室温は、30.2度。
今日は、曇り空で暑すぎて蒸し暑い1日であった。
散歩すると、シオカラトンポが稲に止まっていた。
今日はナガサキに原爆が落ちて、77年になります。
「徹子の部屋」で、長崎生まれの美輪明宏さんは当時10歳で、夏休みの宿題の絵日記を書いて、窓から少し下がって見ていたら、ピカッと光ったと思ったら、ドカーンと怖いような凄い音がして、ガラスが割れて直角に柱などに刺さっていた。
ビックリして兄と一緒に外に出ると、街が一瞬にして破壊されて、酷い情景が目に飛び込んできた。
兄と二人とも不思議なことに傷一つなく助かることが出来た。
一瞬にして罪もない何万の人たちを刹慄し、街を無惨に壊す核兵器の使用は、ナガサキを最後にしてほしいと訴えていました。
当時3歳の夫は茂木の山の中の
木の下で、昼寝をして原爆が落ちたことは知らなかったようです。
母は妹をおんぶをして、薪を集めていて、上空を大きな飛行機が飛んで行き、大きな爆弾を落として、凄い音がしてビックリしたようです。
母は次の日から、焼け野原の長崎の街を妹をおんぶをして、親戚の人たちの安否を訪ね歩き回ったけれど、どんなに怖かったことでしょう。
母は1987年7月13日にガンで亡くなりましたが、父が1949年12月21日に46歳で病気で亡くなってから、38年間5男1女の子ども達を育てたあとは、ひとり暮らして苦労した一生涯でした。
夫は長崎の原爆の悲惨さを知り、一生涯原水爆禁止の運動に参加して、平和行進や6,9の日には街頭に立って核兵器廃絶を訴えていました。
被爆者や原水協の人々の粘り強い活動が世界を動かし、昨年の1月に国連で核兵器禁止条約が締結されました。
核兵器廃絶するまでこれからも夫の意志を継いで、頑張っていきたい。
今日の万歩計は、8,479歩でした。