室温は、29.3度。
曇り空で多度山、養老山は見えるけれど、鈴鹿の山々は雲に隠れて見ることはできない。
蒸し暑い朝を迎え、日傘を指して散歩に出掛けても、汗が滲んでくる。
家の庭のサルスベりの濃いピンクの花が満開である。
巡回バスに久し振りに乗ると、運転手から「和子さん久しぶり」と声が掛かってビックリ。
最近男性から名前で呼ばれることはあまりなかったので、2度ビックリであるが、何だか嬉しいですね。
バスに乗ると団地の人たちが「和子さん」と呼ぶのを聞いて覚えてくれたのでしょうね。
図書館で延長しようと思っていた本が、返還が1日遅れだったために借りれなかった原田マハさんの「奇跡の人」と夢枕獏さんの「神々の山嶺(いただき)」を借りてきました。
昨日は一人旅に出掛けた娘が、12時半ごろ家に帰って来たというラインがあったので、蟹江の「吉兆」でランチを友人と食べているので来るように連絡するが、疲れているので家で眠っているということだった。
14時頃に帰って声をかけると、待っていましたように、昨日からの一人旅の様子を聞かせてくれました。
名古屋から藤が丘に行って、カラオケに行き、朝まで一人カラオケで久し振りに歌いまくり、朝方6時に出て、日進市の夫のお墓のある五色園に行き、お参りをして帰ったとのこと。
相当歌いすぎて、喉は枯れ、眠っていないので、眠くて疲れて帰って来たようである。
父親の墓参りをしたことで、吹っ切れたのか、今まで44年生きてきて、何度も死にたいと思ったことがあるとコンコンと思ったことを語り始めました。
軽い知的障害があることは、小さいときは分からなかったが、何だか他の人との違いを感じていたし、苛められることも多かった。
特にお兄ちゃんたちは、自分の鬱憤を晴らすように苛めたし、級友たちとも会話についていけなくて無視されたり、苛められることもよくあった。
自分は生きていても仕方がない何て考える日々だったという。
お母さんは仕事が忙しく、私の話をじっくりと聞いてくれる時間がなかった。
おばあちゃんはゲームしたりしてよく遊んでくれた。
お母さんは絵本をよく読んでくれたし、本もイッパイ買ってくれた。
子供の頃の事をよく覚えているもんだと感心するくらいであった。
30歳で統合失調症になり、娘なりに15年苦しんで来ました。
友達のこと、お母さんとのこともメンタルクリニックの医師にもカウンセリングを受けて、聞いてもらっているとのこと。
夕食後も、ずっと思いの丈を話したら、スッキリしたようであった。
娘も母親に甘えて、イッパイイッパイおしゃべりしたいことがあったが、なかなかじっくりと聞いてくれない母親にジレンマを感じていたようである。
これからは娘とキチンと向き合って、話を聞くとこから始めようと決心する。
今日の万歩計は、12,164歩でした。