広島市立中央図書館付近/2015年7月
と私は思います。人の身体的特徴を公共の場で笑いものにするのは、同じことで悩む人の気持ちを考えたら、人権侵害とさえ思います。
以前はテレビ番組などで、滑稽なキャラクターとして、薄毛を設定することがよくあったと思います。さすがに最近では見ませんが。
太った女性を揶揄するのも少なくなったかもしれません。本人がそれを芸の一部として前に出しているのは(渡辺直美ちゃんのように)、私のようにふくよかな人間は太っててもいいんだと気が楽になり勇気を貰えますが、他人が笑いものにするのはやはりよくないと思います。
放送ではどういう規定があるのかと、ちょっと調べてみました
https://www.bpo.gr.jp/?page_id=1291
放送倫理・番組向上機構のホームページには、放送するにあたって守るべき倫理基準が網羅されています。この中の(56)項では「精神的・肉体的障害に触れる時は、同じ障害に悩む人々の感情に配慮しなければならない。」とあります。薄毛は障害(障碍)とまでは言えないかとも思いますが、そのことで悩んでいる人が、大勢が見ている場面で笑いものにされて嬉しいはずがない。嫌な感じを持つと私は想像します。
以前、某呉服店でセミオーダーの夏着物作ろうとしたとき、「女性の体型を6タイプに分けて作ります。お客様だと小柄でふくよかなタイプですね。言葉は悪いですが」と言われて、私的にはたいそう受けました。言葉は悪いですがの部分です。
これをネタにしてあちこちで笑い取ってたんですが、それは言われた私が言うから皆さんも笑う。他の誰かがそれを聞いていて、大勢の前で言われたら私はとても傷つくと思う。小柄は遺伝的形質、ふくよかは遺伝的形質+食欲に弱いこの性格。性格は頑張れば多少直せるかもしれないけど、遺伝的形質なんて、直しようがない。
薄毛もそうですよね。これは本人の責任ではない。なるものはなる。それをあたかも人格さえ劣っているように笑う、同じことをしても身の程わきまえない出しゃばりとして笑うのは絶対よくないと私は思います。
先日、あるステージを拝見しました。全体にはとても素晴らしいものでしたが、薄毛の人物がコミカルな演技をして笑いを取る場面があり、とても嫌な思いをしました。観客の中で悩んでいる人がいたら、とても笑えなかったと思います。客席には子供の姿もありました。姿かたちの異なる人は笑ってもいいと思うような大人にならないかと心配です。
で、ここからは無神経な人への私なりの考え方。
人は誰でもコンプレックスがあります。大人になると、人の嫌なことは言わないよう気をつけるし、人から嫌なことを言われても相手にしない、そういう人から離れるという知恵がつくものです。
今朝の土曜版に美輪明宏さんの身の上相談がありました。子供が大学生になり充実した生活送っているのを見て羨ましい。貧しくて進学できなかったので、今からでも大学に行きたいとの相談。
大学に行くのを目的にしてはいけない。これからどう生きるか、そのために今どうすべきか考える。大学へ行かなくても教養は深められるし、友達もできる。子供の進学をうらやむのではなく、自分の勲章と思いなさいと。私もまったく同感です。
自分の学歴、子供の学歴なんて聞かれても答えないのが吉。私たちの世代だと四年制大学を出た女性は稀、自慢話と取られるのが落ち。それに、この私、そんなに勉強してないし。
まして子供の学歴においておや。心密かな勲章でいいのです。
長男が父親と同じ大学の同じ学部に進んだので、「嫁」としての責任は一応果たせたし、三男は私が行きたくて果たせなかった京都の大学へ進んで、自由の学風の下、とても楽しい学生生活だったようで、こちらも私の勲章としよう。次男は本人なりに頑張って、今も頑張っているので親としてはもう言うことないし。
コンプレックスはうまく飼いならし、誇るべきことは心ひそかに支えとする。身体的特徴をあげつらう人はこちらから軽蔑して近寄らない。自分はそういうことは決してしないと、まあそんなところでしょうか。
長話、深謝。