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幸せな夏のこと

2019-07-23 | 随想

昔の人の常として、実父は兄弟姉妹が多かった。いとこ達も多い。

夏休みはいろんな家に遊びに行って、とても楽しかった。宿題は「夏休みの友」みたいにな薄い宿題帳。それに絵が一枚、工作一つとかそんな感じだった。絵日記はなかった年がおかったけど、私は絵や作文書くのが好きで、自主的に書いて出していた。先生は迷惑だったかも。

昔のことだから、大したイベントがあるわけでなく、きょうだいで遊んだことや、親戚へ行ったことが中心。

中でも楽しかったのは、小1の夏休み、祖母に連れられて、祖母の妹の嫁ぎ先へ行ったこと。ふだんあまり行き来する家でなかったので、格別珍しかったのだと思う。

電車の駅から、半島の中腹の砂利道を歩いてだいぶ行った。松の間から青い海が見えていた。6歳の私の記憶は断片的なのが残念だけど、離れで祖母と寝て、近所の子と海で遊んで、小さなフグは捕まえようとすると腹を膨らませて死んだふりするのでいくらでも捕れて、砂浜に作った池に浮かべたり、ヤドカリをたくさん拾ったり、それは持って帰って箱に砂浜の絵を描いて入れていたけど、すぐ死んだ。巻貝に脚があるのが不思議だった。

車のない時代は暑くても歩いて行く。いや、今ほど暑くはなかったはず。祖母もとうになくなり、その親せきにはもう一度行く機会があったのに、私は友達の家に遊びに行っていて行きそびれた。とても残念。

大人はみんなのんびりと優しかった。祖母はグレーのスーツに手提げ袋、先割れの靴下に草履履いていた。洋服なのに。今の私よりあの時の祖母の方が若いと思うけど、私も祖母をしのんで、洋服に草履履こうかしら。受けるかも。

夏になるとよみがえる思い出がある。

しばらく続けます。

どこかで探して来た故郷の町。

元のサイトが分からないので無断でお借りします。ごめんなさい。

昭和40年から50年の頃でしょうか。

この付近は宇高連絡船が廃止になって広い土地ができ、再開発で一変しています。

左端は国鉄高松駅。これは新しい駅舎で、木造のレトロな旧駅舎は五年生か六年生の夏休み、火災で全焼。黒い紙のかけらが我が家付近にも降ってきました。

右は玉藻城。

 

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