■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 38段3 名利に使われて 名誉や利欲を求めることは?
「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。
徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。
高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。
徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。
お届けも、徒然なるままにアップロードしますので、読者の皆様も、日暮パソコンに向かいて、末永く、徒然にご覧下さるよう、お願いします。
◆第38段3 名利に使われて 名誉や利欲を求めることは?
第38段2の続き
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【原文】
智恵と心とこそ、世にすぐれたる誉も残さまほしきを、つらつら思へば、誉を愛するは、人の聞きをよろこぶなり、誉むる人、毀る人、共に世に止まらず。
伝へ聞かん人、またまたすみやかに去るべし。誰をか恥ぢ、誰にか知られん事を願はん。
誉はまた毀りの本なり。
身の後の名、残りて、さらに益なし。これを願ふも、次に愚かなり。
*
【用語】
心: 人格、品性
誉(ほまれ): 名誉 ←→ そしり:非難
人の聞き: 評判
身の後: 死後
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智恵と心とこそ、世にすぐれたる誉も残さまほしきを、つらつら思へば、誉を愛するは、人の聞きをよろこぶなり、誉むる人、毀る人、共に世に止まらず。
伝へ聞かん人、またまたすみやかに去るべし。誰をか恥ぢ、誰にか知られん事を願はん。
誉はまた毀りの本なり。
身の後の名、残りて、さらに益なし。これを願ふも、次に愚かなり。
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【用語】
心: 人格、品性
誉(ほまれ): 名誉 ←→ そしり:非難
人の聞き: 評判
身の後: 死後
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【要旨】 名利に使われて
知恵と心というものは、世間で優れた名誉として見られ、それを残したいというのは人情です。しかし、よくよく考えてみますと、「名誉を愛する」ということは、人の評判を喜んでいるに過ぎません。誉める人も、非難する人も、両者共に、この世に長く生きているわけではなく、
また、その評判を伝え聞く側の人も、すぐにこの世を去ってしまうのです。
だれに対して恥じることも必要なく、まただれに知られることを願う必要もないのです。
名誉はまた非難のもとでもあります。
死後に名声が残っても何のメリットもないのです。こういう名誉を頗うこともまた、一番好ましくないと考える「高位高官を望む」ということに次いて、愚かなことです。
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知恵と心というものは、世間で優れた名誉として見られ、それを残したいというのは人情です。しかし、よくよく考えてみますと、「名誉を愛する」ということは、人の評判を喜んでいるに過ぎません。誉める人も、非難する人も、両者共に、この世に長く生きているわけではなく、
また、その評判を伝え聞く側の人も、すぐにこの世を去ってしまうのです。
だれに対して恥じることも必要なく、まただれに知られることを願う必要もないのです。
名誉はまた非難のもとでもあります。
死後に名声が残っても何のメリットもないのです。こういう名誉を頗うこともまた、一番好ましくないと考える「高位高官を望む」ということに次いて、愚かなことです。
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【 コメント 】
この段を読んでいて、マズローの欲求5段階説を思い浮かべました。
五段階の最高位は、「承認の欲求」といいますか、人から認められることが、人間の欲求の中で最終的なものであるとマーケティングの時間に学び、また、その通りであると思ってきました。
兼好は言います。
評価される方も、する方も、長い時の流れからしますと、一瞬のことですので、だれに対して恥じる必要がありましょうか。だれかに良く思われ、それを知られるということを好ましいと思い、それを願う必要があるのでしょうか。
「人の噂も七十五日」
人生もまた短いのですから、名誉名声を求めても、悠久の時間の流れからすると塵にもならないというのです。
そう言われますと、確かにそうなのですが、やはり煩悩から離れることができない自分が、この世に存在しているのです。その矛盾を楽しむことが、人生を楽しむことに繋がると自分を納得させている、自分があります。「いと恥ずかし」
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この段を読んでいて、マズローの欲求5段階説を思い浮かべました。
五段階の最高位は、「承認の欲求」といいますか、人から認められることが、人間の欲求の中で最終的なものであるとマーケティングの時間に学び、また、その通りであると思ってきました。
兼好は言います。
評価される方も、する方も、長い時の流れからしますと、一瞬のことですので、だれに対して恥じる必要がありましょうか。だれかに良く思われ、それを知られるということを好ましいと思い、それを願う必要があるのでしょうか。
「人の噂も七十五日」
人生もまた短いのですから、名誉名声を求めても、悠久の時間の流れからすると塵にもならないというのです。
そう言われますと、確かにそうなのですが、やはり煩悩から離れることができない自分が、この世に存在しているのです。その矛盾を楽しむことが、人生を楽しむことに繋がると自分を納得させている、自分があります。「いと恥ずかし」
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