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HATAORI最終章

2015-05-16 | 日記

昨日は本当にこれで最後の教室でした。五月はお稽古代はいいと先生が言われ、昔の乙女たちは半分おしゃべりしながら、最後も淡々と作業をこなしたのでした。

とは言え各自、もうすることがないので、人の作業を手伝います。

先生のご主人が昔作ったという道具。男巻を固定し、向こうは筬を立てる道具。

二本の棒は綾棒。糸を一本ずつ交互に分けている棒です。整経して綾の部分に綾棒を通し、今は筬の左にある綾を右側に移す。これが綾返しです。

物差しを通して隙間を確認。その隙間を筬の向こう側へ移して再び物差しを入れ、そこに綾棒を差し込みます。

もう一つも同じようにします。

綾棒に本が筬と男巻の間に移動しました。

この状態で織り機にセット、あとは筬を抜いて、綜絖、再び筬に一本ずつ糸を通して女巻に結び付けると織る準備が整います。

彼女はこのまま持ち帰り、家の織り機にセットして新しいものを織るそうです。何ができるかは聞き漏らしました。来月、最後の食事会、その時聞いてみましょうか。


 

我が家の織り機です。

昨日は孫が来て、「これ何?」という展開になり、「やりたーーーい」と言うので、織り機の前に立たせて横糸を通し、私はその後ろに椅子を置いて座って踏み木を踏み、「ピンクが好き」「水色もやりたい」と言うのに付き合って、20センチくらい平織をしました。

マフラーにするそうですが、ごわごわしているので、テキトーな長さにして、本人に渡すつもりです。そのあと弟が膝に乗って同じことをしたがるので少し触らせました。

なんでも同じようにしたがります。綜絖がカチャカチャと触れ合うのも気に入って、触って遊ぶので気を付けながらやらせました。まあそのうち飽きるでしょう。

きのうは怒った顔で階段上がるので、お母さんにどうしたのかと聞くと、バナナを二本一気に食べ、三本目は駄目よとお母さんに言われたとのこと。食欲旺盛な一歳児、来月には二歳になります。


昨夜のメニューは春巻きでした。皮を折り紙の兜の形に織って中身を詰めて焼くと、上の子に受けました。最後の三角は蓋にして楊枝で留めておきます。

最近はお嫁さん来ても気を遣わず、疲れたのでベッドで横になっていました。各自好きなことをして、そのあと解散。

お嫁さんが、私と孫が織をしている写メを息子に送ったら、「どこだあ???」と焦っていたとか。どこって、あんたの実家だよ~


 

ヨーロッパ旅行コーナー 4/19 ドイツ、ゲンゲンバッハ

マルクト広場前、銀行らしい。日曜日で閉まっていた。フォルクスとは国民という意味でしたか。日本で言うと日銀・・・のようなものではなく、そういう名前の民間銀行かも。

フランクフルトから列車で二時間。駅は無人でコインロッカーもないらしいので、フランクフルトにホテル取って日帰りがいいかもしれませんね。

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「パリの間奏曲」を観る

2015-05-15 | 日記

昨日は朝、所用で外出、午後0:25から本通りシネツインで「パリの間奏曲」を観る。元々はベルサイユ、ルーブルパリ市内大ロケ敢行のさる邦画を観るつもりだったけど、シネマミックスでしかやってなくて、いずれも遠い。さる邦画はまた後ほど。

で、なかなか良くできた、フランス映画らしいエスプリが各所に効いたいい映画だと思った。

初めにノルマンディーの、牛を飼う夫婦が出てくる。品評会に牛のお産。個人的には子供のころ見慣れたことなので、懐かしかった。牛がとても可愛い。子牛もも親牛も可愛い。媚びない可愛さ。産まれて肉になるために、乳を出すために大きくなるその分かりやすさ。牛を飼う人間もまた、質実剛健、黙って真面目に働く。

でも隣の家の若い人達のパーティーに誘われたことから、妻の心に好奇心が芽生える。頑固な湿疹の治療にパリに向かい、パーティーの若者と再会し、幻滅し、同じホテルに泊まっていたスウェーデンの歯科医師と知り合い、一夜を共にし、そして別れる。

あまり詳しく描くとネタバレになるのでここらで止めますが、久しぶりにフランス映画見て、洒落た筋運び、人間の些細な心の動きを丁寧に追って行く昔からの手法が健在だったことが嬉しかった。

ノルマンディーの田舎とパリのにぎやかさの対比も面白かったが、観光案内映画ではないので、エッフェル塔とかシャンゼリゼ通りはちょこっとだけ。

毎日の当たり前の生活の大切さ。この映画はそれを言いたいのではないだろうか。何も起こらない、それこそが幸せだと。パリで知り合ったのは歯科医師で、何かわけがある人らしい。翌日は学会発表、その会場に紛れ込み、目と目で合図して笑顔で別れる。いゃあ、フランス映画やなあ。お洒落やなあと思った次第。

ノルマンディーです。2014年4月 牛を放牧しています。

パリです。

だけど、よく知りもしない人とよく付き合う気になれるわなあと、ちょっと信じられなかった。だって、相手がいい人ばかりとは限らない。寝てる間にお金取られたり、写真撮られてあとで脅かされたり、気が付かないうちに犯罪の片棒担がされたりと、そんな心配はないのだろうか。

私には冒険は無理だと思った。何もないのがいちばん。毎日の暮らしを大切に。と思った次第。

 

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ひょんなことから

2015-05-13 | 日記

家でやることになりました。これです。

いゃあ、こういう流れになろうとは。

ところで上にかかっている額ですが・・・

明治時代、父方の曾祖母が織った木綿の蒲団地。藍染めのシンプルな模様織り出し。

鶴と千年、あとは井桁などの柄があり、はぎ合わせて布団地になっていました。30年くらい前実家からもらってきたのですが手芸に使ってしまい、今はこれしか持ってません。

曾祖母は跡取り娘で気が強く、だいぶ苛められたと祖母が言っておりました。昔の人は機織りなど、朝飯前だったのでしょうが、やはり上手下手はあるはずなので、気の強い曾祖母はきっと織りも上手だったことでしょう。

不思議な縁で100年以上前の人の織った布の下で、私も及ばずながら機織りすることになりました。いい糸を探して、織るのはもう少し後になりそうです。

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ヨーロッパ旅行ふたたび

2015-05-13 | 仏独ルクセンブルク田舎巡り

残りの写真整理しました。しつこく、先月の旅行です。お時間あれば見てやってください。

4/16 関空で。もうすぐ搭乗。機内に持ち込むリュック一つ。

花の島、マイナウ島。ここがあるからツアーに参加したという方が何人かいた。

私は岡山の植物園みたいだなと思いつつ・・・あちらも自然の地形を生かした素晴らしい植物園です。

チューリップが盛りでした。

向こうの、菊人形みたいなオブジェはどうやって作るのでしょうか。

ボーデン湖。

名もない蔦や柳が低く垂れこめ、絵を描く私たち、それぞれ一人にした~♪by ユーミン。たぶん「よそ行き顔で」という曲だったと思う。

植物には、いえ、万物にはすべて名前がある。人間以外のものにことごとく名前を付けるのは人間だけ。がしかし、夥しい名前の中から、自分の人生に関わるものしか、憶えることはない。それが名前というもの。

名もないではなく、名前も知らないということですね。

万物に名前を付けて分類整理する。それはある意味神の領域かもしれない。いえ、神ではなく、今まで見たことない植物、ということは私にもわかる。だからこそ遠くへ行きたいのだと思う。

フライブルクのホテルにはチョコレートが置いてありました。

日本の旅館のお饅頭みたいなものでしょうか。大聖堂が有名な街のようですが、観光はなし。ホテルは二連泊しました。

ロータリーで。今からフランスのコルマールへ行きます。

コルマール、インフォメーション出たところ。

大聖堂。

コルマール市街地。ツアーの方たちが写っていたのでトリミングしました。

他の方の写真にも私の姿が映り込んでいるかも。陳謝。

添乗員さんはまあ許してください。「私は旅行が好きなんです。皆さんとこうして旅行できるのが楽しい」というようなことを言われていた。

気力、体力、大胆さと繊細さと、何一つかけても添乗のお仕事は出来ません。団体行動は窮屈だけど、それを承知で参加しているので皆さんに迷惑かけないようにと、それだけに気を付けました。

フランスの木組みはドイツに比べて優しい形かも。外でお茶する春が来ました。


二順目になると少し印象が薄れている。記憶の容量には限界があり、写真見ながら思い出しているところです。ツアーで仲良くしてくださった方の話や笑い声などは、今も記憶に残っています。

一人でひとり旅する女性は偉いと思う。でも私にはハードルが高い。

一人でツアーに参加する女性も私は好きですね。わが同類。で、夫がいて一人で参加してるのは私のほかには一人だけ。私って変わり者?

でも同性の誰かを誘う気にはちょっとなれない。

私はとても寝つきが悪くて、とんでもない時に起きるし、同室者がいて明かりもつけられないのは辛い。夫なら文句言われて、ごめんで済むけど、友人知人、文句言わないと思うので、かえって気を遣う。

ストレスは老化への一里塚。どんな時もストレスフリーでって、それは老人特有の自制心のなさ、我儘道を行く姿かもしれない。

人は結局その人らしくしか振る舞えないし、その人らしさに向かって成長し、その人らしく純化(頑固になるとも言う)するのだろう。

自分がどういう人間か、人にはどう見られているのか、旅をきっかけに考えられたら幸い。

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絵付け教室でした

2015-05-12 | 日記

朝から雨、車で行っても最後は荷物持って歩くので電車バスで行くことにした。でも電車乗るのも邪魔くさいので、途中までチャリンコで。

いゃあ、思い切り濡れましたね。だってレインハットにウィンドブレーカー。降ってないようでも雨具大切。身に染みました。

歩道橋の下にチャリンコ突っ込んで、バスに乗って先生のアトリエまで。おばさん、いや、おばあちゃん、何やってるんだか。セーラー服姿の女子高生が濡れていたら、きっと楚々としていい感じだと思うけど、この歳、この姿、変人以外の何者でもないと自分で自分に突っ込み入れつつ、自転車ぶっとばす。

この前は関空へ行く前日で、旅行のことは黙っていた。きょうはお土産持参で、先生に話をいろいろ聞いてもらい、多少は胸のつかえが取れたかな。

いゃあ、ツアーいろいろ、参加者もいろいろ。でもここには書けない、書かない。

人のふり見てわがふり直せと申します。私は、添乗員に威張ったり、他の女性客を恫喝したり、Tシャツ一枚の下はノーブラ、ノーメーク、汚いゴムで髪を括って旅行など決してしません。とキッパリ。

いゃあ、真剣に一人で海外旅行行きたくなった。食事もストレス。毎回似たようなものばかり、何より時間がかかるのが嫌。サンドイッチと飲み物で簡単に済ませたい。

最近はこちらをよく見ます。http://www5f.biglobe.ne.jp/~hihi303/index.html

この方、語学は堪能なんでしょうね。そこが私と違うところ。尊敬してしまう。

パスポート、盗難にあったそうです。すぐ見つかったそうだけど。パスポートを他のものと一緒にバッグに入れておくのは厳禁ですね。専用ポーチに入れて首から下げ、服の下に隠してさらに下着に安全ピンで留めておく。私はそうしています。

まだ旅行の写真がたくさんあるので追々整理したいと思いますが、本日はタイトル通り、絵付け教室で゜した。

携帯なので画像悪いですが、ご飯茶碗にサクランボの柄を上絵付けしました。手前のツバキは色が抜けたのでもう一度描いて再度焼きます。

外はドット柄。朱色と、朱色の輪郭に黄色を差しました。今のお茶碗は縁が欠けたので、いずれは割れる運命、その日のための予備です。

クリスマス柄で。縁は緑をスポンジで色づけして、綿棒で色を抜いて雪のイメージ。同じものを二つ作りました。来月焼き上がります。

きょうは台風接近で、市内では避難所まで設置されたけど、18時前の今はもう青空がのぞいています。大したことなくてよかったです。

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ライン川沿いにフランクフルトまで、そして旅の終わり

2015-05-11 | 仏独ルクセンブルク田舎巡り

4/21午後、コブレンツからリューデハイムまで、約66キロをライン川沿いに上流へ向かいます。

貨物船?川に橋があるので低い船です。

中州にあるプファルツ城は昔、航行する船から税を徴収していたそうです。流れの抵抗を少なくするため、基礎部分が上流に向けて船の舳先の形をしているのが面白いです。

だいぶ日が傾いてきました。

途中で道が細くなり、迂回します。

ライン川目指して下りて行きます。ここもまたブドウ畑。どこまで行ってもブドウ、またブドウ。日本でどこまで行っても水田があるように。

整列するブドウ。向こうライン川。

いいお天気です。船と競争している?

フランクフルト直進です。まだまだ遠いです。

途中、リューデハイムのお土産物街を車窓から見せてくれる予定だったらしいのですが、大型バスは入れず、そのままフランクフルトへ行きます。

市内渋滞。ロータリーに見事なボタンザクラが。気候は日本とよく似ているけれど、ドイツの方が昼間は暑い。大陸だから?

 

ホテルに着きました。やっぱり・・・

2012年11月にも最後にこのホテルに泊まりました。前はもっと上層階だったようです。

隣はマンション?

まだ外は明るいです。8時半ころ、やっと暗くなります。ベッドはいつも二つ。寝るのは私だけ。もったいないけど仕方ない。

歩いて近所のレストランへ。グラスがたくさん。

インテリアも椅子テーブルも木を多用。ドイツはカシなど堅い木が多いのでは。

定番、ヌードル入りコンソメスープ。ちょっと塩辛い。

ハンバーグ

デザート。アップル酒つき。

翌朝早く。車はまだライトつけてます。

50セント以下のコインを集めてみます。たくさんたまりました。このあと空港でお土産買うとき全部使って、残りはカードで払った。

50セントはトイレチップなどで要るので、次の旅行に備えて持っておくことにした。

朝食後、ツアーの人と二人で近所のスーパーへ。ここで最後のお土産を買う。

途中、墓石の展示しています。オベリスクのようなのは日本で言うと石材業者の看板替わりの観音さまみたいなもの?

石の色、いろいろ。ちなみにホテルの向かいの森の中に霊園があるらしい。

フランクフルトも木組みの家がたくさんあったそうですが、空襲で焼け、再建されなかったとのこと。昔のフランクフルト、見たかったです。残念です。


 

帰りは直行便なのでゆっくり10:30にホテル発。空港には30分くらいで着き、13:30に大阪に向けて出発です。e-チケットの席が嫌だったので、チェックインの時、アイルシートプリーズと言って替えてもらいました。

いいお天気です。

中四列の通路側、残りに誰も来ないので「やったあ、寝られる」と喜んだのもつかの間、二人来ましたが、隣は空席で楽でした。でもほとんど寝ないまま帰国しました。

軽食のあと

夕食。鶏肉とピーマン、ヨーグルトと野菜ソースにご飯、あとはいろいろ。

飛行機乗っていると食べものが楽しみになるのは、窮屈ですることないからかも。食事が温かいので嬉しい。

だいぶ帰って来ました。日本時間4:41分。まだ夜です。

五時過ぎて朝ごはんが。そろそろ夜明けです。

雲の上の朝焼け。そろそろ大阪に着きます。過ぎてしまえば短い8日間でした。

今回はほとんどがヨーロッパの田舎町ばかり。ルクセンブルク以外の場所では、日本人には出会いませんでした。自然がいっぱいで、昔からの建物が残っていて、それぞれの町に歴史があり、私なりに見聞を広められたと思います。

今回は急に思い立った旅行だったので、事前にあまり調べず、見逃したところもあって悔いが残りました。次はしっかり準備して、荷物は少な目にして、万全の体調で出かけたいと思います。

約20日間にわたって、拙い旅行記にお付き合い下さってありがとうございました。次は+++か***へ行きたいと思いますが、おっとその前に===に行くんだった。####にも行きたいし、その日に備えてセッセと節約に励みます。

 

 

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訊ねコアラ訂正

2015-05-10 | 日記

息子より画像送ってきた。私が見つけたのは似ているけど違うとのこと。こちらが本当に探しているぬいぐるみ。ka★n★ko★ku製、30年前。

おーーーい、PATCHAN!!どこだあ。

すみません、究極の家族ネタで申し訳ありません。

 

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訊ねコアラ

2015-05-09 | 日記

これです。安いものを探しています。三男が二歳の時、買ってやったものと同型。

今家にあるのは、三十年持ち続けてさすがに傷みが激しくなりました。

やっと同じものを見つけ、ヤフオクで100円で入札したら、110円で他の人が落札したと、連休に帰省してとても残念がっていました。

母の執念でやっと同じもの探しました。でもこちら普通のショップのサイトで、激高。なんでもデットストックだったそうで。

親ばか全開で探しています。皆様のお宅で、これと同型の要らないぬいぐるみがあればコメント欄よりご連絡お待ちしています。って、あるわけないですよね。三十年くらい前の品物です。

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モーゼル川沿いをコブレンツまで

2015-05-09 | 仏独ルクセンブルク田舎巡り

さて、4/21、ベルンカステル・クースを出てコブレンツまで103キロ、約二時間の行程です。途中昼ご飯食べて、ワイナリーで試飲もあります。

途中はずっと、モーゼル川沿いの田園地帯。サクラに似た真っ白な花が満開です。

川のそばの一軒宿(ホテル)で昼食です。

仲よくなった一人参加の人たちと同じテーブルに座り、談笑しながらいただきます。

マスのような魚とチーズで和えたパスタなど。

モーゼル川を望むレストラン。白い日よけが下りています。光あふれる四月のドイツ。

斜め向かいの方はミネラルウォーターを注文しました。グラスとボトルの向こうに透けて見える新緑の景色。春のドイツの旅。

ババロアだったかな。おいしかったです。

外はテラス席。

下の段も食事とお茶ができます。

ホテルの周りのブドウ畑。点在する農家。山の斜面も頂上までブドウ。


コブレンツの町に入ってから、ワイナリーの見学と試飲があります。

先ずはブドウ畑へ。

いいお天気です。木陰もなくて暑いです。ワイナリーオーナーのブドウ畑です。祖父の代に栽培を始め、その頃からワインを造ってている。毎年枝を二本だけ残し、害虫を防ぐために途中に虫よけの小さなゴムのベルトのようなものを巻き付て・・・という話を英語でして、添乗員さんが訳します。その訳が違っていると、親切な客の一人が訳し直します。なかなか終わりません。

足元にモーゼル川。電車も通ります。のどかです。2012年11月のドイツは毎日雨で暗い印象、今回は光あふれる豊穣のドイツの春です。この光の中に居るだけで、体中に幸福感が満ちてきます。

説明の後、ワイナリーに戻り、ワインの試飲です。

 

こちらです。http://www.weingut-weyh.de/

ワインは三種を飲み比べ。モーゼルワインは全て白。でも琥珀色で甘味が濃縮されたとてもおいしワインでした。

スーツケースの重さが気になって、ビン類は買えません。一人旅だとなおさらです。残念。


コブレンツへ着きました。ここは広い行楽地になっていて、たくさんの人がレジャーを楽しんでいます。バス降りてとりあえず、ドイチェス・エック(ドイツの角)を目指します。

あの先です。

先端にはドイツの国旗が。左のモーゼル川が右のライン川と合流し、向こうへと流れていきます。

コブレンツとは、ラテン語のconfluentia「流れが合わさるところ」が語源だとか。この地はローマ時代から現代にいたるまで、水上交通の要衝として重要視され、中世にはトリアー大司教領、その後フランスの領土になったり、プロイセンに編入されたりと、その時々で勢力争いの場所だったようです。

悠久の流れ。流れに写るドイツ国旗の影。

遊覧船。フランスの船らしい。ラインの下流に行くらしい。いよいよ観光シーズン。いいお天気。

またまた船が。こちらはラインの上流へ。

私達はロープウェーに乗り対岸の展望台へ行きます。今度は大型船。ライン上流から来ました。船の往来がとても多いです。

向こうの銅像は初代ドイツ帝国初代皇帝ヴィルヘルム1世。第二次世界大戦中、アメリカ軍の空爆で破壊され、近年再建されたそうです。

だいぶ上がってきました。

対岸の高台にあるエーレンブライトシュタイン城、フランス革命のあとフランス軍が占領してその時建物は破壊されたとのこと。今の建物はプロイセン時代に再建、城壁以外には目立つ建物ありません。

向こうへ行ってみます。

コブレンツの街、遠景。

それにしても強い日差しで暑いです。この日の私の服装は、登山用のごく薄いTシャツの上から、夏用の七分袖の薄いブラウス一枚、大きなつばの帽子。これから行かれる方は、紫外線対策をお忘れなく。

再びロープウェーで下へ降り、バスを待ちます。

暑いです。教会とマロニエ。

中へ入ります。石の建物の中は、洞窟のようで涼しいです。

さあ、そろそろコブレンツともお別れ。お城の展望台では、仲良くなった方たちと一緒に写真撮りあって楽しく過ごしました。

皆様、本当にありがとうございました。

あとはライン川沿いに南へ、そしてフランクフルトへ。明日はいよいよ帰国です。長いようであっという間の一週間でした。うーーーむ、海外旅行が楽しくて癖になりそうで、困った・・・・・

 

 

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必殺AYAGAESHI

2015-05-08 | 日記

ツバメ返しは佐々木小次郎。本日はAYAGAESIをしました。

 

整経台で整経した糸を外して、綾の部分に綾棒を通し、糸を別の場所で本筬に通してから織り機に持って来て、筬を筬框にセットします。

女巻と男巻を入れ替え、向こうの女巻に糸を巻き付けます。短い時はロープを足します。

 

手前に男巻をセットして、織り幅より少し広く糸を結びつけます。

この写真では手前に男巻→筬→綾棒→綜絖(まだ通してない)→女巻となっています。

女巻を緩め、少しずつ引いて男巻に糸を巻いていきます。

女巻には8文字に糸を巻いています。少しずつ様子を見ながら解いて、男巻に巻き取ります。

綾棒は綜絖の糸を通す穴の高さに固定します。

少しずつ巻き取ります。

筬と綜絖の間の綾を手前に移したところ。このあと筬から糸をすべて抜き、綾棒と男巻持って織り機の先へ行って、女巻と付け替えます。

女巻を手前に再びセットしたところ

男巻と綾。

綜絖の向こうに綾棒が来ます。

綾棒を固定し、このあと綜絖に1,2,3,4の順番に通し、本筬に通す。

今回の筬は60羽/10センチを使用し、丸羽で164本の糸を通した。計算上は164÷(6×2)≒13.7センチ巾の織物ができるはず。整経長は300センチなので両端の織り残り分を差し引いて約240センチくらいの出来上がりの予定。いつも用心して糸を多めに懸け、つい欲を出して長く織るので予定より長くなることが多い。

こういうのも経験を重ねて、自分に一番合う方法を見つけていくものかもしれない。まだまだ発展途上です。

綜絖、本筬と通して女巻に結んで本日の作業はおしまい。

買い物して帰宅したらもはや18時前。やれやれ。しかしまあ、家にいても動かないので、(おやつ食べながらブログの更新とか)体と頭の体操と思いつつ、頑張りました。

 

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ベルンカステル・クース・・・川沿いの美しい街

2015-05-06 | 仏独ルクセンブルク田舎巡り

4/21 観光5日目。今日が最後の観光です。連日の好天で、たくさん写真が撮れました。

きょうはルクセンブルクからモーゼル川沿いに下り、ライン川と合流したところから上流に向けて川べりをドライブ、最後はフランクフルトへ泊ります。

朝8:00ホテル出発。今回のツアーで一番早い出発でした。あとは8:30とか9:00とか、ゆったりした旅程でした。

車窓の外をドイツの田舎の景色が過ぎていきます。

小さな川を何回か過ぎていきます。

何の工事でしょうか?

モーゼル川の横を走ります。

モーゼル川は、フランスのヴォージュ山地に源を発してロレーヌ地方を縦断し、ルクセンブルクとドイツの国境を流れてからドイツに入り、コープレンツでライン川に合流する・・・・(中略)・・・

旅をする者の目から見ても、ライン河谷に比べてモーゼル河谷の方がぐっと田舎っぽくて、のんびりしている感じだ。河岸の平野や日当たりのいい斜面はどこもかしこもブドウ畑で、さすがはワインの名産地という気がする。

                                      「ドイツものしり紀行」 紅山雪夫


 ルクセンブルクから約98キロ、ベルンカステル・クースの町に着きました。

インフォメーション裏の広場。

建物の壁にワインの案内が。

この地はベルンカステラー・ドクトルというワインを生産する。

14世紀、トリアー大司教ポエムント二世がここのワインを飲んで重病から快復したのにちなんでつけられた名前。

そのブドウを栽培していた山は今ではドクトルベルク(ドクトル山)という名前で呼ばれる。

うーーーむ、暖かい景勝地、おいしいワイン、病気も治りそうですね。

一度川べりに出て、街の中心部マルクト広場へ。

周りの木組みの家がそれぞれ個性的で、かつ絶妙に調和している。一階はお土産物、お酒などの店。

ベルンカステラードクトル、置いてます。値段未確認。重病になったら取り寄せて飲んでみたいもの。

その代りと言っては何ですが、お土産に小さなワインとワインゼリーを買いました。

おしいかったです。ゼリーは夫の友人に差し上げる予定。

河岸に出ます。観光用の駐車場に遊覧船乗り場。船はどこまで行くのでしょう。対岸は新しい町で、川に面してホテルがあります。

橋を渡りながら上流部を。あの付近がドクトルベルクでしょうか。斜面は全てブドウ畑。

橋を渡って河川敷に降りてみます。白鳥が遊んでいます。向こうの山の上にあるのが、ランツフート城。

修復工事をしているようです。

こちら鴨が二羽、餌を探しているのかな?

目の周りが、パンダみたいに黒い鴨。初見。近付いても逃げずにのんびり歩いています。

再び街へ戻ります。

広場の奥の細い路地へ

迷路のような街を歩きます。この建物はワイン酒場だそうです。

すぐに上り坂になります。細い路地の両脇のお店とその向こうはもうブドウ畑。

引き返して右の道へ。ホテルでしょうか?

くぐって、通り過ぎて、振り向いて。一人の街歩き。

プチホテルも。

構造材と梁、筋交いなどが独特のリズムで繰り返される。とても素敵な街でした。


この街で小さなワインとワインのゼリー、孫娘のTシャツとお人形を買いました。お人形はちょっと大き目、布と毛糸でできた手作り風。19.5ユーロだったかな。(今レシート探したけど見つからない。ピンクのTシャツも同じ店で買った)

この子です。

アユミーナちゃんと名前を付けて遊んでいます。

またしてもお土産を買うのに焦る私。このあと、行程の途中の一軒宿(ホテル)で川を見ながら昼ごはん。ワインの試飲など続きます。

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ドイツは二年半ぶり

2015-05-05 | 仏独ルクセンブルク田舎巡り

http://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/0c5c8b867a89ded36fc2ee3ca770ec4d

この前は2012年11月でした。秋の落ち着いたドイツもなかなか良かったし、何より、11人の小さなツアーで私達も添乗員も楽でした。

うーーむ、前の方が初心で楽しめたかも。一度、ヨーロッパへ一人で行こうかな。と大胆なことを。でも口に出すと言霊の導きによって本当に行くことになるかも。

あなた任せにせずに自分でチケットとってホテルの手配して、でも荷物を押して歩くのは勘弁。リュックも疲れるし。荷物がどうもネックですね。

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ルクセンブルクは初夏

2015-05-05 | 仏独ルクセンブルク田舎巡り

さて、4/20観光4日目、トリアーで昼ご飯食べて、(写真撮り忘れ。どんなものかも忘れた。パスタ料理のケーゼ・シュベツツレとのこと)午後からルクセンブルクに戻って観光のあと解散、19時に再集合してホテルへ戻るという段取りです。

憲法広場というところでバスを降ります。

暑いです。とても暑いです。ツアーの日程表にはルクセンブルクの四月の最高気温が12度、最低は6度とありましたが、去年の四月初め、パリがものすごく暑かったので、絶対嘘だと思い、夏の登山服持って行きました。この日差しです。正解でしたね。気温も最高が23度、最低で12度くらい。出発日の日本よりずっと暑かったです。

朝だけちょっと寒いけど、と言ってもホテルの建物からバスに乗るまで、そして暖房が効いてくるまでの僅かな時間で、あとは暑いです。

緯度が高いので太陽は斜めから差します。これがけっこうきつい。中緯度地方の西陽状態です。朝はダウンコート着ていたり、皆さん服装まちまち。私は脱いだ服を入れるエコバックを常に携行です。脱いだ服手に持つのはとても邪魔!!

すみません、つまらないうんちくを。話を進めます。

ガイドさんと合流。体格のいい女性でした。まずはアドルフ橋へ。只今工事中。包帯を巻いたデザインの、遊び心のある工事幕です。

続いてノートルダム大聖堂へ。

出発間際、旅行会社より速達。何事かと開けて見たら、この教会が宗教行事で入場できないというお詫びの手紙。それなら仕方ないと思っていたけど、なんとか入れました。ミサなどは午前中に終わったのかも。

広い祭壇と立派なステンドグラス。

柱列も立派です。大理石のようでした。

大聖堂の裏手に回り、こちら市庁舎だったと思いますが、それにしては旗が立っていません。裏側だったかも。

こちらが表側ですね。この女性は第二次大戦中のドイツ占領時代に亡命したシャルロット女大公だそうです。

市庁舎から坂道を少し登ると、城壁のある所へ着きます。眺めがいい場所で、アルゼット川の浸食で深い谷になっています。

この眺めが世界遺産になっているそうです。

世界遺産・・・どういう基準で選ぶのか知りませんが、タイトル貰うと急に観光客が増える現象を見ると、町おこしとして運動したくなるのでしょう。松下村塾が選ばれたとお隣山口県は盛り上がってますが、認定のためには委員を招へいしないといけないそうで、当然、接待もあるはず…などと不届きなことを考えました。

観光に世界遺産は一つの目安になるけれど、そうそう立派なところばかり巡らなくても、地元の人が集う街角の小さなお堂や教会にも心癒される眺めと新たな発見がある。私はそう思っています。

もちろんここからの眺めは、そういうエクスキューズをつけなくても、充分見応えはありましたが。レッテルに惑わされず、虚心にいろいろなものを見たいなあと思っています。

いやいや、何たわごと言ってるんだか。

川の付近の建物。

地形を巧みに利用した要塞都市、それがルクセンブルクのようです。崖を利用して築かれたボツクの砲台は内部が見学できるそうです。

ぐるっと歩いて北東方面を。あの高台の付近が、EUの機関が集まるキルシュベルク地区。ベネルクス三国はEUの母体になった国々でもあります。

左端のベージュの建物がホテル近くの翻訳センターです。

城塞の内側。

再び中心部に戻ります。こちら大公宮殿前。体格のいい衛兵が銃を担いで歩哨に立っています。

こちらはギョーム二世広場。只今工事中でした。

自治宮殿前のパフォーマンス。人間三段重ね。二段目までが本物の人間。三段目だけは人形。

感心した人は壷にお金を入れた方がいいようですが、誰も入れません。(この私も)。ただ写真に撮るだけ。

そして16時頃ここの前のダルム広場で解散。19時に再び集合です。付近は飲食店やいろいろなショップがあり、道も分かりやすいのでそう大変ではありません。

城塞の下まで降りたという人もいましたが、私はお土産物探してウロウロ。いゃあ無駄に時間を過ごしました。次回からはおみやげはGSで停車した時などに簡単に。観光優先で行きたいものです。

それに一人だと帰りはスーツケースの重さが気にかかります。今回は22キロ、なんとかクリアーしました。


 

解散のあと絵葉書を買い、知人と孫に出します。

ダルム広場から西へ向かい、大通りに面して郵便局はあります。番号札とって順番が来たら窓口へ行くのは日本も同じ。

トゥージャパン、バイエアメール、ハウマッチ?と言いつつ、描いた絵ハガキ二枚見せる。

トウユーロ、トゥエンティトゥセンツと言われるも、小銭出すのに手間取る。

ソーリーと謝るとノープロブレムと局員が。やれやれ、コインの種類が多くてよく分からない。

あちこち歩きまくり、最後は広場前カフェで冷たいものを。

イチゴのソフトクリーム。1.5ユーロ、195円くらい。暑かったのでおいしく頂きました。

夜はホテル内のレストラン行くのも疲れるので、街のスーパーで買ったバーガーで簡単に。コーヒーは部屋に備え付けのを自分で作る。

バーガーは4.3ユーロ≒560円と結構なお値段。冷たくてそうおいしくなかったけど、胃を休めるつもりで今夜は少食。

紙ナプキンにメモ書きしたけど、アムステルダムですって。自分がどこにいるかも忘れるなんて。ルクセンブルクのalimaというスーパーです。郵便局前をまっすぐ北へ、ふたつ交差点を渡ってしばらく行くと向かい側にあります。

海苔巻きなども割りばしとともに売ってました。「おてもと」という字が金釘流でとても変でしたが、こんなところでお寿司に出会ってびっくりです。

果物は量り売り。果物コーナーに係員がいて、計って札を付けてくれます。

リンゴ84セント≒109円、プラムは62セント≒81円でした。どちらも新鮮で甘味はほどほど。おいしかったので完食。


夜はお土産物の整理。しないつもりだったけど、午前中、トリアーでイースターエッグが2,5ユーロから1ユーロにバーゲン中で、爆買い(わずか三個だけど)。割れものなので泣く泣く梱包。大変。これからは気を付けよう。

ソファーの上に並べてみる。右手前がいかにも割れそうなイースターエッグ。買ってすぐ後悔。あとはチョコ各種。

孫のTシャツ、スープの素、ペーパーナプキン、クッキー、カレンダーなど。レース編みの花瓶敷きは大1,99ユーロ≒260円、小0,99ユーロ≒130円。

総じてドイツは物価が安い。四角な箱のチョコは1,99ユーロ≒260円。丸いいろいろなチョコが16個入っていた。私的にはお買い得。ドイツでは不必要な付加価値をつけず、必要なものだけが安く提供される印象。ルクセンブルクが物価高なのはなんでも輸入に頼る小国の故かも。

ルクセンブルクの人は車でドイツに買い出しに行くそうです。さすがEUです。国境に検問などないし、隣町感覚ですね。お土産見ながらおばさんもいろんなこと考えてます。


ツアーの中で仲良しも増え、毎日楽しく観光してきましたが、いよいよ明日は最終日、ラインの支流モーゼル川沿いのベルンカステル・クースとモーゼルワインの蔵元、それにラインとの合流点コブレンツ、ライン川沿いに上流のリューデハイムまで行き、最後の宿泊地フランクフルトまで。

名残惜しいですが、楽しい時間は永遠に続きません。いずれは日常に戻るのが旅の運命。それだからこそ、旅の日々はキラキラと輝いているのでありましょう。いろいろな土地のいろいろなものを見て、うんと元気になれた気がする私。

昨日三男と話していたら、英語しゃべれるなら、パリくらい一人で行けるでしょ。と言われてしまった。頼む、息子よ。そそのかさんでくれーー。英語はしゃべれんけど、行きたくなるじゃないの。

帰国の翌日、お嫁さんが来たので「ごめんね、みんな仕事や子育てに忙しいのに私ばっかり遊んで」と謝りつつ、お土産渡した。

ツアーの一人参加だと、何で一人なのか詮索される。夫は仕事と言い訳。何の仕事かと聞かれることはないので、私からはもちろん言わない。日本でのことは忘れて仲良く楽しみたいもの。

しかし関西(=広島より都会)の人たちはお互いの住んでいる場所、身なり持ち物などで、お互いの立ち位置を探り合う感じを受けましたです。広島人は田舎者なので別枠。

だいたい、広島だと言うと、たいていの方が地の果ての遠国のように思ってかのけぞるので、それはないだろと思う私。新幹線で新大阪まで80分。そこからが約一時間と、関西の不便なところよりは空港にアクセスいいと思う。だからどうなんだと聞かれればそれまでですが。

海外ツアーは福岡発が便利ですね。でもそうたくさんないし、成田廻るのも多いので、よけい面倒くさい。で、最近は関西が多い。

今回の反省。

荷物はテキトーに準備する。几帳面に詰めるのは疲労の元。服は昼間は基本登山服。夜はちょっとドレッシーなのがあればいいかも。

お土産を買うのに血眼にならない。割れ物買わない。小さな段ボール箱があれば梱包に便利かも。新聞紙、梱包用のプチプチなども。

ヘヤードライヤーなど持って行かない。すべてのホテルにありました。湯沸しも同じ。などでしょうか。

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賑やかな一日だった

2015-05-04 | 日記

もう昨日になったけど。息子三人とその家族、姑様で集まった。総勢10人。姑様は疲れるからと途中で帰って、9人でご飯食べた。

お嫁さんたちが手伝ったくれたけど、頭がパニック状態、食器もたくさんは出さないつもりだったけど、グラスなど入れたら60くらいは洗ったかも。拭いて納めて、順番に風呂に入って、孫二人は興奮して歩き回ってなかなか寝ない。

やれやれ全部片付けて風呂から上がったら日付も変わっていた。あすはと言ってももう今日ですが、どんな予定なんだろうか。戦々恐々。

疲れるのは歳のせいかも。いゃあ、もう寝ます。旅行記はあと一日半だけ。折を見て頑張ります。

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ドイツ最古の街、トリアーを行く

2015-05-02 | 仏独ルクセンブルク田舎巡り

4/20 旅行5日目。ルクセンブルクから58キロ離れたトリアーへ行きます。

世界遺産ポルタ・ニグラ(黒い門) ローマ人が二世紀に建造。モーゼル川沿い、交通のかなめとして古くから栄える。

年賀状用に写真撮る。

石段を上がって内部を見下ろします。ただいま修復工事中。

市街地を見る。端正な街並み。

通りを教会に向かう途中、ユダヤ人居住区だったという場所の横を通る。

ここに住んでいた人達はナチスに連行され、生きて帰れた人はわずかでした。と説明されて、涙が止まらなくなる私。

日本でも最近、移民とは住む場所を分けた方がいいと言った老作家がいましたが、そういう差別の行きつく果てに何が起きるのか、考えるだけでもおぞましいことです。

街の中心部の広場に来ました。

左手奥の教会に向かいます。きょうは何かのワークショップがあるとのことです。

トリアーの大聖堂はキリストの聖衣を保管しています。何年かに一度公開されるそうで、ふだんは祭壇に眠っています。

大聖堂の鳥の巣とあだ名されるパイプオルガン。

ロマネスク様式の古い建物です。手前のはゴシック洋式。

再び門の近くまで戻ります。

カールマルクスが1歳から18歳まで過ごした家は、今は一ユーロショップになっています。

 

 

 

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