしれないと本書では指摘されています。なるほど。そうでしょうね。

広島駅から宇品まで、貨物は輸送したけど、兵隊は隊列くんで歩いていたのでは。行進する出征兵士を女学校から見送りに来たと、夫祖母が申しておりました。

旧被服廠、現日通出汐倉庫。軍服などを全国から集めて保管、近くの出汐駅から港へ運ぶ。


私が嫁に来た46年前には、まだ港付近には軍用地の名残りの広大な空き地が広がり、ススキが生えて、息子たちとバッタ獲ったりしていました。いまはウォーターフロントになり、一新しましたが。

うわあ、長話になりました。

その他興味深いことも多々あります。京都、東京間は中山道ルートが初め考えられ、ルートの探査に行った人が箱根を超えるのに酒匂川から御殿場を抜けるルートを、湯治場で耳にして現在の東海道線を考えたというのが面白かったし、現在の新京成線は東京湾と太平洋の分水地点をたどるように曲がりくねっているとか…

あまりに長くなるのでもうやめますが、面白かったです。鉄道大好きの長男にこの本、譲る予定。

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