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私のパソコン歴と健康への自戒

2020-09-24 | 事件、事故

今みたいにSNSが充実する前は、個人の情報発信はホームページが主流でした。

タグを駆使して作るのは上級者、プロバイダーのサービス使ったり、専用のソフトで作ったりしていました。

私がホームページ始めたのは2003年6月18日。

1980年代に富士通のパソコンに松というワープロソフト入れて小説書いていたけれど、文芸誌に二作載せてもらっただけで、あとは自然消滅し、そのうちパソコンも捨てた。

1996年から山歩きと植物観察の会に参加。会報任されてから、今度はノートパソコン買って毎月作っていた。

どうも私はどこへ行っても会報やホームページ作る運命にあるらしい。どんな偉い人も運命には逆らい難し。まして凡人においておや。

しばらく離れていた間に、ウィンドウズが便利なことに驚く。経費帳、給与計算など、エクセル使うと集計が楽。それまでは手書きの電卓で。死ぬ思いでした。また小説書いていたころはパソコンはワープロとしてしか利用してなかったけど、ネットにつなぐと検索でいろんな情報が引き出せるのが面白かった。

それから器の絵付けに出会い、先生呼んできて公民館でサークルを立ち上げ、ついでに宣伝にホームぺージも作った。

その頃は手作りのサイトが主流、画像掲示板もつけると、ページのレイアウトから掲示板の管理から時間がいくらあっても足りなかった。

転送がまた大変。パスワード入れて毎回ネットに上げて、レイアウトが気に入らないとまた延々直したり。

でも、ついはまって午前四時ころまですることも。目が悪くなり、動かないのでたちまち太った。これが第一回の不調。2004年頃。

続いて2006年頃。このころは被爆証言を聞いて本を作る活動していた。被爆の話は広島ではあふれているけれど、地元公民館のサークルでワープロ入れるボランティア探していると知り、我が地区ではこれは私の担当、私以外誰がすると参加したら、ワープロ入力だけではなく、インタビューのテープ起こし、その他あれこれ、ついでにホームページも担当になって忙しかった。

被爆者と喧嘩したのもこのころ。被爆者の地名の思い違いをおたずねしたらいきなり怒られたり、すでに県編纂の被爆資料をあたかも自分が見たように話す人がいたり、触れられたくない過去も聞いたりしてしまい、なかなかに大変な作業でした。これは五冊出して解散。ホームページもプロバイダーのサービス停止でブログに移しているけれど、数年、見たことがありません。疲れ果てて、一部、写真が飛んでいるけれど、直す気力がわいてきません。

このころも大変だったけど、まだ若かった。

それから2008年5月の連休前、毎日夜更かししていたら、とっても体がだるくなって、旅行も行きたくなかったけど、九州の途中で、下関の唐戸市場で握りずし食べたら、ものすごく気分悪くなって、博多のホテルでは何も食べられず、おにぎり食べてお茶飲んで窓へ近寄る気力もなくて、どんたくも見られずに、横になっていた。翌朝、有田へ行く夫と別れて新幹線で帰宅。1日寝ていたら何とか治った。

2012年頃、このころも何をしていたのか夜更かしの連続。そのうえ、母が団体旅行で広島へ来て、呉の大和ミュージアムで離団して我が家に来ると言うので迎えに行った。寝不足の中、緊張して運転したせいか、翌朝は起きられないほどの眩暈。

母は心配していたけど、予定通り帰っていった。

これは半年のうちにもう一度あり、次の時が特にひどかった。

ちょっと頭を上げると眩暈がして起きられない。

寝ていても天井の一部が落ちてくるように見える。実際には落ちてくるはずないので、途中で止まる。まるでモグラ叩きのモグラみたいに天井が、あちこちから迫ってくる。それを見ていると平衡感覚が崩れて、自分がぐるぐる回る畳の上にいるような気分の悪さ。

ちょっと頭上げると吐き気がして、すでに絶飲食状態なので吐くものもなく、それでも頭低くしてパソコンに向かって、以前のブログ更新していましたね。なんでと言われても、それが数少ない自己表現だったから。

点滴してもらったのかな。

忘れた。

電解質のソルデムを500くらいしてもらったかもしれないけれど、点滴の悪いところは片手が使えないこと。ゴロゴロと点滴台引いてトイレ行ったりしても邪魔くさいので、結局一回だけでやめて、あとは黒砂糖嘗め嘗め、ウーロン茶を吐き気がしない程度に少しずつ飲んで、命をつなぎました。大げさな。

ちょっと頭を上げるとたちまち眩暈がして、そのことを夫に訴えると「主人に対して頭が高いからそいうことになる。へりくだって頭を下げていたら治る」と、誠にありがたいお診立て。

「何も昨日今日、急に頭が高くなったわけじゃなし、そんなん原因と違う」と妻憤慨。

これはあてにせずに自分で治すしかないと安静にしていたら、3日後には何とか治りました。

その頃の新聞記事に、三半規管の中の何かがはがれて中で動くと、激しい眩暈が起きるそうで、起きるときに頭を右左上下とゆっり回転させて浮遊物を落ち着かせるといいとか書いていたように思います。そういうこともあるんですね。

最後の眩暈から7,8年。幸い再発はしていませんが、同じ姿勢で座ることなく、家の中でもなるだけ体を動かして、早めに寝ることを心がけています。

きょうはもうパソコンの前に合計で3時間くらい座っていたので、もう終了。

本当は先月分の経費を整理する予定でしたが、明日以後に。本当はこちらが優先なのに。うかうかしていると来月が来てしまいます。

お稽古事でも10年間、100万円かけて習うと人に教えられる技術が身につくそうですが、私はこの年で人に教えられるものもなく。機織りや、料理を教える人のブログ拝見するとつくづく羨ましい。今まで何をしてきたのかなあと。

普通に活動できるのは80歳までかな。あの若かった私が80歳になるなんて全然信じられないけど、60、70と来たのでやがて80になるでしょう。

80…どんな景色が広がっていることでしょう。

夕方、次男が来たので「親はいつまでも元気じゃないからね。あと10年かな」と話した。

おやおや書き過ぎました。もう寝ることにします。

コメント (2)
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9/21 伊根の漁村を歩く

2020-09-24 | 旅行

天橋立から海岸沿いに北へ。伊根湾に面した伊根地区は古くからの漁港。

海に面した建物は、一階に海水を引き入れて船を保管、二階に人が住む独特の景観。

舟屋と呼ばれ、国指定の重要伝統的建造物群です。

宿を車で出て、Pに車を入れ、9時始発の遊覧船に乗ります。

一人800円。25分で湾内一周。30分ごとの出発。

出港してしばらくすると、向こうに舟屋が見えてきました。

湾に向けて、入母屋の家が並んでいます。

大型化した船は家の前に係留しているようです。

あちら湾の入り口の青島。湾を巡って今度は反対側の舟屋を見ます。

観光客がカッパエビセンを掲げると、カモメが寄ってきます。

こちらも大きな船は家の前に。

湾内は干満の差があまりなくて、船の出し入れには都合がいいそうです。


道の駅「舟屋の里公園」へ行って車を停めます。

湾内一望。

両側に集落があります。

湾内に仕掛けの網があります。すぐ目の前が漁場。きっと豊かな海なのでしょう。

駐車場の先の急な階段を下りて、今度は陸から伊根を見学します。

漁港では漁師さんが、掛け声をそろえて網を引いています。

海に生きる人。たくさん獲れたでしょうか。

手際よく。

右手の集落へ行きます。

公開している舟屋があります。見学料は200円。

刺し子の上着。

ヤフオクだといくら?と考えてしまう私。

昔は木の船で、道路まで引いてフナ虫を取り除いて乾かしていたそうです。

今は・・・合成の樹脂。

網を繕うための糸巻きらしい。

機織りのとは形が違うけど、こちらの方が糸が外れにくそう。

しかし、道具には使われてきた長い歴史があるので、これは漁網専用と言うことでしょうか。

家の先にびくを吊るしています。

確認しているのは観光客。

向こうに青島。

アイナメ、そのほか。よそで獲ってきて保管しているのか、ここに仕掛けているのか、それは聞き漏らしました。

道具と舟、コンパクトに整理しています。


この奥が見学できる舟屋でした。道の駅からは下りて右へ。天橋立に近い方の集落です。

家の前をきれいにするのは京都風。

漁村でもここは京都。眺めをみんなで大切にしています。

山肌にへばりついて蔵二つ。

カフェは開店前。所々で海辺に出られますが、それ以外は私有地。立ち入れません。

舟屋の構造だけ残して、海水が家の下に入らないように造り替えた家もあります。

路地のケイトウ。

大きな舟。

お祭りに使う舟です。これは木造船。

どちらか一か所だけ行くなら、道の駅下りて右、天橋立に近い方へ。

駐車場、観光案内所、カフェなどあり。


先ほどの漁港前を通って左手の集落へ。

こちらは観光客少なめ。民宿は多かったです。

漁協の倉庫のような建物。下見板に木枠の窓。木の扉。

駐車場が少ないので、天橋立は後回し、まずこちらへ来て正解でした。

お地蔵様。風化が進んでメイクしている。香川県の粟島でも化粧したのを見たことがある。あとでリンク付けますのでよかったら。

https://blog.goo.ne.jp/kawashima134/d/20150324

途中にある資料館はカフェにもなっていて、地元女性のグループが管理していました。

以前は、京都の業者の帯を織る作業所だったそうです。地元の人が働いていたとか。

刺し子。風雨に洗われて風格ある味わい。

ヤフオクでいくら?とつい考える私。

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/j610296763

伊根の人たちは東日本大震災で被災した漁業者の(どこだっか、未確認)支援もしていたそうで、その展示もありました。道具など、持って行ったのでしょうか。

家の切れ目から時々海が見えます。

民宿入り口の浮き球アート。

こちらは観光客はほとんどいません。

道路をきれいにしているのが京都風。家の周りに要らんもの置いてない。花が枯れて雑草が茂った、割れて色あせたプランターなど。

みんなで街並みを大切にする気持ちが伝わってきます。

もう一つの見学できる舟屋。

こちらは遊覧船の営業もされているようです。

見学無料。お手洗いもお借りできます。

大きなモーター付き。

帰ります。

道端のお地蔵様が京都風。

子供たちの地蔵盆があるのでしょうか。

道端の・・・昼間しおれているのでキスゲの仲間?

冬は寒くなる場所かもしれません。続いて天橋立に戻って見学しますが、長くなるのでとりあえずここまで。

 

コメント (8)
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