23日から26日まで、仕事を臨時で休んで、夫と二人で沖縄へ行きました。
博多までは新幹線、福岡空港から飛行機で二時間の沖縄、同じ日本国内とは言え、本土とはいろいろと違うものが多く、見聞を広められた旅行でした。
印象に残っていることをいくつか。
マングローブの林を生まれて初めて見た。感動。
那覇市内、長堂川河口の汽水域、漫湖。
殆どがメヒルギ。オヒルギ、ヤエヤマヒルギの見分け方を学芸員の方に教わる。
那覇市内の商店街の活気に圧倒された。
表通り、国際通りから網の目のようにアーケード街が並んでいて、人も多かった。
京都の新京極通りを10倍くらいパワーアップした感じ。
こちらまで元気が貰えます。
ここで食べた沖縄そばはとてもおいしかった。
さらに歩いて行くと壺屋やちむん通りへ。琉球王国時代にたくさんの窯元が集められたそうです。
街中にいきなり現れる登り窯跡と、捨てられた壺を抱き込んで繁茂するガジュマル。
うーーーん、エネルギッシュ!!
下の石垣にも陶器が埋め込まれています。
戦跡、慰霊碑、記念館もいろいろ回りました。
こちらは那覇市内にある旧海軍司令部跡。
殆ど人力で掘った洞窟に、司令部があり、将校、兵士、動員学徒が潜んでいたそうです。
狭い狭い通路や部屋に胸が痛みます。
あとは南部の平和祈念公園、ひめゆりの塔、那覇市内の対馬丸記念館など。
沖縄戦は住民を巻き込んだ地上戦、知っているつもりでしたが、見学してみて、その悲惨さがいっそう実感できました。
軍隊は、究極の場面で住民を守るのでしょうか…
沖縄戦終結直前に解散命令の出たひめゆり部隊、解散して各自で何とかしろって…
日本軍が来なかった村は集団自決を強いられることもなく助かったとか…
いろいろと考えさせられました。
祖先を大切にするのが沖縄の風習のようです。
立派なお墓はまるで小さな家。
あの中に家族の遺骨を入れるのでしょうが、離婚した女性は家に災いをもたらすとして墓は別だったと、「葬送と何とかの日本史」とかいう本で(←うろ覚え)読みました。
今はどうでしょうか。
識名園という、琉球王家の庭園を出たところで、突然、地元ラジオ局のインタビューを受けました。
どこから来たのか、沖縄は何度目か、沖縄とこの園の印象などなど。
終わった後、記念品頂きました。手回しで充電できるラジオとライトです。
ラッキー(^^♪~
一泊目、夫が予約していたホテルは行ってみると素泊まりと判明、えええーーーーー
どうするのよーーー、こんな店もないところでーーーー
場所は沖縄中部、国頭郡恩名村字何とか。
以前の悪い私なら文句言うところだけど、歳とって、今は穏やかなもんです。
で分かったのは、ホテルにレストランがあるのではなく、レストランがメインで、マンション風の宿泊施設が併設されているホテルということで、何とか食事にありつけました。
とてもおいしいフレンチでした。シェフはホテルで働いた後、この地にレストランを開いたそうで、地元雑誌にも紹介される有名店だそうで。
知らんかった~~
お値段も都会ではありえないくらいリーズナブル。よかったあ~
その他に珍しかったのは、家はほぼ全部が鉄筋コンクリートの頑丈な造り。
沖縄風の赤瓦を漆喰で固めた屋根の家は数軒だけ見ましたが、半分は空き家、廃屋。
残りは古民家を生かした飲食店、店など。
向こうの家は飲食店だったかな。屋根に大きなシーサーが載っています。
水田は皆無。殆どはサトウキビ、南部へ行くと果物栽培、マンゴーや一部ドリアンなど。
南部以外、平地はわずか。低いなだらかな山の中腹まで、白い鉄筋コンクリートの家が並ぶのはスペインそっくり。緑と白の配合の具合がです。それとさらりとした暑さも。風が気持ちよくて蒸し暑くありません。暑いことは暑いけど。
「スペインに似ている」と言ったら「またスペインの話かー」と嫌われたので、そのあとは言うのは二、三回に留めました。
今夜は花火大会。夫の友人が来訪予定。残りは明日以後、順次まとめたいと思います。この項、続く。See You again!!