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夏のいろいろ

2019-07-09 | 断想

まだまだ梅雨は明けそうにないけど、7月もそろそろ半ば。もう若くはないけど、夏と聞けばつい楽しいことをしたくなる。

でも、さて、何する?

子供たちが小さい頃はホテルのバイキングやビアガーデンに行ったけど、もうそんなに食べられないし。

海水浴が何より楽しみだった小学生のころ。

お弁当作って、おかずも作って、近所の家総出で、電車に乗って海水浴場へ。初め、志度、のちに琴電塩屋、臨時の停留所ができていた。

高校生の頃はクラスで津田へ。楽しかった。家でお弁当作って、要るのは交通費くらい。楽しさの対費用効果抜群。若さとは何でも楽しめるの謂いかと。

スマホがなくても人は連絡を取り合い、きちんと会えていた。

手紙、はがき、家の固定電話に掛けて呼び出してもらう。

待ち合わせに遅れそうなら、相手の家に断りの電話を入れる。相手も待たされたら「**さんから電話なかった」と家に電話する。たいていの母親が家にいる時代はそれで何とかなった。

究極の業は駅に設置されていた伝言板。黒板で縦に行があり、日時、要件、自分の名前を書く。

例えば、「7/9 午後5時、**さん、二時間待ったけど来ないので帰ります。##より」と言う風に。

野口五郎の「私鉄沿線」と言う歌で、伝言板に君のこと僕は書いて帰ります。思い出訪ねもしかして君が・・・以下失念・・・って、今の人には何のこと???でしょう。

はっきり別れを言わずにわざと行かない。そして次第にfade outする。そんな手はやっぱりよくない。遠い夏を、自戒を込めて反省する。正直は何物にも勝る美徳。言いにくいこともはっきり言ってしまおう。そして次のステージへ。人生の残り時間考えたら、無駄な付き合いしている暇はない。って、今さら夫とは別れませんが。

夏は母の実家へ。祖父母はすでになく、伯父夫婦がかわいがってくれた。

田舎は珍しいものばかり、山と池と同じ年ごろの子供たちといっぱい遊んだ。

18歳、相手も18歳。夏休み、故郷の街の私鉄の駅のコーヒースタンドで待ち合わせる。

後ろ向きの白いシャツの広い背中。自分がどんな服着ていたか、全然思い出せないのに。

何を話したか、そのあとどこへ行ったかもすっかり忘れているのに、その背中だけは鮮明に憶えている。

夫は昔も今も旅行好き。高速道路のない時代、子供たちを車に積んでどこまでも行った。

広島からフェリーで別府へ。やまなみハイウェイでようやくついた湯布院の宿で、4歳の長男が泣き始める。

「おうちに帰るーーーーおうち帰ってブロックするーーーー」

翌日、2歳の次男は「お腹痛いーーーー」と言った次の瞬間、車酔いで嘔吐。

まだまだ親が遊びたい盛り。子供には迷惑だったかも。

湯布院はブームになるはるか前、地味な町でした。

夏が来ると、去年の楽しさがよみがえると錯覚する。

でも、一つとして同じ夏はなく、毎日会っていた人さえ、連絡先も分からなくなっていく。

人は誰かにつながっていたいと強く思わない限りは、どんな人ともやがて離れ離れになっていく。

ずっと一緒にいる人とは、夫であれ友達であれ、少々の行き違いは胸に納め、今年の夏も、来年の夏も、ずっと先の夏も共に過ごすと腹をくくる。

思い出の中の世界は豊かで幸せで、私は若くて元気で、楽しくて。

いえいえ、これからだって楽しいことはいっぱいあるはず。

体に気を付けて、今年の夏を乗り切っていきましょう。

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