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乳がん検診でした

2020-09-01 | 日記

3年前の5月、ちょっとした自覚症状があって乳腺のクリニックを受診、その後細胞診、MRI、大病院に紹介されて検査を兼ねた日帰り手術受けて腫瘍を摘出。初めは、早期のがんかもしれませんと言われるも、良性と判明。それからはずっと継続して検診受けている。

きょうは半年ぶりの定期検診。別に異常がないので、次は一年後と言われて、ほっとした。

3年前と言えば、ある歌舞伎役者さんの若い妻が、幼い子供二人残して乳がんで亡くなったころ。彼女が毎日更新するブログもたいそう話題になったころで、世間の関心も高かった。

彼女の場合はどうだったのかわかりませんが、がんと聞くと怖がって民間療法や宗教に走る人がたまにいるのがとても残念です。気休めは気休め、それにお金使うのは個人の勝手だけど、まずは医療機関できちんと治療したいもの。私はそう思っています。

私の身内は母方、父方、乳がんが多発。しかし病院で怖がらずに治療した者は全員、治って今も元気です。唯一、宗教にはまって宗教で治そうとした父方の叔母は、何の治療も受けず、72歳で亡くなりました。

一家でその教えを信仰していて、私の父がいくら言っても頑として聞かなかったのです。そして叔母の口から出るのは医療と医者への悪口ばかり。昔、何かあったらしいのですが、確かに昔の先生、下手なことも聞けず怖かったけど、医者嫌いもほどほどにしないと命に係わる例かと思います。風邪が長引いても薬なんて、絶対飲みませんでしたね。

なんでそんなものにはまったのか、本当に不思議で悔しいです。で、周りを見渡してみれば、科学的エビデンスのないいかがわしい話の何と多いことか。

知り合いで、体にいい水を買って飲んでいる人がいました。2リットルで数百円。それを一日一本飲むそうです。これ考えた人偉いなあと。

きっと広島市水道局の水。それを裏で詰めて表で売る。水は飲みすぎると害になるけれど、その前に体が受け付けなくなるので、水なんてまあ毒にも薬にもならない。体にいいというたぐいの俗説ってたいていそれですよね。納豆とか、あと消毒薬がコロナに効くって、学界に発表する方が先。承認なく素人が話すのが、限りなく先走って頭悪い。

水も消毒薬も、それをやすやすと信じてしまうのが、何とも。

今はがんを告知するけれど、40年以上前は、死を宣告されるのと同じくらいの重みがありました。それで本人には言わなかったのです。言わなくても何となくわかるんですが。

実母が乳がんの手術受けて43年、かわいそうと男泣きした父も伯父もとうにあちらへ行き、母一人元気です。母は豪放磊落、アバウトで度胸があり、手術も怖がらずに受けていました。その母の娘なので私はめちゃくちゃリスクが高いらしく、検診は欠かせませんが、なった時にはあわてず騒がず、標準治療。動揺して高額な民間療法、ましてや宗教には頼らない。母と同じように落ち着いて手術受ける。

姑様も82歳で乳がんの手術受けて、治りました。あわてず騒がず、一人で病院に行きいろんなこと決めてくる人でした。

乳がんって女性の11人に一人がかかるけど、早くに見つけるとほぼ100%治る病気。怖がらずに、皆様、私と一緒に検診受けていきましょう。

子宮がんは・・・30年くらいまえ、筋腫そのほかで子宮、卵巣、全摘したので、検診とは縁が切れました。こちらはだから楽なのです。

すみません、自分のことを長々と。きょうはいい結果だったので、ちょっと嬉しくなりました。また一年頑張ります。

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その後のこと

2020-09-01 | 随想

まだまだおいしいスイカ


現在97歳の姑様が入所中の介護施設、新型コロナの流行で家族が出入り禁止になって早や半年。今はいつお見舞いが再開されるのか、目途が立っていない。

一年と七か月前、入所した時にはまさかこんな日が来るなんて思ってもなかった。

家が隣なので、最後まで引き取ることはなく、通いで介護。

入所当時の姑様の状況。

前年、大腿骨頸部骨折で手術、リハビリするもしばらくすると自力歩行不能。抱えて移すと、椅子に座ることはできる。食事は普通食、食欲普通。時間かけて自分で食べる。最後の方は手づかみも。耳はほとんど聞こえない。二度の軽い脳梗塞で、発語がほとんどできない。反応はある。とこんな感じ。介護度は4。

週に4日、全日デイサービスまたはデイケアに通う。1日はヘルパーさんが訪問して食事の介助と後片付け、洗濯をしてもらう。

夫、オシメ替えと在宅時の食事の介助。便秘気味で週に一度の浣腸と始末。あとは洗濯。

私、食事作り。食事は夫が運んで一緒に食べる。洗濯。衣類の管理。掃除。オシメ替えは会合などでいないときは私がする。一年足らずの自宅介護中私がしたのは10回くらい。

今、介護度4の人の在宅介護を振り返って思うのは介護保険のありがたさ。それに尽きる。

すべてを家でするならば、夫と二人、他に何もできず疲労困憊していたと思うけれど、週四日は昼間不在、一日は朝と昼のケアはヘルパーさんが、あとはベッドで横になって眠っていることも多かった。

また二回、ショートステイに3日預けて、夫と旅行した。一回目は岐阜、高山など。二回目は城崎温泉など。ほかのどんな旅行の時よりも解放感があり、しみじみと楽しかった。今は当たり前になって、あの楽しさを忘れている。

昨年お正月明け、夫が突然ぎっくり腰になり、体の前後屈もできなくなり、ケアマネさんに相談して施設にとりあえず2週間の予定で預かってもらった。

本人は、オシメ替えの時に中腰前傾姿勢でで姑様の腰を上げたり、右左に動かせるのが悪かったと話しているけれど、それ以外にも背負って階段上がり降りしたのも原因と私は思っている。

子育ても介護もしたことない人にはわからないと思う。子育ては自分が産んだ子は育てるけれど、介護は産んでもらった親だからと全員がするわけではない。するかしないかは、その時の介護する人の事情に左右されるけれど、結局は近くにいる子供が引き受けるのが流れ。

夫は、自慢することではないけれど、よく頑張ったと思う。初めのころは、親がいろいろなことができなくなったことが理解できず、怒ったこともあったらしく、私が行くとベッドの中で怯えていた。

「**さん、袋縫うので裂きれ、頂戴」

もう縫物なんてできる状態ではなかったのに。

「お母さん、どんな裂きれですか」

「何でもいいから裂きれ頂戴」

「ほっとけ、明日になったら忘れとる」

とまあこんな会話。

翌日は言わなかった。

ベッドの中で、何か縫物しようと思うことが、姑様の最後の心の砦だったのかなと今になったら思う。

でもそのあとは怒ることもなく、気長に介護していたと思う。人に話すと、男の人がオシメ替えるのは稀とのこと。

そうなんですか。自分の親なので、やるのは当然と私は思います。夫は私たちの三人の子供のオシメ、ほとんど替えたことないので、その代わり。そう思えば辻褄が合います。

そうなるずっと前から夫には常々、お母さんの介護はあんたがしてね。長男の嫁の私がしたのでは当たり前すぎて誰も目に入らず、気が付かない。息子がすれば、世間はよくできた人と感動し、お母さんも喜ぶと。

我が家では大体その通りにできたと思います。私は少しは介護を体験したことで、いろいろなことを知ることもできました。

人はみな、周りに面倒掛けず、認知症にもなりたくない、元気でいたいと思いますが、どんな最後になるかは自分で決められないこともたくさんあります。思うようにならないのが人生の常、特に老年期はもう流れに身を任せるしかない。そう思います。

その時必要なのはある程度のお金と、良好な周りとの人間関係と思います。どちらが欠けてもいい介護にはならないのでは。

姑様が施設に入るまで、一月最低でも20万円以上かかると聞きましたが、それは豪華な自費?の施設では。広告でよく見るのもこの種類のようで、姑様は食費は実費ですが、それを含めても一割負担で月に13~15万円程度の支払い。半分は夫の弟が、自分の仕事の役員報酬として仕送りしてくれるので、残りを夫が姑様の通帳から引き出して払っているようです。お金のことは私はノータッチ。

しかし、介護する側の人間関係がぎくしゃくしていて、誰か一人が自分だけ犠牲になっていると思うようではいい介護はできないと思います。

夫は心の中ではどう思っているか知りませんが、愚痴を口にすることは一度もありませんでした。一度、「最初のころ、お母さんに怒っていたよね」と言うと「悪いことした」とはらはらと涙こぼすので、それからは言っていません。

出来なくなるまで、料理も自分でしてた姑様。ご飯を二合炊き、ずっと保温。三日目くらいには硬くなって色も変わる。それでも食べていた。野菜各種を刻んで鍋で似て、食事の度に煮返して、最後は野菜の形が分からなくなったのを食べていた。それに卵かけごはん。

何かしましょうかと申し出ても、できる間は絶対に頼まない人でした。嫁は使ってなんぼという発想のない自立した人でした。

気難しい舅様の仕事を助け、添い遂げ、最後まで自宅で介護したスーパーな人、子供たちもそれが分かっているから嫌がらずにお世話できたのでしょう。県内にいる義妹は二か月に一度、二泊して介護してくれました。自分も姑を抱える身、それが精いっぱいだったと思う。義妹は一時、二人の介護をしていたことも。

子育てはどの子もよく似ているし、どんなに手がかがっても6年もすれば小学校へ上がる。しかし介護は千差万別、しなくて済む人から、複数を長年にわたりする人まで。

私のささやかな体験から、介護している人には「頑張って」とか「自分の親だから見てあげてね」と言うよりも、「そうなの」と、相槌うつくらいで黙って話聞くだけの方が励ましになると言うことに気が付きました。近くでそんな人がいたらぜひそうしたいと思います。

人は認知症になった時に、元々の自分が顕れるのではないでしょれうか。うちの姑様は、嫁にとっては楽な人で、感謝しています。

今思い出すエピソードいくつか。

銀行へついて行くと、二百万おろすと言われて焦ったこと。多くないですかと言うと、じゃ百万って。夫に電話したら好きにさせろと言うので、払い出し表と通帳窓口に出したら、窓口の人、顔色替えて、一番奥の一番偉い人に相談、余分に書類いろいろ書いて、やっとお金貰った。

姑様の第一声。

こんなにおろすつもりなかった。10万くらいのつもりだったって_| ̄|○

歯医者にお供した時にも財布の中に万円札、ぎっしり入っていたことも。まだまだ歩けて、普通に話していた時です。

私の胸に腫瘍が見つかった(生検での結果は良性。この時は結果待ちの期間)と、夫がうっかり話して、姑様がすぐとんできて「寝てなくていいの」と心配してくれた。いやあ、ふつう、寝なくていいでしょう。

その時、裏の60坪が空き地になっているのに気が付いたので、「5,500万だがどうかと言われて。うちではとても買えないです」と言うと「えっ、5千円?」と言う反応。「5千円でなくて5,500万円です。5千円ならすぐかいます」「えっ、5千円?」

もう少し続けてもよかったのだけど、エンドレスなギャグになりそうでそこで終了。

こんなこと書くのは尊厳にかかわるのでしょうか。そうではなくて、どんな人でも年を取る。そのことを身をもって教えてくれたと思っています。

浣腸のことを書きましたが、私は立ち会ってないけど、そのお世話は楽で、逆が困るのです。介護された方なら、皆さん経験済みでしょう。

気持ち悪いので、見られると恥ずかしいので、自分で何とかしよう、と思うのでしょうか。結果は悲惨なことに。本人の体や、周りのありとあらゆるところに汚れが付き、後始末、夫と二人で25時・・・26時だったかな?くらいまでかかったことも。

同じく実母を引き取ってお世話した人は「もう、殺そうと思った」と正直に話してくれました。それは私が似た体験したと知ったから。そうでないと話してもらえなかったと思います。

ケアする人のケアの大切さが最近言われるようになりました。介護する人も疲れて追い込まれている。その人への心配りが大切だと。

でも実際に体験した人でないとその大変さはわかりません。遠くの親を自分のきょうだいやその連れ合いに世話してもらっている人は、是非、そのことを忘れないでいただきたいのです。

宵の口に寝てしまってので、未明から書き始めました。静かで、ゆっくり振り返ることができたと思います。

介護はするしないはほとんど運命、してもらう、してもらわずにこの世と別れるも運命。何事も逃れられないのが運命ならば、その中でより良い方法を探し、人の助けも大いに借りて乗り切って行くこと。それしかないように思います。

私ですか?

姑様のお世話の只中にいるときは閉塞感でいっぱいでしたが、今振り返ると無駄な体験ではなかったと思えるようになりました。自分の老後の参考にもなりました。

そして命の圧倒的な存在感です。自分で何もできなくなった人間は不要と簡単に片づけられるほど、人の命はやわではありません。その人の人生が凝縮した最晩年は、人それぞれの多様性、食べて排泄するだけでも生きている命の強さ、そしてどんな姿になっても生きていてくれることで力づけられ、支えられる家族がいる限り、その人の命は尊くてかけがえのないもの、私はそのことに気が付きました。

いくら何でももうそろそろ寝ないと・・・皆様、おやすみなさい。

梅ケ枝餅。自作しました。2016年9月。

コメント (8)
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